タカアンドトシから見る漫才師のコンビ愛論
先日、放送作家の鈴木おさむ氏が著した『芸人交換日記』という本が発売された。この本は、結成11年目の漫才コンビ「イエローハーツ」が交換日記をし始めるというもので、漫才コンビでしかわからないような二人の絆が非常にリアルに表されている。そのため、芸人の中でもファンは多く、中でもタカアンドトシのタカは、この本を読んだ翌日の「笑っていいとも!」の生放送に、目を赤く腫らした様子で出演したほど、感銘を受けた様子だった。そこで、先日発売されたQuickJapanにて、著者である鈴木おさむ氏とタカアンドトシのタカの対談が組まれていた。そこでの対談の様子から、タカアンドトシのコンビ愛を考察し、漫才師の絆について考えていきたいと思う。
タカアンドトシはほとんどの仕事をコンビでやっているという。(今回の対談も初めてのピンでの取材だったようだ)鈴木おさむは、タカに対して「相当コンビ愛強いよね」と言うと、「まあ、僕が子供なだけなんですけどね(笑)」とタカ。相方のトシに非常な信頼を寄せているようだ。対談は続き、タカアンドトシがラストイヤーでる10年目で出場したM-1グランプリの話題になった。結果は4位だったが、タカは自分たちとしては100点の漫才ができたので後悔しなかったという。その後、爆笑オンエアバトルでM-1チャンピオンとなったアンタッチャブルを破り、タカアンドトシが優勝したことで自分たちの漫才はまだ究められると思ったと、タカは話す。そして、そこから自身の漫才を練り上げていくうちに、タカアンドトシがバラエティで活躍するきっかけとなった「欧米か!」が生まれたのだと言う。0.1秒のズレすら妥協せずに自分らの漫才を磨き上げていく漫才師を見ていて、その漫才師の生き様を感じたと鈴木は言う。
対談は続き、タカアンドトシのコンビ愛についての話になる。タカは自分の事をものすごい心配性だと言う。いつかトシに捨てられるんじゃないかという不安を常に感じていると語る。しかし、続けてタカは相方についてこう語る。「そういう弱さは、トシには悟られたくないんです。どこのコンビでも一緒だと思いますけど、相方にはカッコつけていたいじゃないですか。だけど、本心をさらけだして、何でも話し合いたいのも相方なんですよ。」(本文ママ)そして、できれば毎日トシと遊びたい。と言い、さらに、トシがツッコんでくれるのが一番嬉しい。と語って、この対談を締めていた。私は、それを読んで、きっと相方のトシもそうやって思ってくれるタカのことを同じ気持ちで見ているのだろう。と感じた。無論、トシはタカほどの心配性ではないだろうし、それをわかりやすく表現することもしないだろう。しかしながら、考えている事の根本としては、およそ同じ事を考えているだろう。それが家族なくでも、親友でもない、漫才コンビ同士でしかわからない「コンビ愛」なのだろう。年を取れば、コンビ愛の表現の仕方は変わってくる。また、コンビによってはその形も異なる事だろう。くりぃむしちゅ~にはくりぃむしちゅ~なりの、雨上がり決死隊には、雨上がり決死隊なりのコンビ愛というのがある。必ずどのコンビにもそのコンビでしかない唯一のコンビ愛の在り方が存在する。それは、他人がどういうものなのか詮索しようとしてもわかるものではない。そのコンビ間でしかわからないものであり、また一生わかることができないものなのだろう。
タカアンドトシは、視聴者を引きつけるための起爆剤としての「欧米か!」を利用して、二人の世界観を見せつけた。その世界観を示す事ができたのは、0.1秒のズレにもこだわり築き上げた、漫才の上手さに裏付けされた実力が強力なバックボーンとしてあったからだろう。つまり、「欧米か!」というフレーズがギャグとしてだけで終わらなかったのは、二人の強い絆があったからである。逆に考えれば、ピン芸人がギャグのヒットだけで消費されてしまう近年の若手芸人事情のウラには、「コンビ愛」というものがどこかで欠如しているからかもしれない。ギャグだけで終わらず、売れ続ける漫才コンビには、強い「愛」が満ちている。長年テレビに出続けている芸人さんのコンビ間の愛はどういったものか考えてみると、今まで以上にその芸人さんのことが好きになるかもしれない。しかしながら、それを考えたところでそコンビは我々が考えている以上の強い愛で繋がっているだろうが。
*ちなみに、最近私が思うコンビ愛に満ちているコンビは、オードリーです。若林が芸人交換日記の舞台をやるということで、おそらくコンビ愛について考えることが多くなったのでしょう。そして、コンビ愛に今まで以上に自覚的になったことで、春日を信頼している様子がラジオを聴いていてもとても伝わってきます。最近のオードリーのラジオが面白いのもそれが理由だろうと。(この想像も所詮は一片でしかないのでしょうが。)
