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PERU day by day改めKansai day by day

17年住んだペルーから帰国してスペイン語の全国通訳案内士デビューしました。インスタグラムシェアしながら、日常生活や日本の面白いところを紹介していきます。
趣味はランニングとペルーの国民舞踊、マリネラ・ノルテーニャ。

だいぶ商業化されてきて、昔のような伝統的な民芸品だけではなく、プラスチックのオモチャやおうでもいい、民芸品も並ぶようになって来ましたが、それでもワクワクするクリスマス市、サントクランティクイ祭。

クスコ市側が2日間に渡って行うことを計画していたのを、文化省側がストップをかけて、それでも市役所側は23日を「出会いREENCUENTRO」として強引に二日にしてしまいましたが・・



仕事が終わったあとや、ギリギリの買い物で午後は人がおしかけるので
人ごみがひどくなるので、できれば午前中にいらっしゃることをおすすめします。

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クスコでは2週間ごとに、ギャラリーや美術館での展示が交代することが多い。
で、展覧会の開会式が重なることも多い。

そこでまた感じたこと。
開会式に来る目的。
1.乾杯のワイン目的
2.人脈作り(アーティスト系)
3.ただ芸術が好きで、アーティストのことも知りたい
番外 おつまみ目当て(←私)

クスコでは今年に入ってから、美術系の展示ギャラリーが格段に増えた。
Casa de la Cultura(文化会館)とやらができたせいもあり、クスコの街中で展覧会の梯子をすることが可能になってきた。

で、開会式も梯子できるようになった(日付・時間が重なることも多い)。

先日行った、国立銀行(Banco de La Nacion)の開会式は、会場は大きいのだが、ボリビア、ペルー二国展は間延びした感じで、開会式は観光業界を取り込みたいのか、アートとは関係ない観光関係者の検証ばかりで、かなり飽きてしまった。時間が延びてしまい、カテドラルでのコンサートにいけなくなってしまった。そのかわり雨の中、行ったすぐ近くの文化会館(Casa de la Cultura)。

San Bernardo 通りにある、植民地時代にはスペイン人指定向けのイエズス会の小中学校があった由緒ある建物を利用している。アルマス広場から3ブロック。

美術学校の学生や卒業生の展覧会で盛り上がっていた。
学年末のせいか、学年末展や卒業展が多く、ほんとうは会場が足りない状態になっている。


しかし、展示される絵画や写真、彫刻が私の心を打つことが多い。
ただ、乾杯は超甘口のワインどころか、畑のワインと呼ばれる超安物のワインの乾杯だったり南下する。なんか木の風味がして、茎や葉っぱどころか根っこまで一緒に醸造しているのではないか感じられる。
でも、若者の情熱が感じられ、そのエネルギーがもらえる感じがして、お酒のせいだけでなく、ほんとうにいい気分になれた。

文化会館の一階パティオの隅と二階の部屋の展示はおすすめしたい。

翌日の卒業展は通常、同じ文化会館講演や演奏会を行う礼拝堂での開催。



ペルーの「裏歴史(Otra historia)」という本の出版発表会のあとに、展覧会開会式ということで慌しい感じだった。私は両方楽しめて幸運だとおもったのだが、発表会で演奏するミュージシャンが兵器で展示会がにギターケースをもたせ掛けているのをみてがっかりした。

そして開会式、卒業する生徒の家族も集まって普段の展覧会開会とはまた違った趣だった・・。
気に入った作品の作者の生徒と話をできたのも役得だった。

同じ日に同じ学校の別のグループの卒業展も少し離れたアリアンス・フランセーズのギャラリーで開かれていたようだが、遠くていけなかったのは残念だ・・。

とにかく、おすすめしたい。


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今朝、テレビを見ていたら、リマ、サンボルハの陸軍駐屯地での陸軍記念日記念式典の中継を行っていた。陸軍名誉元帥のメルセス会の聖母像とともに・・。そういえば、昨日12月8日は無原罪のお宿りの日の祝日だったな・・。
そういえば、陸軍記念日だったとは知らなかった。ペルーのスペイン解放戦争の最後の段階、アヤクチョの戦い記念日というのは当然知っていたが、そこに陸軍が結びつかなかった。

10月8日のアンガモスの海戦記念日が海軍記念日であることは知っていたのに、陸軍記念日と結びつかなかったのは、アヤクチョの戦いが決してペルー軍がスペイン王党派を破ったものではなく、ベネズエラ人に率いられた戦いだったから。

スペイン植民地だったラテンアメリカは、メキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)、ペルー、ヌエバ・グラナダ、リオ・デ・ラプラタなどの副王領に分割されて統治されていた。

