『ノルウェイの森』に出てくる人生の教訓・道標
『ノルウェイの森』には教訓、あるいは教訓に類した言葉がちょくちょく出てきます。それは主人公の言葉であったり、他の登場人物、たとえば永沢さんの言葉として。
もちろん、これらはすべて、著者である村上の言葉であることはあたりまえなのですが、少なくとも私は、登場人物が本当に言った言葉として記憶してしまいます。
以下に20カ所、登場人物が発した 教訓的フレイズを抜粋してみます。中には「これが教訓的?」というのもありますが。
物語進行順に提示しますので、出現する場面は想起しやすいと思います。
上巻:
1.主人公の親友、キズキが自死して残された僕、ワタナベ君が思ったこと。『ノルウェイの森』ではいちばん有名な言葉。(ただし、村上オリジナルではないかも)
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」
参考:『ねむり』の延長線上に「死」があるのではなく、「死」は『永遠の覚醒』と同義である。
小説『ねむり』より、わたしの解釈。
2.山手線沿いのある駅(高田馬場だそうです)近くにある学生寮の二級先輩、永沢さんの言葉。
「現代文学を信用しないというわけじゃないよ。ただ俺は 時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費やしたくないんだ。人生は短い」
3.寮の先輩、永沢さんを評しての主人公の印象。
永沢さんはいくつかの相反する特性をきわめて極端なかたちであわせ持った男だった。
彼は時として僕でさえ感動してしまいそうなくらい優しく、それと同時におそろしく底意地が悪かった。びっくりするほど高貴な精神を持ちあわせていると同時に、どうしようもない俗物だった。
4.主人公が永沢さんに訊ねます。
「ねえ、永沢さん。ところであなたの人生の行動規範っていったいどんなものなんですか?」
「お前、きっと笑うよ」と彼は言った。
「笑いませんよ」
「紳士であることだ」
「紳士であることってどういうことなんですか?」
「自分がやりたいことをやるのではなく、やるべきことをやるのが紳士だ」
5.大学で、主人公と同じ『演劇史Ⅱ』をとっているミドリ(緑)との会話。お金持ちの利点について。
「ねえ、お金持であることの最大の利点ってなんだと思う?」
「わからないな」
「お金がないって言えることなのよ」
「たとえば私がクラスの友だちに何かしましょうよって言うでしょ、すると相手はこう言うの、『私いま お金がないから駄目』って。逆の立場になったら私とてもそんなこと言えないわ」
6.京都山奥の療養所で、主人公ワタナベ君と直子との会話。主人公が自分のことを「普通の人間だよ」という発言を聞いて。
「ねえ、自分のことを普通の人間だという人間を信じちゃいけない と書いていたのはあなたの大好きなスコット・フィッツジェラルドじゃなかったかしら?」と直子はいたずらっぽく笑いながら言った。
7. 主人公と直子の親友、死んだキズキについての ふたりの会話。
「どうしてキズキ君と寝なかったのかって訊いたわよね?」
「たぶん知っていたほうがいいんだろうね」と僕は言った。
「私もそう思うわ」と直子は言った。
「死んだ人は ずっと死んだままだけれど、私たちは これからも生きていかなきゃならないんだもの」
8. 上記と同様、主人公と直子との会話。直子とキズキとの関係について。
「たぶん私たち、世の中に借りを返さなくちゃならなかったからよ」と直子は顔を上げて言った。
「成長の辛さのようなものをね。私たちは支払うべきときに対価を支払わなかったから、そのつけが今まわってきているのよ」
下巻:
9.京都山奥で療養中のレイコさんがワタナベ君に語る、一部の天才少年・少女の顛末について。
「・・・・結局のところその子はきちんとした訓練に耐えることができない子なのよ。世の中にはそういう人っているのよ。
すばらしい才能に恵まれながら、それを体系化するための努力ができないで、才能を細かくまきちらして終わってしまう人たちがね。 努力する訓練を叩き込まれていないからよ。 そして叩かれるということを知らないまま、人間形成に必要な ある要素をおっことしていってしまうの」
10.クラスメイトのミドリとの会話。二人はまだそんなにお互いのことを知らない関係の時。
「じゃあ私のことをもっとよく知ったら、あなたもやはり私にいろんなものを押しつけてくる? 他の人たちと同じように」
「そうする可能性はあるだろうね」と僕は言った。
「現実の世界では人はみんないろんなものを押しつけあって生きているから」
「でもあなたはそういうことをしないと思うな。なんとなくわかるのよ、そういうのが。押しつけたり押しつけられたりすることに関しては私はちょっとした権威だから。あなたはそういうタイプではないし、だから私あなたと一緒にいると落ちつけるのよ。 ねえ知ってる?」
