紫式部
源氏物語
光源氏
光GENJI
と
いかんなローラースケートはいてる
人たちが出てくる💦
平安時代を題材にした大河ドラマ
珍しいよな と
清少納言(枕草子 春はあけぼの)
はファーストサマーウイカが演じるんやな
平安時代って長く
794年に桓武天皇が都を移してから
あの 鎌倉殿の13人の時代
まあ1185年ごろまで
400年近く続いているんですね
紫式部や
藤原道長(娘を次々に天皇の
★この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なしと思へば )
の時代は900〜1000年代
ちょうど後半に差し掛かるころ
平安時代は貴族がまあ
なよっと暮らしていたのが私のざっくりした
イメージ
※紫式部という名前は、もちろん実名ではない。式部が女房として宮中に出仕する際、仮に付けられた名前に過ぎない。これを召名という。召名とは、いわゆる源氏名のことで、職業に従事する女性が付ける名前である。
たとえば、現在でもスナックなどに行くと、本名を名乗らず、ニックネームを名乗るのと同じことである。では、なぜ召名を付ける風習が生まれたのだろうか。当時、実名は諱(忌名)といい、死後に名付けられる慣習があった。
したがって、相手を実名で呼ぶことは不吉であったり、無礼なことであると考えられていた。
当時、宮中の女房は、父や兄弟の官職名と氏の一字を組み合わせて呼ばれることがあった。式部の兄弟は式部省に勤めていたので、「藤式部」と称されていた可能性がある。
その後、式部は『源氏物語』を執筆したので、主人公の「紫の上」にちなんで、いつの頃か「紫式部」と呼ばれるようになったという。むろん諸説あるので、式部の名は今後の検討課題であろう。※
その裏で農民は飢えに苦しんでいたり
貴族が増えすぎて
その貴族が地方に散らばり
まあ 以前も記事にしましたが
武士というものが出来てくるのも平安後期
どのような背景で
源氏物語がうまれるのか
注目して視聴させていただきます☺
藤原道兼
サイコパスな描かれかたやったな💦
※兄の道隆にすべてがかなわず、父の愛情に飢えている。その苛立ちの矛先が道長に向くことも。紫式部(まひろ)との間には、ある因縁が…という役どころ。
まひろの父
藤原為時も政治的身分は低く
生活は苦しい様子
同じ藤原でも勝ち組負け組があった模様