今日、私は久しぶりに「龍神様」に会いに行った。
けれどそこは、かつて足を運んでいたあの場所ではなかった。

琵琶湖の畔、静かな風と水の気配に包まれていた藤ヶ崎神社は、土砂崩れの危険により、閉鎖されていた。
藤ヶ崎龍神社公式インスタアカウントです。
全国から多くの龍神信仰の方々が参拝に訪れ、また貴族・巨勢金岡がこの地の絶景に心を奪われたという逸話もあるほど、多くの方々に愛されてきました。しかし現在、山側で土砂崩れが発生し、安全確保のため2025年2月26日から神社全域を閉鎖しております。

私が最後に訪れたのは2024年の11月。
その数ヶ月後には、もう立ち入ることができなくなっていたなんて、、、
先月の竹生島へ参拝に行く船乗り場で娘から教えてもらうまで知らなかった私は、少しだけ時の流れに取り残されたような気持ちになった。
あの場所(藤ヶ崎神社)は、私にとって「実家」のような場所だった。
何かを願うというよりも、ただ戻る場所。
整えるでもなく、整ってしまう場所。
鳥居をくぐると、すっと呼吸が深くなり、余計な思考が静かにほどけていく。
ただそこに在るだけで、受け止められているような感覚があった。
その場所が、今はもう閉ざされている。
寂しさがないと言えば嘘になる。
けれど、不思議と「終わってしまった」という感覚ではなかった。
神社が閉鎖されるとき、
「その土地の役目を終えた」とも言われることがある。
あるいは、人とのご縁や流れがひと区切りついた合図だとも。
真偽は分からない。
けれど今回の出来事を前にすると、ただの偶然として片付けるには、あまりにも静かで、自然な流れに感じられた。
今日訪れた本家の神社には、あの場所に祀られていた龍神様が、静かに遷されていた。


新しい場所。
けれど、どこか懐かしい感覚。

ふと気づく。
場所は変わっても、
繋がりは途切れていない。
むしろ、外にあったものが
自分の内側にも根付いているような、そんな感覚。
振り返ればこの一年、
私の中でも大きな変化があった。
母との関係に区切りをつけたこと。
これまで当たり前のようにあったものを、手放したこと。
あの場所に通っていた時間は、もしかしたら、そのための準備でもあったのかもしれない。
受け止め、整え、静かに見送る力。
藤ヶ崎神社は、その役目を終え、形を変えて、今もそこに在る。
そして私もまた、あの頃の私ではなくなっている。
だからこれは、失ったのではなく「引き継がれた」のだと思う。
場所から場所へ。
そして、外から内へ。
これからは、どこにいても
あの静けさに戻ることができる。
そう感じながら、新しい場所で、そっと手を合わせた。
「これからも、よろしくお願いします」と。。。

一期一会
静かな神社で、境内にも周辺にも人の気配はありませんでした。
参拝を終え、境内の様子を写真に収めていたそのとき、いつの間にか、とても優しそうなご年配の男性が境内にいらっしゃいました。
(まったく気配に気づきませんでした)
その方はにこやかにこちらへ歩み寄り、
「神社とあなたを一緒に撮りましょうか」と声をかけてくださいました。
「お気持ちだけで十分です、ありがとうございます」と丁寧にお断りしましたが、そのさりげない優しさに、心がふっとあたたかくなりました。
優しいご縁に感謝しながら、静かに神社をあとにしました。














