人はいつか必ず死ぬのに | ドーベルマンボルドー裏ブログ

ドーベルマンボルドー裏ブログ

読書、動物との暮らし、日々の気づき。
人生の途中で見つけたことを、静かに書き残しています。

 

 

 

そんなことは誰でも知っている。

でも不思議なことに、
私たちはそれを自分のこととしては考えない。

いや、正確には考えられないのかもしれない。

 

明日の予定を立てる。
来月の予約をする。
来年の目標を考える。

 

そのすべては、

「その時も自分は生きている」

という前提の上に成り立っている。

 

もちろん私も同じだ。

頭では理解している。

人間は100%死ぬ。

例外は一人もいない。

 

それなのに、

「自分はまだ大丈夫」

という感覚がどこかにある。

それが人間なのだろう。

 

もし毎日、

「今日が人生最後の日かもしれない」

を本気で感じながら生きたら、
普通の生活などできない。

だから脳はうまくぼかしてくれる。

生きるために。

 

けれど年齢を重ねるにつれ、
少しずつそのぼかしが薄くなっていく。

 

大切な存在との別れ。

老いていく家族。

旅立った愛犬たち。

そして自分自身の年齢。

 

そんなものに触れるたび、

「本当に有限なんだな」

と思うようになる。

 

すると不思議なことが起きる。

昔なら腹を立てていたことが、
だんだん小さく見えてくるのだ。

 

もちろん嫌なものは嫌だ。

理不尽なことは理不尽だ。

疲れる人は疲れる。

 

でも、

「これに残りの人生の時間を使う価値があるだろうか」

と考えるようになる。

 

私は最近、
境界線を引くことにためらいがなくなった。

 

昔はもっと説明した。

理解してもらおうとした。

わかってほしかった。

 

けれど今は違う。

相手の課題は相手の課題。

私の人生は私の人生。

それでいいと思っている。

冷たくなったわけではない。

むしろ逆かもしれない。

限りある時間だからこそ、
本当に大切なものに使いたいと思うようになったのだ。

 

読書をする時間。

手作りをする時間。

家族との時間。

静かに考え事をする時間。

 

そんな時間の方が、
ずっと大切に思える。

人はいつか必ず死ぬ。

それは少し寂しい事実だ。

 

けれど同時に、

「今をどう生きるか」

を教えてくれる事実でもある。

 

人生の終わりに振り返った時、

誰かを変えようと必死になった時間より、

自分らしく穏やかに生きた時間の方を、
私は大切に思う気がする。

 

だから今日も思う。

大概のこと瑣末だ。

本当に大切なものだけ、
しっかり抱えて生きていけばいいのだと。

 

 

 

★参照 心理学 
死の否認(death denial)
テラー・マネジメント理論