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ドーベルマンボルドー裏ブログ

読書、動物との暮らし、日々の気づき。
人生の途中で見つけたことを、静かに書き残しています。


愛犬シェリーがこの世を去って、今日でちょうど10年が経ちました。



愛犬シェリー


あの日から今日まで、シェリーとの絆を心の奥深くに大切にしまい続けています。シェリーのことを思い出さない日は一日たりともありません。彼女は私にとってかけがえのない大親友でした。




大親友シェリーと裏庭にて



この世でのシェリーの不在は、確かに寂しく、そして哀しいものです。その切ない気持ちは、時間が経っても色褪せることはありません。



裏庭でジャンプするシェリーママ




けれども、この胸を締めつけるような想いは、きっと意味のあるものなのだと信じています。それは、私があの世へ旅立つ時、この世から先に逝ってしまった愛する者との再会を約束してくれるチケットのようなもの。


そう思えば、この切なさも愛おしく感じられるのです。



在りし日の裏庭にてドーベルマンズと楽しく過ごすシェリー




今日もまた、その大切な想いを胸に抱きながら、

シェリーのことを静かに偲んでいます。



子育て中はよく般若顔をしていたシェリーママ



10年という月日が流れても変わらない愛と絆。
それが、シェリーが私に残してくれた一番の贈り物なのかもしれません。

愛したことを忘れなければ永遠に一緒

ヘレン・ケラー







人の感情をまるで自分のもののように感じ取ってしまう存在。。。
それが「エンパス」です。

その優しさゆえに人を支え、共感し、癒すことができる一方で、他者の痛みや怒りを過剰に背負い込んでしまい、疲弊しやすい面もあります。

最近目にした動画では、次のように語られていました。


エンパスは、他者の感情を自分のもののように感じる魂の持ち主。
その優しさゆえに、傷つき、疲弊し、やがて沈黙の中へと消えていく。
しかし「最後の別れ」は、単なる逃避ではない。
それはエンパス自身が真の自己に目覚め、無意識の闇と向き合った結果でもある。


エンパスの最後の別れに隠された衝撃の真実|カール・ユング


エンパスがいかにして「目に見えない鎖」を断ち切り、
集合的無意識から抜け出し、本当の意味での自由と統合に向かうのかを探ります。

この「沈黙の別れ」という表現は、とてもユング心理学的でもあります。


沈黙の別れとユング心理学


◆同一化からの解放

ユングは、人が他者と過剰に同一化すると「自分自身を生きられなくなる」と指摘しました。
エンパスは相手の感情に敏感すぎるため、対立や口論を選ぶのではなく、沈黙によって境界を取り戻すのです。


◆シャドウ(影)との統合

沈黙の中で起こるのは、単なる絶縁ではなく「自己の影」と向き合う作業です。
親への怒り、パートナーへの悲しみ、罪悪感や無力感――それらはすべて自分の心に映った「シャドウ」。
ユングは「影を見つめ、それを統合することこそ自己実現の道」と説きました。


◆個性化(Individuation)への一歩

沈黙の別れは、集合的無意識の重さから抜け出し、「自分自身の魂の声」を聞くための大切なプロセスです。
それは孤独ではなく、むしろ「本当の自分を生きる自由」に近づく行為です。



★沈黙を選ぶエンパスへのメッセージ


エンパスが人との別れを選ぶとき、誹謗中傷や攻撃ではなく「沈黙」で区切りをつけるのは、弱さではありません。
それは、内なる影と対話し、自己を守りながら成長していくための勇敢な選択なのです。

