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ドーベルマンボルドー裏ブログ

ドーベルマンボルドーブログ別館
というより、いまや本館(笑)

ー大切な友へー

十数年前、あなたの家にやってきた小さな命。
その瞬間から、日々の景色は少しずつ色づいていったことでしょう。

眠る姿に癒され、鳴き声に微笑み、ふとした仕草に心を奪われる…
愛しい小さな命との暮らしは、かけがえのない「日常」であり、「奇跡」です。


いま、その小さな命が、ゆっくりと旅立ちの支度をしていると聞きました。
どうしようもない哀しみと、言葉にならない想いに包まれているあなたの気持ちを思うと、胸が締めつけられます。



でも、きっと愛しい小さな命は知っています。
どれだけ大切に想われてきたかを。
どれだけ深く愛されていたかを。
だからこそ、あなたのそばで、
最後の時間を過ごしたいと思ってくれているはずです。



弱っていく姿を見るのは、とてもつらいことです。
けれど、今こうして寄り添える「時間」こそが、
あなたと愛しい小さな命にとっての贈り物なのかもしれません。

やさしく撫でてあげる手、名前を呼ぶ声、そっと隣に座るそのぬくもり。
すべてが、愛しい小さな命にとって最高の愛なのだと思います。

涙がこぼれてもいい。苦しくて言葉にならなくてもいい。
ただ、あなたがそばにいてくれること、それが何よりのしあわせなのです。



この先、どんな別れが訪れようとも、あなたと愛しい小さな命が築いた愛は決して消えることはありません。
心の奥で、ずっと、生き続けていきます。
どうか、たくさん抱きしめて、たくさん想いを伝えてください。



その小さな命に、ありがとうをこめて。

 

ドーベルマンズの裏庭にてCooより

 

 

とある日裏庭で見上げた空

 


 

 

2017年5月1日。14歳と7か月で虹の橋を渡ったボルドー。
ドーベルマンという犬種の寿命で考えればとてもご長寿でした。

 

 

 

でも、もっと一緒にこの世に居て欲しかったな。

 

そんな飼い主の儚い願いには、

「健康で元気に走り回れる状態で」という理想が含まれるのだけれども…

 

加齢により脚が弱り走るどころか歩けなくなって、
寝たきりの介護が数年続いていたボルドー。

 

精悍で元気でカッコよかったボルドーが日に日に弱っていく姿を
見せられ世話することには意味があったと今は思う。

 

 

今年もボルドー犬舎八重桜は満開でした

 

 

ボルドーから始まったドーベルマンズの裏庭での生活。
ボルドーと出逢ってから生まれてきて良かったと心から思えたワタシ。

 

 

 

14年半ずっと寄り添ってくれたボルドーとの別れは
ゆっくりしたものでなければならなかった。

 

もうこれ以上、こんな状態で生きているのを見ていられないと思うまで
 

ワタシがボルドーとの別れを納得するまで頑張ってくれたボルドー。


 

毎年、ボルドーの命日には花が咲きます。

 

ボルドー犬舎横の季節外れの彼岸花だったり
供花で頂いたバラの挿し木が育ったバラだったり。

 

 

そして今年はピンク色のハイビスカスが咲きました。

 

 

去年もたくさん咲いてくれたハイビスカス 今年一番咲きの花

 

 

メッセージをありがとうボルドー

 

 


人間は生きている限り、何かを学び続ける

ーレオナルド・ダ・ヴィンチー

 

 

 

次の本は何にしようかと選ぶとき、
 

最近はu-nextのポイントを使い電子書籍を購入することも選択枠に入れた。

 

とはいえ、ついつい無料で読めるものを目は追いかける(笑)

 

そこで見つけ読んだ無料で提供されていた短編小説に、
 

引き込まれ、考えさせられ、自分の答えが出せず、心に刺さったまま。

 

きっと死ぬまでずっと考えさせられるだろうと思う。

 

 

 
 
 
 

 

 

小説のなかの近未来、日本にも法律で安楽死が認められることになる。

 

主人公である夫婦は自分たちが若いときから、老いぼれて身体に自由がきかなくなったり認知症になったりで家族や周囲に迷惑をかけたくはない、

自分たちの命の終わりは安楽死が認められたら安楽死にしようと考えていた。

 

安楽死が法で認められたのは夫が定年退職の年。
早速夫婦は揃って安楽死登録を行う。

 

しかしその直後、夫は認知症を患い日々症状が悪化していく。

認知症になった夫から見える世界がとても細かく表現されていて、
ふと我に返ったかと思えば全く別の年齢である自分の記憶のなかに戻されたり、

記憶が日に日に錯乱していく様子が、私の母親(認知症)と重なり
こんな感じなのか・・・と、食い入るように読んだ。

 

安楽死登録をしていた夫の最期は薬物による安楽死。

家族が見守る中、これが彼(夫)の願いだったからと、
妻や子供たちは納得しながら見送ろうとするが、
当人(夫)は、まだまだ生きていたい!と心の中で叫ぶ・・・。


 

安楽死についても深く考えさせられる小説だった。

安楽死の是非を問う議論は人間の尊厳と生命の神聖性の対立に直面する。

 

安楽死に関して私個人は、生命の神聖性を重要視しているので、
生命はたとえ苦しみがあったとしても他者からの死への手助けは借りず、
命が終わるときまで生き抜くのが良いと思うのだが、、、
 

それは今だからそう言えるだけなのかもしれない。

今現在はオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダ、スイスなどの
一部の国で安楽死や医師による自殺幇助が法で認められている。

 

 

 

2025.4 今年もドーベルマンズの裏庭に梅が満開

何年前だったのかもう忘れてしまったが、

知人が放った「死ぬことは悪いことじゃないよね」という言葉を
今でもときどきふと思い出す。


思い出すというより頭にこびりついているといった方がいいのかもしれない…


その言葉をはじめて聞いた時は、
少しだけ驚いて漠然と「そうだよな」と思った。


なぜ驚いたのかは、言わずもがなワタシは死を悪いものだと思っていたからで、
漠然と「そうだよな」と思ったのは生き物の本能からだったように思う。



ドーベルマンズとの死別から、ワタシはメンタルカウンセラーと悲嘆療法士の資格を取得したが、
その理由は2つ。


ドーベルマンズとの死別で自分に起こった深い悲しみと喪失感を
悲嘆心理学を学ぶことでしっかり理解したかったから。
もうひとつは、その知識が少しでもワタシと同じ状況になった人の
役に立てばいいなぁ~と思ったから。
(死への考え方が様々な分だけ悲嘆の様子も人それぞれなので
基本的療法しか出来ないけれどね)

 

 

今年の裏庭積雪 足あとはつかない



 

大切なものを失ったときの痛みは計り知れない。

でもそれは「死そのものが悪である」というより、
愛する存在と別れることの苦しみからくる感情であり、
もし死が悪そのものであるならば、この世に生を受けること自体が
罰であるかのような矛盾が生まれてしまうのだ。



さて、「死ぬことは悪いことではない」という言葉には、
私たちが日常的に抱く「死」への恐怖や否定的な感情に対する
挑戦的な視点が含まれていて、この考え方を深堀していくことで、
生と死の意味や、生と死のあいだに存在する生命の在り方について
考察する機会が生まれる。

ワタシの頭にこびりついて離れないこの言葉は、
なんでもないときにふと現れては自分自身と向き合う機会を提供してくれるようになった。

 

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