今日は 左手のピアニスト 舘野泉さんと
上皇后美智子さまとの交流を お届けします
『命の響』
左手のピアニスト
生きる勇気をくれる23の言葉 より
今日の演奏テーマ <いのちの言葉>
凍てついた冬に
萌えいづる緑が準備される
陰を通ってきたからこそ
光は美しい
世界と人生を抱きしめたい
2014年元日の新聞に掲載されていた
当時の皇后陛下美智子さまの御歌(みうた)
三首のうちの一つです
左手(ゆんで)なる ピアノの音色耳朶(ねいろ じだ)にありて
灯(ひ)ともしそめし町を帰りぬ
「ああ あの日のことを詠んでくださった」
舘野さんの心にもあたたかな灯が灯るようでした
2012年春~2013年秋にかけて 開催したツアー
「舘野泉フェスティヴァル ー 左手の音楽祭」
2013年11月10日
舘野さん77歳の誕生日でもある ツアー最終日
東京オペラシティに
美智子さまがお越し下さったその日を
舘野さんは 思い起していました
美智子さまと舘野さんのご縁
①フィンランドで (舘野さん44歳の頃)
1980年 皇太子妃だった美智子さまが
陛下とお二人でフィンランドを訪ねられたとき
舘野さんは 日本国大使公邸でお目にかかります
「よく美智子が あなたの話をしています」
陛下の言葉に驚くと 美智子さまが微笑まれ
音楽の話を始めました
美智子さまは 幼いころからピアノに親しまれ
シベリウスが とてもお好きとのこと
舘野さんのシベリウス収録のレコードも
よく聴いてくださっているとのことでした
両陛下が シベリウスの晩年の家 「アイノラ」を
訪問されたときの エピソードがあります
森の小径で美智子さまが スズランを見つけ
かがみ込まれたところに報道陣が押し寄せ
花を手折るポーズを 注文しました
しかし 「野のものは野に」 と優しく断られたそうです
翌日 新聞各紙がそのエピソードを大きく報じると
スズランがフィンランドの国花ということもあり 国民は大感動
いろんな人から
「プリンセス・ミチコのファンになったよ」
と声をかけられ 誇らしかった舘野さんです
②国内の演奏会で
舘野さんの演奏会に
美智子さまは 何度も足を運んでくださっています
左手のピアニストとして復帰したのちも
人生の節目となるコンサートには
必ずご隣席いただきました
「どれほど励まされたかしれません」舘野
③赤坂御所へのお招き (舘野さん57歳)
1993年12月6日
(新御所に移られる2日前で 最後の訪問客)
妹でピアニストの悠子さんと
悠子さんの夫でヴァイオリニストの広瀬八朗さん
3人でお招きいただきました
ピアノのある部屋には 両陛下のみ
フィンランドの独立記念日だったので
シベリウスの曲を演奏しました
「もう少し弾いてください」 と言われ
4・50分の演奏になりました
妹悠子さんとの連弾のときは
天皇陛下がピアノの椅子をもう一つ 別室から運ばれ
紀宮さま(現・黒田清子さん)が 椅子の高さを調節され
何の気取りも隔てもなく アットホームな雰囲気だったそうです
当時の美智子さまは 心労で声を失っておられ
メモ帳に書かれたものを 天皇陛下や紀宮さまが
読んでくださいました
舘野さんはふりかえります
「でも僕には 美智子さまがお話をなさらなかった
という印象は全くありません
ご存知の曲になると 美しいお声でハミングされ
何度も 心から楽しそうに笑っておられた
こんなに豊かで 魂が響き合うような会話ができたのは
生まれて初めてだと感じるほど 素晴らしい時間でした」
④美智子さまの 『樅の木』 演奏
舘野さんの演奏が終了したとき
美智子様が
「今 練習している曲を聴いていただけますか」と筆記され
シベリウスの 『樅の木』 を弾かれました
シベリウスのピアノ曲は
技術的にはそれほど難しくないのに
その魅力を引き出すのが 容易ではなく
ピアニスト泣かせの曲が多いと言われています
「美智子さまの演奏は
心があって実がある
音楽の芯を捉えた 見事な演奏でした
流れるようなタッチから生まれる 音の美しさ
それが多彩に変化していくさまは
天性のものだと思います
アイノラ(シベリウス晩年の森の住まい)の
冷たく澄んだ大気に包まれているような
清々しさを感じました」舘野
響をより深く 大いなる静けさのようなものを伝えるために
舘野さんがペダル使いをお目にかけると・・・
美智子さまは 注意深く目を凝らしていらっしゃいました
シベリウスの『樅の木』について
19世紀末 ロシアの圧政に苦しんでいたフィンランドで
独立運動が起こります
シベリウスは 『フィンランディア』 という交響詩を発表
歌詞をつけ合唱用に編曲された
『フィンランディア賛歌』 は愛国心を表現し
第二の国歌として親しまれています
ピアノ小品は 百数十曲にのぼりますが
あまり知られていなかったため
舘野さんが特に優れた22曲を選び
1971年 『シベリウス: ピアノ小曲集』 を発表
『樅の木』 も収録されています