スペイン支配から解放されたブエノスアイレスからホセ・デ・サンマルティンが1821年にペルーにやってきて、リマで独立宣言を行った。しかし、スペイン副王、ラ・セルナ率いる王党軍はワンカヨなど中央山地に逃れて反撃を決意し、最終的にクスコに拠点を置くことになる。ラ・セルナは本国で対ナポレオン戦争を戦った経験がある有能な軍人だった。

一方、サン・マルティンがペルーを去った後、ベネズエラから解放者、シモン・ボリバルがスペイン人打倒のため独立派を率いるためにやってきた。副王軍と独立派の戦いは一進一退を続け、副王軍がリマを占拠しなおしたことも二回あった。
しかし、1824年12月9日、ベネズエラ出身のアントニオ・スークレの指揮の下、独立派は副王軍を破り、副王ラ・セルナを捕獲した。

副王占拠下のクスコで何があったのか?
クスコ出身の歴史家ホセ・タマヨは、「クスコには時代遅れの植民地体制を終わらせようという革命勢力があったにもかかわらず、副王軍占領により、愛国派にあった勢い、精神・経済力がなすすべもなく消え去った」と述べている。

クスコ入城時、副王ラ・セルナは、凱旋門やバルコニーからの垂れ幕などで派手に迎えられ、アルミランテの家(提督の家=現インカ博物館)に最初入ったあと、聖なる谷のユカイの村に赴いて策を練った。しかしそのあともクスコの住民には副王軍の独裁が待っていた。

副王とともに印刷機がはじめてクスコにもたらされ、王党派の大義が印刷されていった。
ラ・セルナを国民軍、独立派のサン・マルティンやシモン・ボリーバルは外国軍と宣伝していき、1823年3月には先住民をスペイン領土のスペイン国民とみなす令が出された。

教会でも王党派を支持するように説教を行うよう命じた。また、造幣局がクスコに設置され、スペイン王フェルナンド7世の肖像の入った銀貨が鋳造されるだけでなく、剣や銃弾なども鋳造されていった。

長期戦の中、クスコの人々は疲弊していく。農産物に15%の税がかけられ、軍への賦課金を徴収され、地主は貢納を命じられ、商業にも税金がかけられていく。銃や剣を取り上げられただけでなく、衣服・織物・医薬品などまで徴集され、先住民・や混血の人々は王党派の兵卒にさせられた。

最終的にアヤクチョの戦いにクスコから向かった軍隊9300人のうち、500人がスペイン人、残りは先住民とメスティーソであった。人数的に戦術的に有利であったにもかかわらず、クスコからの副王軍が敗れたのは、兵卒が疲弊していたからだけではない。スペイン人の将軍、ヘロニモ・バルデスが語っているように、先住民・メスティーソの兵卒には副王のために戦う大義がなかったのだ。

1824年12月25日クスコ解放。

こうして、ペルーの解放はなされた、しかし、現在のボリビアであるアルト・ペルーに残る王党派打倒に向かう途中、クスコでスークレは食料・兵卒、武器などを徴集していった。

1825年クスコにようやく共和制時代が訪れたが、クスコの町はすでに疲弊しており、経済的地位が低下し、他都市の成長もあり、クスコの人口は3分の1まで減少していった。
解放時の人口が回復するのは1940年代のことであった。


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ペルーからまた新しい世界無形遺産が誕生しました。

アレキパ、カイヨマ郡、コンドルで有名なコルカ渓谷周辺の
「ウィティティ」という踊りです。



男性が女性の装束をしているのは、二つ説があって、
1.敵に攻め込まれたときに、敵をかく乱するため
2.女性に近づこうというときに怪しまれないようにするという目的があったようです。

宗教的祭祀の際やや一般の祭りなどでも踊られるようですが、とくに12月の植え付けの時期に踊られることが多いということです。
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今朝、カスカパロ市場の野菜売り場で買い物をしているときに言われたショッキングな言葉。

「あんた、いつも走っているらしいね。」

ええ、ケンコー遺跡とか、サン・セバスティアンまでとか・・

「ケンコー!すごいね。ねぇ、みんな言っているんだけど、あんた、娘っこ(chibola)に見えるけど、実は60歳なんだって?いつも運動しているから若さ保っているんだって?」

ひぇ!そんな失礼な。そこまで言っていませんって、実はxx歳。

「ああ、そうよね。で、若さ保つのに、朝、何食べているの?」

初めてそこの店で買い物したのに、そんな話が出てくるとは。少し驚いた都市伝説。まあ、クスコの田舎で一般女性がランニングするのはあまり見られないので、私が目立つのがわからなくないけど、それにしても・・ひどい誤解。

確かにいろんな人に実年齢を言ってびっくりされたことは何度かあって、
「しっかり運動して、バランスよく食べていれば、若さを保てるの!」
と健康生活を吹聴したりもしたんだけど、話がふくらむことってあるのかね。

それにしても、60歳とは、カズ(ペルーでは誰も知らない)よりかは年下なんだけど・・
これって都市伝説といえるのかも・・。

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