『ノルウェイの森』 永沢さんの恋人 ハツミさんって どんな女性?
ハツミさんは『ノルウェイの森』では登場機会は少ないのですが、ただ村上の小説では その存在感は確かなものです。
映画『ノルウェイの森』でのハツミさんを 初音映莉子さんが演じております。
いったいどう書けばあんな風に、読者の中に 確固たる印象を残せるのでしょうか?
ハツミさんの 数少ない登場シーンの中で、特に印象的な場面を抜粋してみます。
ここで取り上げる場面:永沢さんのお父様御用達の高級レストランで、永沢さん、恋人であるハツミさん、そして僕の三人で会食をしている時、永沢さんが以前 僕とふたりで行った下品な性的行為を披露してしまいます。もちろん、意図的なのですが。ハツミさんと永沢さん、そして僕との会話は険悪なものになります・・・・
《永沢さんと喧嘩したハツミさんを、主人公が家まで送っていくことになります》
僕はタクシーを停めてハツミさんを先に乗せ、まあとにかく 送りますよと永沢さんに言った。
「悪いな」
と彼は言ったが、頭の中ではもう全然別のことを考えはじめているように見えた。
「どこにいきますか? 恵比寿に戻りますか?」
と僕はハツミさんに訊いた。 彼女のアパートは恵比寿にあったからだ。ハツミさんは首を横に振った。
「じゃあ、どこかで一杯飲みますか?」
「うん」と彼女は肯いた。
「渋谷」と僕は運転手に言った。
ハツミさんは腕組をして目をつぶり、タクシーの座席の隅によりかかっていた。 金の小さなイアリングが車の揺れにあわせてときどききらりと光った。
彼女の ミッドナイト・ブルーのワンピース はまるでタクシーの片隅の闇にあわせてあつらえたように見えた。
淡い色合いで塗られた彼女の形の良い唇がまるで 独り言を言いかけてやめたみたいに 時折ぴくりと動いた。
そんな姿を見ていると永沢さんがどうして彼女を特別な相手として選んだのか分かるような気がした。
ハツミさんより美しい女はいくらでもいるだろう、そして永沢さんならそういう女をいくらでも手に入れることができただろう。 しかしハツミさんという女性の中には何かしら人の心を強く揺さぶるものがあった。
そしてそれは決して彼女が強い力を出して相手を揺さぶるというのではない。 彼女の発する力はささやかなものなのだが、それが 相手の心の共振 を呼ぶのだ。※
※:最も最近の研究で、他人でも 本人と心が通じ合っていれば 二人の「脳の局所電場電位」の変動周期が同期するという研究結果があるようです。その結果って、ホントなのかな?
タクシーが渋谷に着くまでに僕はずっと彼女を眺め、
彼女が僕の心の中に引き起こすこの感情の震えはいったい何なんだろうと考えつづけていた。 しかし、それが何であるのかはとうとう最後までわからなかった。
僕がそれがなんであるのかに思いあたったのは 十二年か十三年あと のことだった。 僕はある画家をインタヴューするためにニュー・メキシコ州 ※サンタ・フェ の町 に来ていて、夕方近所のピツァ・ハウスに入ってビールを飲みピツァをかじりながら奇跡のように美しい夕陽を眺めていた。
世界中のすべてが赤く染まっていた。
僕の手から皿からテーブルから、目につくもの何から何までが赤く染まっていた。まるで特殊な果汁を頭からあびたような鮮やか赤だった。
そんな圧倒的な夕暮れなのだ、僕は急にハツミさんのことを思い出した。
そして そのとき彼女がもたらした 「心の震え」 がいった何であったのかを理解した。
それは充たされことのなかった、そしてこれからも永遠に充たされことのないであろう 少年期の憧憬 のようなものであったのだ。
そのような 焼けつかんばかりの無垢な憧れ をずっと昔、どこかに置き忘れてきてしまって、そんなものが かっての自分の中に存在したことすら長いあいだ思いださずにいたのだ。
ハツミさんが揺り動かしたのは僕の中に長いあいだ眠っていた〈僕自身の一部〉であったのだ。
そしてそれに気づいたとき、僕はほとんど泣き出してしまいそうな哀しみを覚えた。
彼女は本当に特別な女性だったのだ。 誰かがなんとしてでも彼女を救うべきだったのだ。
でも永沢さんにも、僕にも彼女を救うことはできなかった。 ハツミさんは―――人生のある段階がくると、ふと思いついたみたいに自らの生命を絶った。
彼女は 永沢さんがドイツに行ってしまった二年後に剃刀で手首を切った。
※:「サンタ・フェ」 宮沢りえさん の写真集〈撮影:篠山紀信〉で非常に有名になりました。
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生成AI、もしくは チャットGPT と、サリンジャーのほぼ最後の短篇『テディ』君との類似性。
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カンヌ国際映画祭で脚本賞ほか3冠を受賞した、村上原作の映画『ドライブ・マイ・カー』について。
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使用書籍
ノルウェイの森 (下) (講談社文庫) ペーパーバック – 2004/9/15
村上 春樹 (著)