シベリウスは30代後半 耳の病気がきっかけで
ヘルシンキを離れ 森の中に山荘を建てます
愛する妻アイノの名前にちなみ
「アイノラ(アイノのいる場所)」 と名付けます
自然とともにある静かな環境で
91歳になるまで 創作活動に打ち込むのでした
アイノラで創られた 『ピアノのための5つの小品 作品75』
各小品には 樹木の名前がついており
自然に対する深い愛情が伝わってくる美しい作品です
『ピヒラヤ(ナナカマド)の花咲く時』 『孤独な樅(マツ)の木』
『ポプラ(ヤマナラシ)』 『白樺』 『樅の木(トウヒ)』
そこで 舘野さんが 『樹の組曲』 と命名しました
ここで 気づくことになります
上皇后美智子さまの
「お印」は 「白樺」 なのです
シベリウスの曲想とともに
『白樺』 というタイトルの曲があることに
お心を惹かれたのではないでしょうか
美智子さまの回復
赤坂御所にお招きいただいたその夜(1993年12月6日)は
夕食をご馳走になり お庭をご案内していただき
御所を辞したのは夜9時でした
翌12月7日 紀宮さまから
舘野さんが感謝のお電話をいただきました
「昨夜は母が言葉を取り戻すかと思いました」
とおっしゃられ それは忘れられないできごとになりました
後の新聞記事で
12月7日 美智子さまは ささやき声ながらも
ゆっくりと1つの文章をお話しになられたとありました
しばらくは涙が止まらなかった舘野さんです
苦しみを越えてきた美智子さま
人を癒し 励ます力
①胸の奥まで届く言葉
美智子さまが 公務と療養を並行して続けられ
完全に回復されるまでには
半年間という時間が 必要でした
最初に言われた言葉は
「もう大丈夫。 私はピュリファイされました」
purify = 浄化する 純化する 精錬する
金属が不純物を取り除かれ 練り上げられ
強度を増すように
人も悲しみや苦しみを乗り越えることで
ピュリファイ(浄化)される
美智子さまの 回復時の第一声には
これからも そうして生きて行くという
覚悟も込められていたのかもしれません
言葉を取り戻された美智子さまは
傷ついた人々の心に
一層寄り添おうと されているかのようです
大きな災害があるたび
陛下と共に被災地を訪ね
避難所の床に膝をつき
優しく相手の手を握って励まされる
広島・長崎の被爆者や水俣病の患者さんと
懇談されます
「僕も病に倒れて以降 随分力づけて頂きました
美智子さまは 辛い経験も沢山され
痛みを ご存知だからこそ
そのお言葉には 人を癒す力がある
短い中に いろんな思いがこもっていて
胸の奥深くまで届くんですね」舘野
②美智子さまとの三手連弾
左手のピアニストとして 復帰して間もなく
美智子さまから 三手連弾のお誘いがありました
東京のフィンランド大使館が
美智子さまと ご成婚を控えた紀宮さまをお迎えし
「音楽を楽しむ会」を開いたときです
美智子さまの演奏がありました(N響などのメンバーとともに)
シューマン 『ピアノ四重奏曲』
モーツァルト 『ピアノと管楽器のための五重奏曲』
いよいよ サプライズ演奏として
美智子さまと 舘野さんとのピアノデュオです
吉松隆 『子守歌』 ピアノソロを三手用に編曲
世界初の三手連弾曲となりました
1台のピアノで 共に音楽を奏でている間
「ずっとピアノをお続けなさい」
というメッセージを送って頂いているように
思えた舘野さんでした
最後の一曲 <いのちの言葉>
~最初のテーマへの回帰
「美智子さまのように
苦難を糧に 人としての深みを増した方に出会うたび
僕はフィンランドの自然を思い浮かべます」舘野
海は凍結し 大地は雪に覆われ
零下20度~40度の厳しい冬が半年も続きます
でも6月になれば ピヒラヤの白い花が咲き
白樺の若葉が萌え始めます
日が沈まない白夜
すべての命が光り輝くような夏は
凍てついた冬にこそ 萌えいづる緑が準備される
陰を通ってきたからこそ 光は美しい
つらいこと 悲しいことも含めて
この世界と人生を肯定し
抱擁できる人間でありたい
<参考文献>
『命の響』 左手のピアニスト 生きる勇気をくれる23の言葉
舘野泉 (集英社 2015年)
ある日の空
上皇后美智子さまが
一度失った声を
取り戻されたときに
話された言葉
「もう大丈夫
私はpurify(ピュリファイ)されました」
purify = 浄化する とは
金属が不純物を取り除かれ
練り上げられ
強度を増すように
人も悲しみや苦しみを乗り越えることで
ピュリファイ(浄化)される
浄化に至るには
きっと
人と自分への 許しがあり
甘受して愛する
という行為が
不可欠なのでしょう
叩かれて不純物を出し
痛みに耐え
痛みを感謝していく
そのあとに
浄化=purify の境地に
至るのでしょう
美智子さまの言葉には
苦しみを乗り越えた清らかさが漂います
これからの人生の
励みと力になるよう
掲げていきたいと思います
今日も最後までブログにお付き合いいただき
ありがとうございました