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ドーベルマンボルドー裏ブログ

読書、動物との暮らし、日々の気づき。
人生の途中で見つけたことを、静かに書き残しています。





今朝、ラジオを「ながら聴き」していたときのこと。


​男子3人のお弁当を作り切ったという、ベテランお母さん

(お弁当作りOB)のエピソードが流れてきました。

なんでも、息子さんたちにこう言われたことがあるそうです。


「トマトとブロッコリーは、おかずのうちに入らない」

​――贅沢言うなーーーい!笑


​毎朝の貴重な「赤・緑」の彩り担当に対してなんたる暴言。思わず私は、ラジオに向かって独りごちてしまいました。


​「あらあら、生意気なお子たちねぇ。私なら、翌日のお弁当箱をブロッコリーとトマトだけで埋め尽くしちゃうわ。ウフフ……」


​完全に独り言のつもりでした。


しかし、背後にいた相棒の耳は誤魔化せなかったようです。

すかさず、息子たちのフォローに入りました。


相棒:「いや、確かにブロッコリーとトマトはおかずにはならないよねー」

私:(……パチン)

スイッチが入ってしまった私の口から、朝一番のブラックユーモアが炸裂します。


「作ってもらってることに、まずは感謝しろっての!そんなこと言われた日にゃあね、翌日はご飯のスペースにブロッコリーを敷き詰めて、おかずのスペースにはプチトマトだけをギッチギチに詰めて『お食べ!!』って差し出すわよ!」


(……と息巻いてみましたが、明日も普通にお弁当を作ります。たぶんw)

​全国のお弁当作りに励むお母さんたちへのエール……には1ミリもならない、私のド黒い意地悪が露呈した爽やかな朝でした。


みなさん、お弁当の彩りには優しくしましょうね。


ワタクシのキャラ弁作成時代の弁当w


す​5月14日、木曜日。


「ちょっと草刈りでもするか」と軽い気持ちで裏庭に出たのが運の尽き。
(今年初裏庭草刈りでした)



9時半から11時半までの2時間、私は
「5月の皮を被った真夏」と戦うことになりました。


​気温は23度。数字だけ見れば「お散歩日和」ですよね?

でも現実は違いました。太陽光が刺さる。痛い。


結果、開始早々に「滝汗」という名の天然サウナ状態に。


​なぜ5月からこんなに「攻撃的」な暑さなの?

​実はこれ、私たちの「脳」がバグっているせいでもあります。

  • 脳の「予測誤差」にハメられている

脳は過去の経験から「5月はこのくらい」と予測します。
しかし、昨今の異常な日差しはその予測を大幅に超えてきます。
この「予測と現実のギャップ」が、脳に「これ死ぬほど暑いよ!」という過剰なアラートを鳴らさせているんです。

  • 「水蒸気」という名の透明な毛布

地球温暖化で空気中の水分が増えると、それが熱を逃がさない「温室」の役割を果たします。
23度なのに真夏並みに感じるのは、湿った空気が熱を肌に密着させているからです。


「草刈り」は最高のメンタル・トレーニング?

​このクソ暑い中、なぜ私は逃げ出さなかったのか。そこには「報酬系」のコントロールがありました。

  • 現在バイアスへの勝利                    人間は「今すぐ楽をしたい」生き物(現在バイアス)。でも、ここで投げ出せば、来月には裏庭がアマゾン化して絶望することを知っています。未来の自分のために「今」動く。これは立派な投資です。


  • 視覚的報酬(ビフォー・アフター)              写真を見れば一目瞭然!この「目に見える成果」は、脳に強烈な快楽物質(ドーパミン)を流します。これが、過酷な作業を「やり切った!」という達成感に変えてくれるんです。

before

after


まとめ:これからの「草刈り生存戦略」


​これからの季節、私たちは「気合」ではなく「科学」で戦わねばなりません。


・​作業前に首を冷やす(プレ・クーリング): 脳に「今は涼しいよ」と錯覚させ、疲労を遅らせる。


・​20分に1回、強制的に日陰へ: 「デフォルト設定」として休憩を組み込む。


※水分は私の場合、水や麦茶ではなくEAAを水で溶かしたものを
小まめに摂取しています。


2026年 初裏庭草刈り 管理人


私の姿は、まさに戦士(笑)


皆さんも、5月の日差しをナメてはいけません。しっかり対策して、この「早すぎる夏」を生き抜きましょう!








 

 

 

 

 

 

 

 

​「表面的には優しいけれど、どこか関わり方が雑な人」

あなたの周りにもいませんか?

