そんなことは誰でも知っている。
でも不思議なことに、
私たちはそれを自分のこととしては考えない。
いや、正確には考えられないのかもしれない。
明日の予定を立てる。
来月の予約をする。
来年の目標を考える。
そのすべては、
「その時も自分は生きている」
という前提の上に成り立っている。
もちろん私も同じだ。
頭では理解している。
人間は100%死ぬ。
例外は一人もいない。
それなのに、
「自分はまだ大丈夫」
という感覚がどこかにある。
それが人間なのだろう。
もし毎日、
「今日が人生最後の日かもしれない」
を本気で感じながら生きたら、
普通の生活などできない。
だから脳はうまくぼかしてくれる。
生きるために。
けれど年齢を重ねるにつれ、
少しずつそのぼかしが薄くなっていく。
大切な存在との別れ。
老いていく家族。
旅立った愛犬たち。
そして自分自身の年齢。
そんなものに触れるたび、
「本当に有限なんだな」
と思うようになる。
すると不思議なことが起きる。
昔なら腹を立てていたことが、
だんだん小さく見えてくるのだ。
もちろん嫌なものは嫌だ。
理不尽なことは理不尽だ。
疲れる人は疲れる。
でも、
「これに残りの人生の時間を使う価値があるだろうか」
と考えるようになる。
私は最近、
境界線を引くことにためらいがなくなった。
昔はもっと説明した。
理解してもらおうとした。
わかってほしかった。
けれど今は違う。
相手の課題は相手の課題。
私の人生は私の人生。
それでいいと思っている。
冷たくなったわけではない。
むしろ逆かもしれない。
限りある時間だからこそ、
本当に大切なものに使いたいと思うようになったのだ。
読書をする時間。
手作りをする時間。
家族との時間。
静かに考え事をする時間。
そんな時間の方が、
ずっと大切に思える。
人はいつか必ず死ぬ。
それは少し寂しい事実だ。
けれど同時に、
「今をどう生きるか」
を教えてくれる事実でもある。
人生の終わりに振り返った時、
誰かを変えようと必死になった時間より、
自分らしく穏やかに生きた時間の方を、
私は大切に思う気がする。
だから今日も思う。
大概のこと瑣末だ。
本当に大切なものだけ、
しっかり抱えて生きていけばいいのだと。
★参照 心理学
死の否認(death denial)
テラー・マネジメント理論