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ドーベルマンボルドー裏ブログ

ドーベルマンボルドーブログ別館
というより、いまや本館(笑)

昨年2024年の12月16日から、職場のガソリンスタンドを一人で切り盛りしていました。
というのも、私の職場所長(相棒)が突然の心不全で倒れ、生活習慣病の進行もあり、病院へ緊急搬送。
 

そのまま今年4月末まで、カテーテル治療や療養に専念することとなったのです。

私の勤務先は、個人事業の小さなガソリンスタンド。
 

従業員は2名と配達員1名のみ。
そのうちの1人が突然倒れたことで、現場は完全なワンオペ営業になりました。

寒さが厳しくなる年末にかけての繁忙期、
ひとりでの対応は想像以上に過酷で、
日中は仕事に追われ、夜は自分の筋トレと家事、翌日の準備や事務処理(その間、店の決算書作成や確定申告もあった💦)
 

さらに相棒の手術に向けた病院との調整やサポートも重なって、
毎日が嵐のように過ぎていきました。

 

 

それと並行して、実は昨年11月、母に内緒で介護認定の申請を行っていました。
母は昔から「他人の手を借りるなんて」と強く拒むタイプで、
申請のことを伝えることもできず、仮に認定が下りても、すぐにサービスを利用できる見通しは立っていませんでした。

 

そしてやはり、母の介護認定が下りたのは、ワンオペ勤務が本格化していた昨年12月中旬。
認定を受けたことは内心ホッとしましたが、ケアマネジャーさんへの連絡やサービス契約に動く余裕が、私にはまったく残されていませんでした。

 

それでも、母の生活支援だけは途切れないように、
食料品や日用品の買い出しを週に2~3回届け、
小さな不調の訴えにも耳を傾け、
ワンオペ営業と両立させる日々をなんとか続けてきました。

 

 

この数カ月のあいだ、幸いにも母の“物盗られ妄想”は私に対してだけで、
周囲を巻き込むような言動は控えられていたことが、救いでもありました。

 

 

──しかし。

 

 

ようやくガソリンスタンドに相棒が復帰し、少しだけ生活が落ち着いた今、
母の妄想や作話が、再び強く表に出るようになってきました。

 

今回は、私だけでなく、ご近所の知り合いや民生委員さんにまで「盗られた」「信じてもらえない」と訴えるようになっており、これまでのように私だけがフォローするのは、
もう限界だと感じました。

 

そこで改めて、母と向き合い、
これまで何度も拒否されてきた介護サービス利用の必要性を、
丁寧に説明しました。

 

「もし私が倒れたら、あなたの暮らしを支える人はいないんだよ」
 

「今のうちに、誰かに頼ることに慣れておこう」

 

 

そう伝えると、ようやく母も少しだけ心を開き、
「わかった。お願いしてもいいかもしれない」と言ってくれました。

 

 

そして今日。
ようやく、ケアマネジャーさんとの契約に至りました。

ここまでくるのに、実に長い時間がかかりました。
 

 

説得にも体力と気力が必要で、
「これが正解なんだろうか」と迷いながら進んできた道でした。

けれど、ようやく「私ひとりで支える」フェーズから、
「プロと一緒に支える」フェーズへ。

 

 

たとえ母が今後も妄想や混乱を繰り返すとしても、
それを一緒に受け止めてくれる人がいると思えるだけで、
少しだけ心が軽くなった気がします。

 

 

🌼私と同じように、介護のスタートラインに立っている誰かの心にも、この記録が届けば嬉しく思います。


 

 

下画像は本日ケアマネジャーさんに渡す
母同席では話しづらい補足資料。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと気づくと、時間の流れが以前よりも遅く感じるようになりました。

朝起きて、夜眠るまでの一日がやけに長く、静かに、ぽっかりと空白を抱えて進んでいく。

それは、愛犬たちが旅立ってからのことです。

 

彼らと過ごしていた日々は、嵐のようにあっという間でした。

小さな足音、ツヤツヤの毛並み、まっすぐ見つめてくる瞳。
一緒に笑って、一緒に眠って、何気ない毎日が宝物のように輝いていた。

 

 

ドーベルマンズを偲びながら

 

でもその日常は、ある日突然終わりを告げました。

彼らがいなくなってから、私は「待つ」ことが増えました。
 

もう帰ってこないのに、裏庭からの音に耳をすませてしまう。

誰もいない裏庭に「来い!」と声をかけたくなる。

 

そんな風に、愛犬たちのいた時間を心が求めるたび、時計の針が遅く進んでいく気がします。

 

 

 

 

 

時間というのは不思議なものです。

 

 

楽しい時はあっという間に過ぎるのに、悲しみの中ではまるで止まっているかのように感じる。

愛犬たちがいた頃は、人生が早送りのように感じていたのに、今は一瞬一瞬が重く、長く伸びているようです。

 

 

でも、そんな風に感じられるのも、彼らがどれだけ私の人生を彩ってくれていたかの証拠。

心に空いた穴は、寂しさだけでなく、かけがえのない愛の大きさでもあります。

 

彼との思い出が、今の私の時間の中にも静かに寄り添っているのです。

これからも、私はこの長くなった人生を、ゆっくりと歩いていこうと思います。

 

 

大好きな写真を形にする

 

 

 

そして、いつかまた彼らに会えるその日まで、彼らが安心して見守れるように、

しっかりと生きていきたいと願っています。

 

 

 

ボルドー&シェリーの子どもたち 

シンシア・ラム・アン・レオ

 

 

 

このブログのタイトルバナー写真。大好きな写真

 