ユングの言葉を借りれば、沈黙の別れは「個性化への旅の始まり」。
逃避ではなく、真の自己への回帰なのです。


別れの体験と考察






沈黙とは何も言わないことではない。
それは言葉を越えた強さの表現なのだ。


沈黙には相手の言葉を切り裂くほどの鋭さがあることを知らねばならない。


沈黙はただの無言ではない。

それは尊厳の形を持った意志である。


多くの人が沈黙は敗北だと思っている。
だが真実は逆だ。


沈黙できる者とは自らを制御できる者。

感情の波を飲み込み、言葉を選び、静けさに意味を込める者だ。


言葉は刃であり、沈黙は盾であり矢でもある。

沈黙は時に相手を打つ力となる。


なぜなら、人は答えを求めているからだ。

何も返ってこない沈黙に相手は自らを見つめ直し始める。

強く言い返すよりも一切応じないことが、
深く相手の心に刺さることがある。

沈黙の中で揺るがない姿勢を保つ者は、
決して無視をしているのではない。
ただ、自らの尊厳を守っているだけなのだ。

沈黙は逃げではない。
それは戦わずして勝つための武器だ。

あなたが沈黙を選ぶ時、それは心の強さが試される瞬間でもある。

反論をしないことに不安を感じるだろう。
しかし、その沈黙が何よりも鋭く相手に届くことを
あなたはやがて知ることになる。

「沈黙は最速の返答である」

これは私が語った中でも、最も誤解されやすい言葉のひとつだ。

反応を返すことよりも速く相手の攻撃を無効化する力が
沈黙にはある。

沈黙の中にこそ尊厳がある。
沈黙の中にこそ強さがある。

声を発さずとも、あなたの存在はすでに語っている。

侮辱に対する最高の返答は、時に何も言わぬことである。


ブッダの教え「沈黙の刃」より 





はじめに


長い間続けてきた母の介護日記noteマガジンも、昨日で最終回となりました。







母の認知症からの暴言をきっかけに生活支援をストップするという決断を下しました。


「認知症だから仕方がない」「病気だから我慢すべき」という声もあるかもしれませんが、専門家と相談した結果、この行動は完全に正当で必要なものだったと確信しています。


同じような状況で悩んでいる方々に、少しでも参考になればと思い、最後にまとめさせていただきます。



認知症の暴言でも境界線を守ることが必要な理由


1. あなたの人権と安全の保護


・認知症であっても、暴言を受け続ける義務はない

・介護者の精神的健康も同等に重要

・「病気だから我慢すべき」という考えは間違い


介護者も一人の人間です。
暴言や理不尽な扱いを受け続けることで、心身に深刻なダメージを負う権利はありません。


病気が理由であっても、あなた自身を守ることが最優先です。



2.長期的な介護の持続可能性


・境界線のない介護は必ず破綻する

・あなたが壊れてしまえば、結果的に母親も困る

・健全な距離感こそが長期的な支援を可能にする


無制限に我慢し続けることは、短期的には美徳に見えるかもしれませんが、長期的には必ず限界が来ます。


適切な境界線を設けることで、持続可能な介護関係を構築できます。


3. 専門的な対応の必要性


・認知症による暴言には専門的なアプローチが必要

・家族だけでは限界がある問題

・プロの介入により適切な環境調整ができる


認知症による行動・心理症状(BPSD)は、専門的な知識と技術が必要な領域です。

家族だけで解決しようとせず、専門家の力を借りることが、本人にとっても最良の選択です。


4. 毒親要素との相乗効果への対処


・単純な認知症ではなく、毒親+認知症の複合問題

・より複雑で対処困難な状況

・専門家の判断とサポートが不可欠


私の母のように、もともと毒親的な要素がある場合、認知症によってその傾向が悪化することがあります。


このような複合的な問題には、より慎重で専門的な対応が必要です。


5. 社会的な支援体制の活用


・ケアマネージャーやケースワーカーなど、利用できる制度がある

・家族が一人で抱え込む必要はない


現代の日本には、介護を支える様々な制度やサービスがあります。

