読まれるためではなく、残すために書く | ドーベルマンボルドー裏ブログ

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読書、動物との暮らし、日々の気づき。
人生の途中で見つけたことを、静かに書き残しています。

 

 

 

 

 

 

 

〜私がコージーウェブに辿り着くまで〜

かつて私は、あるブログランキングの大きなカテゴリで、多くの読者に支えられながら発信を続けていた。

 

画面の向こうから押し寄せるアクセス数や、毎日のように増えていく数字。その数字が自分の価値の証明であるかのように感じ、胸を躍らせた時期も確かにあった。

 

しかし、時代がブログからSNSへと移り変わるにつれ、インターネットの空気は少しずつ変わっていった。

 

タイムラインに流れてくるのは、お互いに「いいね」を押し合う関係性や、読んでもいないのに残される反応。距離感を超えた同調圧力や、他者との比較に疲れていく人たちの姿だった。

 

その流れの中に身を置きながら、私は次第に違和感を覚えるようになった。

 

「何か、ズレている」

 

そう感じた私は、いつしか数字への執着を手放し、SNSから少しずつ距離を取るようになった。

 

 

そして辿り着いたのが、

「数は気にしない。ただ自分が書き残したいことを書く」

という今のスタイルだった。

 

かつての私を知る人が見れば、

「いいねの数、めっちゃ減ったね」

と笑うかもしれない。

 

けれど今の私は、この静けさが嫌いではない。

むしろ心地よいとさえ感じている。

「関心経済」という名の競争から降りる

 

現代のインターネットは、しばしば「アテンション・エコノミー(関心経済)」と呼ばれる。

 

人の注意や関心そのものが価値となり、数字が可視化される世界だ。

もちろん、それ自体が悪いわけではない。

 

けれど気づけば、多くの人が数字を追い、アルゴリズムに好かれるために言葉を選び、「読まれるもの」を作ることに疲れてしまっているようにも見える。

 

私自身も、かつてはその競争の中にいた。

だからこそ今は、自分のために書くことを大切にしたいと思っている。

 

今の記事についている数少ない「いいね」は、昔より少ないかもしれない。

 

それでも、その一つひとつが誰かの心の動きの結果なのだと思うと、不思議と重みを感じる。

 

数の多さではなく、言葉が届いた実感。

私が求めていたものは、案外こちらだったのかもしれない。

 

時代は「コージー・ウェブ」へ

最近、「コージー・ウェブ(Cozy Web)」という言葉を目にするようになった。

居心地の良い、小さなインターネット。

 

 

 

大勢の注目を集めることよりも、自分の好きなことを、自分のペースで発信する場所を大切にする考え方だ。

 

SNSが悪いわけではない。

けれど、常に誰かと比較され、数字にさらされ続ける環境に疲れた人たちが、静かな場所へ戻り始めているのも事実だろう。

 

AIによる大量の情報があふれる時代だからこそ、

「誰が書いたのか」

「どんな人生を歩いてきた人なのか」

そんな背景に価値を感じる人も増えていくような気がしている。

 

誰かのための灯台として

「自分だけの日記なら、非公開で書けばいい」

そう思ったこともあった。

 

実際、いいね機能のない場所を探したこともある。

 

それでも私は20年以上、言葉を公開し続けている。

なぜなら、これまでに何人もの人から、

「救われました」

「考えるきっかけになりました」

という言葉をもらったからだ。

 

発信の目的は、もう承認ではない。

けれど、自分の経験や考えが誰かの役に立つことがあるなら、それは嬉しい。

 

今の私にとってブログやnoteは、市場ではなく記録庫だ。

思考や記憶を静かに積み重ねる場所。

 

けれど、その扉は閉じない。

ほんの少しだけ開けておく。

 

今日書いた言葉が、数年後、人生に迷った誰かの検索の先に偶然現れるかもしれないからだ。

 

主役がブログからSNSへ、そしてAIへと移り変わったとしても、

人間の本当の言葉に誰かが救われる。

 

そのことだけは、これからも変わらない気がしている。

 

今日も私は、数字を背後に置きながら、自分が書き残したいことを静かに書いていく。

 

 

 

野良猫が足跡を残していくような軽やかさで。