ドーベルマンボルドー裏ブログ -10ページ目

ドーベルマンボルドー裏ブログ

読書、動物との暮らし、日々の気づき。
人生の途中で見つけたことを、静かに書き残しています。

 

統合は“到達”ではなく“運用”である

ユング心理学でいう統合とは、何か特別な段階に到達することではない。
無意識の内容を意識に取り込み、自分の一部として扱えるようになるプロセスのことだ。

 

つまり、自分の中にある違和感や矛盾、見たくなかった感情を排除せず、理解し、扱える状態になること。

 

私自身、その変化をはっきりと体験している。

 

以前の私は、人に対して感じた違和感をそのまま扱うことができなかった。
何かがおかしいと感じているのに、それをうまく説明できない。
だから相手に合わせるか、自分の感じ方のほうを疑うしかなかった。

 

「考えすぎかもしれない」
「自分が狭いだけかもしれない」

 

そうやって処理していくうちに、違和感は消えるどころか蓄積していく。

 

そしてある時点で、限界が来る。

その瞬間は突然だ。
 

もう無理だと判断したとき、関係は一気に切れる。

いわゆるドアスラムと呼ばれる状態に近いと思う。

 

ただ当時の私は、それを説明できなかった。
なぜそこまで至ったのか、自分でも整理できていなかった。

 

今は違う。

同じような場面に出会ったとき、私はまず「何が引っかかっているのか」を見る。

 

言動の一貫性がないのか。
境界線が曖昧に扱われているのか。
それとも、自分が過剰に反応しているのか。

 

その違和感を、感覚のままにせず、構造として捉える。

 

 

私はメンタルケアカウンセラーとして、また悲嘆療法に関わる中で、人がどのように感情や体験を処理していくのかを見てきた。
その中で、自分自身の内側のプロセスを改めて理解する必要を感じ、ユング心理学を学び直すようになった。

 

外側の出来事だけでなく、内側で何が起きているのか。
それを構造として理解できるようになると、対応は変わる。

すぐに切るのではなく、まず距離を調整する。

 

関わり方を軽くする。
期待を外す。

それでも違和感が消えない場合だけ、関係を終える。

 

このとき、以前のような強い感情はほとんどない。
怒りや正しさではなく、「ここまでだな」という判断に近い。

 

そして関係を終えたあとに残るのも、何もない静けさだけではない。

そこには必ず、「なぜこうなったのか」という理解が残る。

 

あのとき感じた違和感は何だったのか。
どの段階でズレが生じていたのか。
自分はどこで無理をしていたのか。

 

それが言語として回収される。

過去の出来事は変えられない。
 

けれど、その意味は変えられる。

かつてはただの不快な記憶だったものが、
今では判断精度を上げるための材料になっている。

 

過去に苦しむことは、二度苦しむことだ。
— セネカ

 

統合とは、自分を理解して終わることではない。
理解したものを、次の選択に使える状態にすることだ。

 

それは一度で終わるものではなく、繰り返されるプロセスであり、
その積み重ねが、少しずつ自分の生き方を変えていく。

 

目立つ変化ではない。
ただ、確実に、無理をしなくなる。

 

それが、私にとっての統合だ。

 

今回、初めて数量限定という形でご案内させていただきました。

(小さなドーベルマンズキーホルダー 全てご縁を結びました。ありがとうございます。)


その中で、改めて感じたことがあります。


ご縁をいただいた方々が、とても自然に、他の方のことを想いながら選んでくださっているということでした。


「自分だけでいいのかな」と少し遠慮されるような言葉や、

静かに見守ってくださる空気に触れて、
この作品を通して繋がってくださっている方々のあたたかさを感じました。


こちらから何かを求めたわけではないのに、
自然とそういう方々が集まってくださっていることが、とてもありがたく、嬉しく思っています。


作品を手に取っていただけることももちろん嬉しいのですが、
それ以上に、こうしたご縁に恵まれていることに、心から感謝しています。

これからも、一つひとつ大切に形にしていきますね。










今回ご用意していた分は、すべてお迎えいただきました。
本当にありがとうございます。

 ご縁をいただけたこと、心より感謝いたします。


ご縁に感謝🙏





「もっとこうしてあげればよかった」


ふとした瞬間に、そんな後悔が浮かぶことがある。


あの時の対応、 あの時の言葉、 あの時の自分の選択。


どうしてああしてしまったんだろう、と 時間が経ってから思い返す。



でも、それは 愛犬との縁があったからこそ生まれる感情だと思う。


関わっていなければ、 一緒に過ごしていなければ、 そんなふうに振り返ることすらない。



縁ってなんだろう。。。


よく「ご縁があって」と言うけれど、 それは特別な力や運命のようなものに聞こえるかもしれない。


でも実際は、もっとシンプルなものだと思う。


縁とは、 「出会い」「関わり」「続いた時間」「その時のタイミング」 この4つが重なってできるもの。


出会わなければ始まらないし、 関わらなければ深まらない。

 一度きりでは残らないし、 タイミングが合わなければ、すれ違ってしまう。

そうやって積み重なったものが、 あとから振り返ったときに「縁だった」と呼ばれる。



愛犬との縁も、同じ。


たまたま出会って、 毎日「おはよう」と声をかけて、 当たり前のように撫でて、 何気ない時間を一緒に過ごしてきた。


特別な出来事じゃなくていい。


その繰り返しが、 気づけばかけがえのない関係になっていた。





そして、死別。


ここで「縁が切れた」と感じる人もいると思う。


でも私は、そうは思わない。


縁は「一緒にいられる時間」だけでできているわけじゃない。


過ごした時間、 感じたこと、 もらったもの。


それらは、形が変わるだけで、 なくなるわけではない。


触れることはできなくなっても、 その存在は自分の中に残り続ける。



だから、 愛犬との縁は終わるのではなく、

「形が変わった縁」になる。


そして、 あの時こうすればよかったという後悔もまた、

その縁の中で受け取ったものの一つだと思う。


楽しかった記憶だけじゃない。

うまくできなかったこと、 胸に引っかかる出来事、 思い出すと少し痛む感情。


それらすべてが、 その子と一緒に生きた証になる。



同じように思ったこと、ありませんか。



あの時の自分を責めたくなる気持ち。


でもその感情は、 ただの後悔では終わらない。


これから誰かと関わるとき、 これから何かを大切にするとき、

自分の選択や行動を、 少しだけ変えていく力になる。


だから私は、 その感情さえも

自分の人生を培っていくための贈り物だったと捉えている。


失ったのではなく、 形が変わっただけ。


縁は、 消えるものではなく、

形を変えながら、 これからも自分の中で続いていくものだから。










今日21時30分より
小さなドーベルマンのあみぐるみの予約受付を開始しました。

骨を抱えた、手のひらサイズの小さな子です。

 

 

 

今回はパーツの関係で
10体限定でのご案内となります。

気になる方は、こちらからご覧ください👇
 

『ちっちゃなドーベルマンズ キーホルダー 予約販売詳細』

 

 

 

スマホストラップにもなります