これらを適切に活用することは、恥ずかしいことでも逃げることでもありません。


むしろ、賢明な選択です。



専門家から学んだ「毒親介護」の特殊性

ケースワーカーさんから教えていただいた重要な視点があります。

毒親の場合、身内だととことん依存し、行動を自分に都合の良いようにコントロールしてしまうため、他人の後見人の方が程よい距離感を保てるということ。



なぜ身内では難しいのか


・際限のない依存:「家族なんだから当然」という甘えの構造

・支配欲の発動: 身内だからこそコントロールしようとする

・境界線の曖昧さ:  遠慮がない分、要求がエスカレートしやすい

・感情的操作:  罪悪感や義務感を使った巧妙な操作


第三者による支援のメリット


・客観的判断:  感情に左右されない冷静な対応

・明確な境界線:  職業上の関係なので限界がはっきりしている

・専門的知識:  法的・制度的な適切な判断ができる

・操作されにくさ:  家族への情的操作が通用しない



毒親介護の場合、家族が頑張りすぎることで、かえって本人も家族も不幸になるという構造があることを、専門家から学びました。



 

 


毒親や毒家族と絶縁するしかなかった人を理解しない社会から、批判されたり不当な評価を下されたりするでしょう。そしてそのたびに、自信のなさゆえに傷はじくじくと痛むでしょう。境遇のせいで不安になりやすい不安定な人間に育ったあなたが、自分は神経質すぎるかもしれない、家族との距離のとり方が冷徹すぎるかもしれない、と悩むのは当然です。その自己疑念を取り払うことが、楽しく充実した、愛情あふれる人生を生きるために必要なのです。絶縁後、あなたが感じる混乱、罪悪感、不安、孤独、悲しみの理由をすべて解き明かす機会がやってきます。そのとき、この本に載っている治癒方法とスキルを使うことで、新しい境界線の引き方と物事の考え方がわかるようになるでしょう。

〜幸せになるには親を捨てるしかなかったより出典〜




最後に


認知症だからといって、すべてを家族が我慢する必要はありません。適切な境界線を設けることで、むしろ本人にとっても最適な支援環境が整います。


この長い介護の旅路で学んだ最も大切なことは、「自分を犠牲にすることが愛情ではない」ということでした。


健全な境界線を保ちながら、専門家と連携して支援していく。
それが、本当の意味での「良い介護」だと今は確信しています。


特に毒親介護の場合は、家族が直接関わらない方が、お互いにとって良い結果になることもあるのです。


同じような状況で苦しんでいる皆さんが、少しでも楽になれることを心から願っています。


長い間お読みいただき、ありがとうございました。皆様からのコメントやサポートが、本当に支えになりました。










ワタシの介護バックステージ⑥


〜介護の裏側で、私がようやく自分を取り戻すまで〜


「私がやらなきゃこの人は生きていけない」
ずっとそう思っていました。

そう思い込まされてきた、と言った方が正しいのかもしれません。


「お母さんはもうすぐ90歳なんだよ。だから仕方ないでしょ。やってもらわなきゃ困るの!」


そんな言葉を、私は何度聞いてきただろう。



私の母は現在84歳。
身体は元気で自分自身の身の回りのことは自立。

東京に住んでいた母が私と同じ町内に越してきてから7年が経ち、一昨年に物盗られ妄想が発症。
周囲にも迷惑かけていることを知り、もの忘れ外来を受診。

今年になり認知症がかなり進行したため、医師からもデイサービス利用を勧められ、本人も同意の上契約に至ったが、
デイサービス利用初日に激しく拒絶からの介護者であるワタシへの暴言の数々。


ケアマネジャーさんの指示により一度も通わぬうちに
契約したデイサービス施設とも最終契約中止となりました。



ここ数ヶ月、母の認知症が進むにつれ、今まで以上に母は私に頻繁にSOSを出すようになっていました。


電話の内容は、、、

「体がしんどい、どうしたらいいのか分からない」
「もうお風呂に何ヶ月も入ってない 温泉に行きたい」
「お金がないから立替えて食べもの買って持って来て」
「生活費引き落として持って来て」
「光熱費コンビニで払って来て」

