村上春樹の『午後の最後の芝生』は読者に何故評判が良いのか?
わたしも、かなり好きです。女主人の明確な映像が浮かんでくるのです。
村上は、この小説『午後の最後の芝生』を「中国行のスロウ・ボート」の7作品の中で(最も)評価していないらしい。確か、彼のエッセイか何かでそう書いていたと思います。その時、なぜ、と私は村上の評価に違和感を覚えたので、結構深く記憶に残ったのです。
私は、7作品の中で最も印象に残ったのは、この作品『午後の最後の芝生』だったのです、巻頭の『中国行のスロウ・ボート』よりも、です。
この作品『午後の最後の芝生』は、他の6作品に比べて(意味の明確な『シドニーのグリーン・ストリート』を除いて5作品かな?)、明らかに読みやすく、謎じみたところもほとんどないのです。
他の作品に比べて、謎が希薄だったことが、村上がこの作品を評価できない原因のひとつかも・・・・・、などと勝手に考えております。
[物語]
この物語はアルバイトで庭の芝刈をしている19歳の男の子の話です。僕は大学生、ちょっとした行き違いからガール・フレンドと別れることになります。僕はすべてを一旦零にして再生しようとするのですが、アルバイト先の社長に言われます「あんたは仕事も丁寧だし、場所の文句も言わないし、評判も良いんだよな。あんたがいなくなると寂しいしいんだよ」と。
続けて「辞める前に、もう一軒芝を刈ってほしい案件があるんだけど、お願いできないかな」
僕は言います。「いいですよ。どちらですか?」
「小田急線の 読売ランド前 の近くだよ」
僕は今、その家、小田急線沿いの駅、「読売ランド前」の近くにある、広い庭をもっているが、こじんまりした感じの家に来ております。 そうです、読売ランド前から女子大への上り坂の途中にある、あの古い家です。
古さがとても良く似合う不思議と印象に残るあの家です。僕は、そこの芝生を刈っています。
暑い日でしたからミネラル・ウォーター飲みつつ作業を続け、昼になると、その家の主人、中年の女性がサンドイッチを出してくれた。彼女も僕と一緒にサンドイッチを食べ、彼女はそのあとビールを飲んでいた。12時半に僕は仕事に戻った。
最後の午後の芝生だ。
仕事が終わると女主人が言います。「あんた、仕事が丁寧でうまいね。来月もまた来なよ」
「来月はだめなんです」と僕は言った。
「どうして?」
「今日が最後の仕事なんです。そろそろ学生に戻らないと単位がヤバいんです」
「学生なのかい?」と女主人。
続けて「急いでんのかい?」と女が訊ねた。
僕が首を振ると。
「じゃあ、うちにあがって冷たいものでも飲んでいきな。あんたにちょっとみて欲しい物があるんだ」
女が僕に見せてくれたのは2階の年頃の女の子の部屋だった。部屋は綺麗に整理されており、僕はすぐに、この部屋の住人は、もうこの世界にいないということに気が付きました。
その女はベッドに腰をおろしたままじっと僕をみていた。ただ、実は、女は何も見ているわけではなく、何か別の事を考えていることが感じ取れた。
「何か飲まないか?」と女は言った。僕は断った。
「この部屋、どう思う」と女は言った。「彼女についてさ」
「会ったこともないのに、僕にはわかりませんよ」
「感じでいいんだ。どんなことでもいいよ。ほんのちょっとしたことでも聞かせてくれればいいんだ」
僕はちょっとした印象を女に話します。女は本当にうれしそうに僕の話を聞いています。
「ひきとめて悪かったな」としばらくあとで女は言った。「芝生がすごくきれいに刈れたからさ、嬉しかったんだよ」
「どうも」と僕は言った。
それ以来、僕は芝生を刈っていない。
と、こんな話です。
謎、ありました? ないですよね。
でも、なぜか、この物語は記憶に残るんですよね。
[掲載小説]
村上 春樹 | 1997/4/18