 

悪気はなさそうだけれど、こちらの境界線に土足で踏み込んでくる人や、テンプレートのような浅い言葉しか投げない人。

 

​かつての私は、そんな相手にも愛想笑いを振りまき、家に帰ってからどっと疲れる日々を過ごしていました。しかし、ある時気づいたのです。

 

「この“雑な関わり”にリソースを割くのは、人生最大の赤字決済である」と。

 

 

​今日は、認知科学と行動経済学の視点から、なぜ私たちが「狭く深い関係」にシフトすべきなのか、その戦略的メリットをお話しします。

 

 

​1. 「雑な人」を放置するのは、サンクコストの罠

​行動経済学には「サンクコスト(埋没費用)」という概念があります。
「せっかく何年も付き合ってきたから」「ここで縁を切るのはもったいない」という感情が、さらなる損失を生む現象です。

 

​成功者の行動パターンを分析すると、彼らは驚くほどこの「損切り」が早い。

 

「雑なコミュニケーション」は情報密度が低く、脳にとって無益なノイズでしかありません。そこに貴重な時間(資産)を投じるのは、穴の開いたバケツに水を注ぐようなもの。

 

​シグマ(孤高の自律型)的な生き方を選ぶ人は、この「不毛な投資」を即座に停止し、浮いたリソースをすべて「自分の探求」や「本物との深い対話」に全振りします。

 

 

​2. 脳のパターン認識を「守備」に使う

 

​私は自他共に認める「ヤヤコシイ性格(INFJ-A)」で、相手の矛盾や下心を一瞬で見抜く高性能なセンサーを装備しています。


以前はこれを「生きづらさ」だと思っていました。

​しかし認知科学の視点に立てば、これは「高精細な危機管理能力」です。

低解像度な関わり: 大人数での中身のない世間話。

高解像度な関わり: 互いの魂に触れるような、静かで深い対話。

 

​もしあなたが「自分のフィルターを通る人が少なすぎる」と悩んでいるなら、それはあなたの感度が低いのではなく、人生の解像度が高すぎるだけです。


その高感度センサーを、自分を安売りするための「適応」に使うのではなく、自分を守るための「聖域の門番」として使ってください。

 

​3. 「戦略的孤立」という最高のラグジュアリー

 

 

 

 

 

現代において、誰とでも繋がれるSNSの喧騒からログアウトし、自分の「沈黙」を確保するのは、もはや最高の贅沢です。

 

​「一人のほうがなんぼかマシ」

そう思えるのは、あなたの内面世界が他者からの安価な承認を必要としないほど、すでに成熟している証拠です。

 

部屋で観葉植物を愛でる時間や、一冊の本と向き合う静寂。

その「孤高の空間」こそが、次の挑戦へのエネルギーを充電するパワースポットになります。

 

★あなたの「フィルター」を誇りなさい

私の入国審査(フィルター)は、世界一厳しい自信があります。

でも、その厳しい審査を潜り抜けてきた「狭くてふかーーい関係」の人たちは、何物にも代えがたい宝石のような存在です。

 

​雑な人たちに囲まれて自分をすり減らす必要はありません。

群れから離れ、自分のルールで生きる「シグマ」の精神で、静かに、優雅に、境界線を引いていきましょう。

 

​あなたの人生という物語に、エキストラ(雑な人)はいりません。

必要なのは、あなたの感性を理解し、共に深く呼吸ができる「本物の登場人物」だけなのですから。

 


♪​人生の解像度を下げないために

 

最近、SNSやグループに不快感を覚えている方へ。

 

それは退化ではなく、あなたの魂が「本物」を求めて進化しているサインです。

「沈黙」は拒絶ではなく、自分を愛するための「聖域」の構築。

さあ、自信を持って、その高性能なシャッターを下ろしてください。

 

 

 

 

 


