生成AI、もしくは チャットGPT と、サリンジャーのほぼ最後の短篇『テディ』君との類似性。

 

 

「心」は、身体のどこにどのように表現されているのか? サリンジャーの短篇作品集「ナイン・ストーリーズ」最終話、『テディ』の哀しさ

 

 

問い:

人間の「こころ:心」はどこにありますか?

 

「心、みんなの脳にあるんじゃないの?!」

 

それだと、チコちゃんに叱られますよ!? たぶん。

 

 

サリンジャーが、1963年にノーベル医学生理学賞を授与されたエックルスの唱えた「脳と心の二元論」心は、脳と別のところにあるを知っていたかどうか・・・・時代的にはサリンジャーのほうが、1950年代、エックルスの10年以上前に活躍した人だと思います。

サリンジャーは後年小説を書けなくなったようですので、彼、最後の作品は、実質的に中篇小説(短編と中篇の混合)「フラニーとズーイ」だと認識しております。

 

ここで焦点を当てる小説は、サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」の中の『テディ』で、最終小説「フラニーとズーイ」の一つ前の小説です。

 

サリンジャーは『テディ』で、

 

「脳と心の二元論」

 

書いてしまったのです(たぶん、ほとんど意識しないで)。

 

 

現在、「脳と心の元論」を信じる脳研究者は、(ほとんど)皆無ですが・・・。

 

じゃあ、「こころ」脳のどこに、どういうふうにあるの、と問われて明確に答えられる脳研究者もいないのです。何がしかの仮説をもっている脳研究者はいるのでしょうが、彼らが口を開くことは、引退しても、ほぼありません。実験(知見)事実と「こころ」との距離があまりにもありすぎるのです、たぶん。

 

 

 

参考資料:初めて「ナイン・ストーリーズ」にふれる方のための

『テディ』の物語的概述

 

成長不良の10歳の “天才少年テディ君” に、サリンジャー自身の願い を載せた、渾身の一作。

 

人間の脳は何をしているのか、“こころ”とは、いったいどのように動物(人を含む)に発現するのか?  どうやら、テディ君は禅の「瞑想」によって、10歳にして、その答えの一端、あるいは全体像を掴んだようなのである。テディ君はヨーロッパを舞台に、名だたる教授陣を相手にセミナーをして回っている。今も、家族4人、豪華客船に乗り講演旅行の最中なのです。

 

 

テディ君には、隻手(せきしゅ)の声―――【両手を打ち合わせると音がする。では隻手(片手)ではどんな音がするのか、という禅の問い】――――を聴くことが出来る能力が備わっているようです。

 

 

物語は テディ君の6歳の妹、ブーパーちゃんの、プールのある、船の地階、Eデッキからの悲鳴で、唐突に終る。

 

 

【本当に唐突感満載の変な話にみえるのです】

 

私は、現在のように生成AI とか チャットGPT の世の中になる前にこの物語テディ』を読んで、「あぁ、この少年は、実は心とか感情をどこかに置き忘れてきた少年なんだ」と感じて、何度か再読してみました。その解釈で、特に不都合を感じませんでした。  無理筋とは思いましたけど。

 

 

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「ナイン・ストーリーズ」の、最終9話『テディ』について、の村上と柴田の短い会話。

 

 

『Monkey』vol. 9 から: サリンジャー短編集「ナイン・ストーリーズ」の、最終作品『テディ』につての村上と柴田の共通認識的会話。

 

作品『テディ』は、この短編集「ナイン・ストーリーズ」の中で、村上が、そして友人の柴田が最も評価していない短編です。『テディ』は、この 短編集の最後の、〆の作品です。サリンジャーの。

 

 

 

彼らの発言を(短いですので、すべて)抜粋して記述してみます:

 

 

村上:サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」は「セブン・ストーリーズ」でもいいんじゃないかな、僕は思っていました()。

 

柴田:僕は「エイト・・・・」かな。最後の『テディ』は訳していて辛かった()。

 

村上:ちょっと作り過ぎだよね。

 

柴田:あの世界に入り込んでしまったから、サリンジャーはその後書けなかったんだろうなって思いました。

 

 

 

[二人の会話の背景]

 

村上と柴田の上記だけの会話では、いったい何のことを言ってるの?と言う方がおられると推測されますので、少しだけ私の解説を付け加えます。

 

 

柴田の言う、あの世界というのは “さとり” の世界(座禅のような、東洋の仏教世界:この世の真理のようなもの)を指すのだと思います。サリンジャーは晩年(?)に感化されてしまったようなのです。自身の救いを、そこに求めたのかもしれません。

 

テディ君が、齢10歳にして、到達した“さとり” 脳に閃いてしまった “さとり” の意味 ついでに、心とは何か? もわかってしまった。

 

   世界中の有名な教授達 が、大挙してテディ君の講演を聴くために会場に詰めかけた、そんな話ですから。

 

確かに、村上と柴田が感じたように、それだと小説家としては行き止まりになる可能性はあるかも・・・。

実際、すぐに行き止まりになったのですけれど。

 

 

ただ、私の感想(考え)は、この作品『テディ』に関しては彼ら、村上と柴田とは、少し違います。

 

サリンジャーが、何処にも行きつけなかった、というのには賛成なのですが・・・。

 

 

ただ、昨今の 生成AIとか チャットGPT の進歩を目にすると、「心」って何なの?への解答を望む サリンジャーの願いが、仄かに見えてくるのです。 

 

「心の救済への道」

 

が見えてきてほしい・・・・そういうことなのです。

 テディ君は、「心の原理が解ってしまった」可哀そうなAI人間ではなく、

 

サリンジャー自身の希望でもあったのです。結末はどうであれ。

 

 

 

上記のような文章を続けても、文学の専門家ではない哀しさで、ますます雑文となり、つまらないものになります。

 でも、何か引っかかるものを感じた方がおられましたら、サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」、特に最後の9番目『テディ』で、どうぞ10歳の少年の物語を実際に読んでみてください。 テディ君と 生成AI との類似性・整合性について・・・・

 

 

「ああ、言いたいこと何となくわかるよ!?」

 

と感じていただけることを、少しだけ希望します(こんなにいっぱい書いたのですから)

 

※:村上と柴田は、自分たちが「脳と心の問題」、そんなことを話しているとは思ってもいないでしょうが・・・・。

 

 「ナイン・ストーリーズ」には他にも詳しく紹介したい作品がありますので原文の英文を交えて紹介します、いつか。

 

 

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村上は、「小説を書くコツは?」という問いに:

 「書き過ぎないこと!」

と言っております。

 

「小説」のところを「文章」に変えても、それは結構成立します。

いっぱい書いて、だんだん意味不明に・・・・・

 

 

 

[使用書籍]

1:ナイン・ストーリーズ (ヴィレッジブックス)

J.D.サリンジャー 、 柴田元幸 | 2012/7/20

 

2:MONKEY Vol.9 短篇小説のつくり方 雑誌 – 2016/6/15

柴田元幸 (編集), 村上春樹 (その他)