「世の中には いろんなものを押しつけたり押しつけられたりするのが好きな人ってけっこう沢山いるのよ」
11.緑とワタナベ君の会話。緑がワタナベ君に訊きます。勉強することの意味について。
「ねえワタナベ君、英語の仮定法現在と仮定法過去の違いをきちんと説明できる?」と突然僕に質問した。
「できると思うよ」と僕は言った。
「日常生活の中で何かの役に立つということはあまりないけどね」と僕は言った。
「でも具体的に何かの役に立つというよりは、そういうものは物事を系統的に捉えるための訓練になるんだと僕は思っているけれど」
12.ワタナベ君と緑の会話。形而上的思考、数カ国語の習得が役に立つのかと問われて。
「それが何かの役にたつのかしら?」
「それはその人次第だね。役に立つ人もいるし、立たない人もいる。でもそういうのはあくまで訓練なんであって役に立つ立たないは次の問題なんだよ」
13.緑が大学のフォークソング・クラブで 似非マルクス主義を強いられて。
「ねえ、私にはわかっているのよ。私は庶民だから。 革命が起きようが起きまいが、庶民というのはロクでもないところでぼちぼちと生きていくしかないんだっていうことが。革命が何よ? そんなの役所の名前が変わるだけじゃない」
14.ミドリの父親が入院している病院で、主人公が父親に話しかけている。さりげなく自説を述べている。
みんなの正義がとおって、みんなの幸福が達成されるということは原理的にありえないですからね、だからどうしようもないカオスがやってくるわけです。
15.寮の先輩、永沢さんとの会話。「努力」について。
僕はあきれて永沢さんの顔を眺めた。「僕の目から見れば世の中の人々はずいぶんあくせくと身を粉にして働いているような印象を受けるんですが、僕の見方は間違っていんるんでしょうか?」
「あれは努力じゃなくてただの労働だ」と永沢さんは簡単に言った。「俺の言う努力というのはそういうのじゃない。努力というのはもっと主体的になされるもののことだ」
16.これは小説での永沢さんの言葉をまとめて表現してみたもので、実際には記述はありません。骨子としての会話です。自分の周りの官僚たちを指して。(全体項目数を、切の良い20個にするためです)
「あいつらみんなバカさ。 自分の頭の悪さを 記憶力でカヴァーしている だけなのさ」
17.永沢さんが、自分の恋人ハツミさんと言い争いになって。永沢さんの言葉。
「君にはどうもよくわかってないようだけれど、人が誰かを理解するのはしかるべき時期がきたからであって、その誰かが 相手に理解してほしいと望んだからではない」
18.永沢さんは司法試験に合格し研修へ、僕は期末試験を終え進級。
各々が別々の方向に向かって進みます。主人公は泥沼の中へ。
「ま、幸せになれよ。いろいろありそうだけれど、お前も相当に頑固だからなんとかうまくやれると思うよ。ひとつ忠告していいかな、俺から」
「いいですよ」
「自分に同情するな」と彼は言った。
「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」
「覚えておきましょう」と僕は言った。
そして我々は握手をして別れた。彼は新しい世界へ、僕は自分のぬかるみへと戻っていった。
19.レイコさんから主人公への手紙。
私たちは(私たちというのは正常な人と正常ならざる人をひっくるめた総称です)不完全な世界に住んでいる不完全な人間なのです。
定規で長さを測ったり分度器で角度を測ったりして銀行預金みたいにコチコチと生きているわけではないのです。でしょ?
20.主人公がレイコさんに、直子の自死について自身の考えを話します。少し長めに記述。
1. で記述したこと「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」とほぼ同義?
たぶん僕が途中で放り出さなくても結果は同じだったと思います。 直子はやはり死を選んでいただろうと思います。でもそれとは関係なく、僕は自分自身に許しがたいものを感じるんです。 レイコさんはそれが自然な心の動きであれば仕方ないって言うけれど、僕と直子の関係はそれほど単純なものではなかったんです。
考えてみれば我々は最初から生死の境い目で結びつきあってたんです。
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1年前の今日と一昨日、わたしが upload したブログです。
1年前の今日あなたが書いた記事があります
村上春樹の『午後の最後の芝生』、この短編がいちばん好きというは読者はかなり多い。どうして?
1年前の今日あなたが書いた記事があります
村上春樹の新作『街とその不確かな壁』を読んでモヤモヤが残っている方の参考になるかもしれません。
使用小説:
ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫) 文庫 – 2012/3/13
村上 春樹 (著)