昨日、私は風呂で身を清め、清々しい気分で飾り棚の前を通りかかった。


その数秒後、目の前で「ガシャーン!」という乾いた音と共に、親友から贈られた大切なガラスの龍が床に散った。


「嘘でしょ……」と絶望しながら破片を拾い集めた私の目に飛び込んできたのは、龍の体にべっとりと付着した、禍々しくも鮮やかな「血」。


「え、龍の返り血!?それとも龍神様の受肉!?」とパニックになったが、犯人は私の指だった。



🖕見せてないで ちゃんと拭けよw



​血の滴る指を握りしめながら、私の脳内では何かが弾けた。


「これは……龍との血の契りじゃー!!」

痛みを忘れて「脳内スピリチュアルスイッチ」をポチッとON。


調べてみれば出るわ出るわ、ポジティブな解釈のオンパレード。

  • 1. 超・厄落とし説: 「大きな災難を指先の怪我程度で済ませてやったぞ」という龍神様の男気(神気)。

  • 2. 魂のサブスク契約: 血がつく=深い縁。もはやWi-Fi以上の強度で龍神様と接続完了。

  • 3. 強制ブレーキ説: 「あんた、ちょっと落ち着きなさいよ」という愛のムチ(物理)。


「身代わりになってくれたんだ……」
とホロリときた直後に、
「いや、私の不注意で指切っただけじゃん(笑)」というセルフツッコミが。


この「感動」と「失笑」の反復横跳びこそが人生の醍醐味である。



なんかスピ界では「割れたら捨てろ」が定説らしい。


だが、これは親友からの贈り物。
そして私の「血(物理)」が通った相棒だ。

​そこで私は決意した。
「直す‼️それもただ直すんじゃない、愛で繋ぐのだ」と。😤


日本の「金継ぎ」精神を借りれば、傷跡は「歴史」であり「美しさ」。


アロンアルファを握る私の手は、もはや修復師ではなく、龍に命を吹き込む錬金術師のそれであったのだった。


直したぜぇ‼️ガォー

この記事を読んでくれたあなたへ

​もし、あなたの家で何かが割れたら。


もし、それでちょっと血が出ちゃったりしたら。


​「不吉だ……」と落ち込む前に、一度叫んでみてほしい。

「契約完了!」 と。

​そうすれば、割れたガラスの破片すら、新しいステージへの紙吹雪に見えてくる……かもしれない。
(※ただし、怪我の手当てはスピリチュアルより先に、現実的に消毒と絆創膏でお願いします!)



 

統合は“到達”ではなく“運用”である

ユング心理学でいう統合とは、何か特別な段階に到達することではない。
無意識の内容を意識に取り込み、自分の一部として扱えるようになるプロセスのことだ。

 

つまり、自分の中にある違和感や矛盾、見たくなかった感情を排除せず、理解し、扱える状態になること。

 

私自身、その変化をはっきりと体験している。

 

以前の私は、人に対して感じた違和感をそのまま扱うことができなかった。
何かがおかしいと感じているのに、それをうまく説明できない。
だから相手に合わせるか、自分の感じ方のほうを疑うしかなかった。

 

「考えすぎかもしれない」
「自分が狭いだけかもしれない」

 

そうやって処理していくうちに、違和感は消えるどころか蓄積していく。

 

そしてある時点で、限界が来る。

その瞬間は突然だ。
 

もう無理だと判断したとき、関係は一気に切れる。

いわゆるドアスラムと呼ばれる状態に近いと思う。

 

ただ当時の私は、それを説明できなかった。
なぜそこまで至ったのか、自分でも整理できていなかった。

 

今は違う。

同じような場面に出会ったとき、私はまず「何が引っかかっているのか」を見る。

 

言動の一貫性がないのか。
境界線が曖昧に扱われているのか。
それとも、自分が過剰に反応しているのか。

 

その違和感を、感覚のままにせず、構造として捉える。

 

 

私はメンタルケアカウンセラーとして、また悲嘆療法に関わる中で、人がどのように感情や体験を処理していくのかを見てきた。
その中で、自分自身の内側のプロセスを改めて理解する必要を感じ、ユング心理学を学び直すようになった。

 

外側の出来事だけでなく、内側で何が起きているのか。
それを構造として理解できるようになると、対応は変わる。

すぐに切るのではなく、まず距離を調整する。

 

関わり方を軽くする。
期待を外す。

それでも違和感が消えない場合だけ、関係を終える。

 

このとき、以前のような強い感情はほとんどない。
怒りや正しさではなく、「ここまでだな」という判断に近い。

 

そして関係を終えたあとに残るのも、何もない静けさだけではない。

そこには必ず、「なぜこうなったのか」という理解が残る。

 

あのとき感じた違和感は何だったのか。
どの段階でズレが生じていたのか。
自分はどこで無理をしていたのか。

 

それが言語として回収される。

過去の出来事は変えられない。
 

けれど、その意味は変えられる。

かつてはただの不快な記憶だったものが、
今では判断精度を上げるための材料になっている。

 

過去に苦しむことは、二度苦しむことだ。
— セネカ

 

統合とは、自分を理解して終わることではない。
理解したものを、次の選択に使える状態にすることだ。

 

それは一度で終わるものではなく、繰り返されるプロセスであり、
その積み重ねが、少しずつ自分の生き方を変えていく。

 

目立つ変化ではない。
ただ、確実に、無理をしなくなる。

 

それが、私にとっての統合だ。