といった“助けを求める”言葉のオンパレード。


最初のうちは、心配もあって対応していました。


でも、ある時ふと気づいたんです。
これは本当に「助け」なんだろうか?と。


私が母からの依頼を全てやってしまうことで、気付けば母は自宅から殆ど出ずに生活している状態に、、、
(そら認知症も進みますね)


「やってもらって当たり前」の罠

昨日の母とのやりとりの中で、

「自分はもうすぐ90歳なんだよ」
「年寄りなんだから、できなくて当たり前 やってもらって当たり前」
という言葉が何度も出てきました。(実際は84歳です)


そのたびに私は、心のどこかでは「仕方ないのかもしれない」と思ってしまう。

でも、冷静に振り返れば、こうした言葉は、
「あなたがやるのが当然でしょ」という感情操作だったのです。



支援の線引きをした日

昨日いよいよ母と電話にて対決。
(ケアマネージャーさんと相談後、電話に出て私からの条件を話すことにしました)



私は何回も同じことを母に伝えました。

「今後、生活支援を私から行うことはしません。今まで通り生活支援を求める場合は、貴女がデイサービスを継続的に利用することが条件です」


その言葉を何度か繰り返していくうちに、次第に母の声色が変わり、
「じゃあもう東京に帰るから、預けていたものを全部返して!」
と怒鳴られました。

これは“泣き落とし”が効かなくなった時に、
次の攻撃として「見捨てられる不安」をこちらに植えつけようとする反応です。

心理学的には「逆転移」とも言える現象ですが、今回は私は動じませんでした。



通帳とカードをポストに返した日


「預けていた物を返してほしい」と言われたので、
そのまま母宅のポストに、通帳・キャッシュカード・保険証などを返却しました。


不思議なことに、返し終えた瞬間、体の力がすっと抜けたような感覚になりました。

「あ、これで終わったんだ」
と心から思えたのです。


母に「支配されている」と感じていた私自身が、
自分の意思で「支援の終わり」と「物の返却」を完了させた。


これは、心理的にも現実的にも、自立を取り戻す大きな一歩でした。



呪縛からの解放とは

介護とは、「やさしさ」や「愛情」で語られることが多いけれど、実際には「罪悪感」や「義務感」、
ときに「支配」と「被支配」の関係が隠れていることもあります。


今回の私は、「これ以上は無理です」と明確に伝え、
制度(ケアマネさんやケースワーカー)に引き継ぐことで、
“支援の手を引くことは冷たいことじゃない”と実感しました。

私が動かなくても、制度は回る。


母は“私”ではなく、“公的サービス”を頼るべきなのだと、ようやく心から思えました。



最後に

これを読んでくれているあなたが、
同じように「親との関係に疲れている」なら、
まずは線引きをする勇気を持ってほしい。


やらない選択は、見捨てることじゃない。
「自分の人生を、自分のために取り戻す」ということなのだから。


そして──


老いても、母の人生は母のもの。
私の人生は、私のもの。


その境界線を守ることこそが、
お互いの尊厳を大切にするということなのだと、今ならはっきり言えるのです。


この記事をもって、ひとまず「母の笑える介護日記」「ワタシの介護バックステージ」は一区切りとなります。


母の介護支援に関わってきた日々を振り返りながら、
悩み、葛藤し、ときに涙しながら綴ってきたこのnote。

ですが今、私は母の直接的な介護支援から距離を置く決断をしました。


これからは「支える側」としてではなく、
「私自身の人生」をもう一度立て直していく時間にしていきます。


そのため、このnoteの介護に関する投稿も、ここで一旦筆を置くことにします。


これまで読んでくださった皆さま、共感や励ましの言葉をくださった方々へ、心から感謝しています。


介護というテーマには終わりがなく、形を変えて続いていくものかもしれません。


けれど「私の人生もまた、私の大切な物語である」という視点を、この経験を通してようやく持てたように思います。


どうか皆さんも、ご自身の人生を何よりも大切に。

本当にありがとうございました。