娘にとっても、

そして親である私たちにとっても、

大学進学は大きな人生の分かれ道となりました。

 

地元の大学ではないため、

娘は都会へ出ていくことになります。

 

推薦入試で合格した人たちが、

先に学生マンションや学生寮の契約をしていきます。
おそらく、

どこの大学でも同じような状況なのではないでしょうか。

 

そのため、一般受験の合格発表の頃には、

条件の良い物件はほとんど埋まってしまっています。

 

地方から進学する場合、

内覧もできないまま物件を決めることも少なくありません。
我が家もまさにそうでした。

 

「ここはいいかもしれない」と思っていた物件も、

押さえることすらできず、

結局、合格発表後でなければ契約ができない状況でした。

 

家賃の問題、治安の問題、大学への通いやすさ。
考えることはたくさんありましたが、

やはり一番心配だったのは、女の子の一人暮らしという点でした。

 

しかも娘の場合、

同じ高校からその大学へ進学する人は一人もいません。
知り合いが誰もいない環境に飛び込むことになります。

 

だからこそ、

学生マンションや学生寮を希望していたのですが、

残念ながら空きは一つもありませんでした。

 

その結果、私たちは別の条件にこだわることになります。

 

家賃は少し高くても、
大学に通いやすい場所。
交通の便が良いこと。
そして治安が良いこと。

 

そんな条件を優先して物件を選びました。

 

さらに娘は、

大学を卒業したあともその地域で就職したいような話をしていたため、

「そのまま住めるように」と家具や家電も一通り揃えてしまいました。

 

そして、オートロック、2階以上といった条件も付けました。
すべては、親である私たちが安心したかったからです。

 

ですが結果的に、私たちは娘に
「快適で自由な一人暮らし」をプレゼントしてしまったのかもしれません。

 

これは、私にとって大きな反省点です。

 

もし、ここまで自由度の高い一人暮らしではなかったら…

 

娘は、もう少し普通の大学生活を送っていたのではないか。
たまに推し活を楽しむ程度で、

あそこまで無茶な推し活をすることも、

メン地下にのめり込むこともなかったのではないか。

 

もちろん、本当のところは分かりません。

 

それでも、二度も休学するような事態にはならなかったのではないかと思うと、
あの快適で綺麗なマンションを選んだことを、今でも後悔してしまいます。

こうして振り返ってみると、

娘がアイドルの推し活に

どんどんのめり込んでいくきっかけを作ったのは、

やはり親…

すなわち私だったのではないか、

と思うことがあります。

 

学校にまったく居場所がなかったわけではありません。
ただ、当時はコロナ禍でもあり、

思い描いていたような高校生活ではなかったのだと思います。

 

その寂しさを埋めてくれたのが、

キラキラしたアイドルたちの存在でした。
歌やダンス、ドラマや映画。
娘にとっては、楽しい時間だったのだと思います。

 

「推しは推せる時に推せ」

 

そんな言葉があるように、

今はどのジャンルでも、どの年代でも、

夢中になれるものがある時代です。

 

だからこそ、

私は推し活そのものを悪いものだと思ったことはありません。
推しがいることで活力が湧いたり、

勇気をもらえたりすることもあります。
気持ちの面でプラスになることが多いことは、

私自身も理解しています。

 

ただ、問題はその「方法」だったのだと思います。

 

高校生のうちは、身の丈に合った応援の仕方をする。
それが本来の推し活ではないかと、私は思っていました。

 

けれど、この考え方自体が、

今の時代には合わないのかもしれません。

 

そして、ここでも私の反省点があります。

 

推し活について、

私はつい頭ごなしに文句を言ってしまっていました。

 

「そんなにグッズを買ってどうするの?」
「そんなにたくさんいらないよね?」

 

そんなふうに、否定から入ってしまっていたのです。

 

これでは、娘が良い気持ちになるはずがありません。

 

もし、もう少し言葉を選んで、やわらかく会話をしていたら…

 

大学生になってから、

ここまで羽目を外した推し活や、

メン地下にまでのめり込むことはなかったのではないか。

 

そんな後悔を、今でも感じています。

 

過去に戻ることができないのが、やはり一番つらいですね。

ただ反省するだけではなく、

声に出したり、文字にして目にしたりしないと、
どこかでその想いは伝わらないのではないか。
そんな気がしています。

 

今振り返ると、高校生になった娘に対して、
私は少し期待をかけ過ぎていたのかもしれません。

 

大学進学を見据えて選んだ高校。
もちろん最終的に選んだのは娘ですが、

そのレールを引いたのは旦那さんでした。
旦那さんは、

最初から大学進学を視野に入れていたからです。

 

一方で、私の考えは少し違っていました。

 

今思えば、少し甘い考えだったのかもしれませんが、
「女の子なのだから、何か手に職をつけた方がいいのではないか」
「専門学校で専門的な知識や技術を学ぶ道もあるのではないか」

 

そんな、少し昭和的な考え方を私は持っていました。

 

そもそも夫婦の足並みが揃っていなかったこと。
これも、今振り返れば大きな反省点の一つだと思います。

 

娘の気持ちをもっとしっかり確認して、
大学進学なのか、専門学校なのか、
それとも別の道なのか。

 

もっと時間をかけて話し合うべきだったのではないかと、

今になって思います。

 

当時の娘は反抗期でもあり、

正直なところ「扱いにくい」と感じていた部分もありました。
そのため、できるだけ揉めないように、

言葉を選びながら会話をしていたように思います。

 

その結果、娘から相談されることもあまりなくなり、
自分の好きなことにだけ、

どんどん没頭していったのではないかと感じています。

 

そして今振り返ると、こんなことも思うのです。

 

大学進学をすれば、推しがいる地域に行ける。
娘は、自分の将来のためというより、
推しがいる場所に住むために勉強していたのではないか。

 

そう考えると、
娘を「反抗期で扱いにくい存在」と決めつけてしまった私の対応も、
一つの原因だったのかもしれません。

 

もちろん、動機がどうであれ、
あれだけ成績が下がっていた娘が大学に合格したことは、
娘なりによく頑張った結果だったとも思っています。