初樹脂粘土にて作成。

 

間もなく販売します 多分、、、💦

 

 

 

 

ー大切な友へー

十数年前、あなたの家にやってきた小さな命。
その瞬間から、日々の景色は少しずつ色づいていったことでしょう。

眠る姿に癒され、鳴き声に微笑み、ふとした仕草に心を奪われる…
愛しい小さな命との暮らしは、かけがえのない「日常」であり、「奇跡」です。


いま、その小さな命が、ゆっくりと旅立ちの支度をしていると聞きました。
どうしようもない哀しみと、言葉にならない想いに包まれているあなたの気持ちを思うと、胸が締めつけられます。



でも、きっと愛しい小さな命は知っています。
どれだけ大切に想われてきたかを。
どれだけ深く愛されていたかを。
だからこそ、あなたのそばで、
最後の時間を過ごしたいと思ってくれているはずです。



弱っていく姿を見るのは、とてもつらいことです。
けれど、今こうして寄り添える「時間」こそが、
あなたと愛しい小さな命にとっての贈り物なのかもしれません。

やさしく撫でてあげる手、名前を呼ぶ声、そっと隣に座るそのぬくもり。
すべてが、愛しい小さな命にとって最高の愛なのだと思います。

涙がこぼれてもいい。苦しくて言葉にならなくてもいい。
ただ、あなたがそばにいてくれること、それが何よりのしあわせなのです。



この先、どんな別れが訪れようとも、あなたと愛しい小さな命が築いた愛は決して消えることはありません。
心の奥で、ずっと、生き続けていきます。
どうか、たくさん抱きしめて、たくさん想いを伝えてください。



その小さな命に、ありがとうをこめて。

 

ドーベルマンズの裏庭にてCooより

 

 

とある日裏庭で見上げた空

 


 

 

2017年5月1日。14歳と7か月で虹の橋を渡ったボルドー。
ドーベルマンという犬種の寿命で考えればとてもご長寿でした。

 

 

 

でも、もっと一緒にこの世に居て欲しかったな。

 

そんな飼い主の儚い願いには、

「健康で元気に走り回れる状態で」という理想が含まれるのだけれども…

 

加齢により脚が弱り走るどころか歩けなくなって、
寝たきりの介護が数年続いていたボルドー。

 

精悍で元気でカッコよかったボルドーが日に日に弱っていく姿を
見せられ世話することには意味があったと今は思う。

 

 

今年もボルドー犬舎八重桜は満開でした

 

 

ボルドーから始まったドーベルマンズの裏庭での生活。
ボルドーと出逢ってから生まれてきて良かったと心から思えたワタシ。

 

 

 

14年半ずっと寄り添ってくれたボルドーとの別れは
ゆっくりしたものでなければならなかった。

 

もうこれ以上、こんな状態で生きているのを見ていられないと思うまで
 

ワタシがボルドーとの別れを納得するまで頑張ってくれたボルドー。


 

毎年、ボルドーの命日には花が咲きます。

 

ボルドー犬舎横の季節外れの彼岸花だったり
供花で頂いたバラの挿し木が育ったバラだったり。

 

 

そして今年はピンク色のハイビスカスが咲きました。

 

 

去年もたくさん咲いてくれたハイビスカス 今年一番咲きの花

 

 

メッセージをありがとうボルドー

 

 


人間は生きている限り、何かを学び続ける

ーレオナルド・ダ・ヴィンチー

 

 

 

次の本は何にしようかと選ぶとき、
 

最近はu-nextのポイントを使い電子書籍を購入することも選択枠に入れた。

 

とはいえ、ついつい無料で読めるものを目は追いかける(笑)

 

そこで見つけ読んだ無料で提供されていた短編小説に、
 

引き込まれ、考えさせられ、自分の答えが出せず、心に刺さったまま。

 

きっと死ぬまでずっと考えさせられるだろうと思う。

 

 

 
 
 
 

 

 

小説のなかの近未来、日本にも法律で安楽死が認められることになる。

 

主人公である夫婦は自分たちが若いときから、老いぼれて身体に自由がきかなくなったり認知症になったりで家族や周囲に迷惑をかけたくはない、

自分たちの命の終わりは安楽死が認められたら安楽死にしようと考えていた。

 

安楽死が法で認められたのは夫が定年退職の年。
早速夫婦は揃って安楽死登録を行う。

 

しかしその直後、夫は認知症を患い日々症状が悪化していく。

認知症になった夫から見える世界がとても細かく表現されていて、
ふと我に返ったかと思えば全く別の年齢である自分の記憶のなかに戻されたり、

記憶が日に日に錯乱していく様子が、私の母親(認知症)と重なり
こんな感じなのか・・・と、食い入るように読んだ。

 

安楽死登録をしていた夫の最期は薬物による安楽死。

家族が見守る中、これが彼(夫)の願いだったからと、
妻や子供たちは納得しながら見送ろうとするが、
当人(夫)は、まだまだ生きていたい!と心の中で叫ぶ・・・。


 

安楽死についても深く考えさせられる小説だった。

安楽死の是非を問う議論は人間の尊厳と生命の神聖性の対立に直面する。

 

安楽死に関して私個人は、生命の神聖性を重要視しているので、
生命はたとえ苦しみがあったとしても他者からの死への手助けは借りず、
命が終わるときまで生き抜くのが良いと思うのだが、、、
 

それは今だからそう言えるだけなのかもしれない。

今現在はオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダ、スイスなどの
一部の国で安楽死や医師による自殺幇助が法で認められている。

 

 

 

2025.4 今年もドーベルマンズの裏庭に梅が満開