タカアンドトシはほとんどの仕事をコンビでやっているという。(今回の対談も初めてのピンでの取材だったようだ)鈴木おさむは、タカに対して「相当コンビ愛強いよね」と言うと、「まあ、僕が子供なだけなんですけどね(笑)」とタカ。相方のトシに非常な信頼を寄せているようだ。対談は続き、タカアンドトシがラストイヤーでる10年目で出場したM-1グランプリの話題になった。結果は4位だったが、タカは自分たちとしては100点の漫才ができたので後悔しなかったという。その後、爆笑オンエアバトルでM-1チャンピオンとなったアンタッチャブルを破り、タカアンドトシが優勝したことで自分たちの漫才はまだ究められると思ったと、タカは話す。そして、そこから自身の漫才を練り上げていくうちに、タカアンドトシがバラエティで活躍するきっかけとなった「欧米か!」が生まれたのだと言う。0.1秒のズレすら妥協せずに自分らの漫才を磨き上げていく漫才師を見ていて、その漫才師の生き様を感じたと鈴木は言う。
対談は続き、タカアンドトシのコンビ愛についての話になる。タカは自分の事をものすごい心配性だと言う。いつかトシに捨てられるんじゃないかという不安を常に感じていると語る。しかし、続けてタカは相方についてこう語る。「そういう弱さは、トシには悟られたくないんです。どこのコンビでも一緒だと思いますけど、相方にはカッコつけていたいじゃないですか。だけど、本心をさらけだして、何でも話し合いたいのも相方なんですよ。」(本文ママ)そして、できれば毎日トシと遊びたい。と言い、さらに、トシがツッコんでくれるのが一番嬉しい。と語って、この対談を締めていた。私は、それを読んで、きっと相方のトシもそうやって思ってくれるタカのことを同じ気持ちで見ているのだろう。と感じた。無論、トシはタカほどの心配性ではないだろうし、それをわかりやすく表現することもしないだろう。しかしながら、考えている事の根本としては、およそ同じ事を考えているだろう。それが家族なくでも、親友でもない、漫才コンビ同士でしかわからない「コンビ愛」なのだろう。年を取れば、コンビ愛の表現の仕方は変わってくる。また、コンビによってはその形も異なる事だろう。くりぃむしちゅ~にはくりぃむしちゅ~なりの、雨上がり決死隊には、雨上がり決死隊なりのコンビ愛というのがある。必ずどのコンビにもそのコンビでしかない唯一のコンビ愛の在り方が存在する。それは、他人がどういうものなのか詮索しようとしてもわかるものではない。そのコンビ間でしかわからないものであり、また一生わかることができないものなのだろう。
タカアンドトシは、視聴者を引きつけるための起爆剤としての「欧米か!」を利用して、二人の世界観を見せつけた。その世界観を示す事ができたのは、0.1秒のズレにもこだわり築き上げた、漫才の上手さに裏付けされた実力が強力なバックボーンとしてあったからだろう。つまり、「欧米か!」というフレーズがギャグとしてだけで終わらなかったのは、二人の強い絆があったからである。逆に考えれば、ピン芸人がギャグのヒットだけで消費されてしまう近年の若手芸人事情のウラには、「コンビ愛」というものがどこかで欠如しているからかもしれない。ギャグだけで終わらず、売れ続ける漫才コンビには、強い「愛」が満ちている。長年テレビに出続けている芸人さんのコンビ間の愛はどういったものか考えてみると、今まで以上にその芸人さんのことが好きになるかもしれない。しかしながら、それを考えたところでそコンビは我々が考えている以上の強い愛で繋がっているだろうが。
*ちなみに、最近私が思うコンビ愛に満ちているコンビは、オードリーです。若林が芸人交換日記の舞台をやるということで、おそらくコンビ愛について考えることが多くなったのでしょう。そして、コンビ愛に今まで以上に自覚的になったことで、春日を信頼している様子がラジオを聴いていてもとても伝わってきます。最近のオードリーのラジオが面白いのもそれが理由だろうと。(この想像も所詮は一片でしかないのでしょうが。)
IPPONグランプリの回答に見る設楽統のサド学論
まずは、昨日放送されたIPPONグランプリにおける設楽統の回答を振り返ろう。
【一問目】母からの手紙「P.S.で書く事か?何が書かれてた?
・ P.S.とは、パンティー&ショーツなり
・ P.S.もうすぐ世界をなんとか出来そうです
・ P.S.割りばしでムカデをつかまえてガスコンロで焼きました
・ P.S.ハナの奥から鉄の臭いがします
【二問目】このストレッチ1年続けるとどうなる?(ヒジをカベにあてながらアキレス腱を伸ばすストレッチの画像)
・ 長袖、長ズボンがもらえる
・ ヒジとかデコとかよぉ…という会話が増える
・ 前のカベが上がって冒険の旅が始まる
・ 矢印はお尻にささる
・ 喜びも悲しみもこのポーズになる
【三問目】写真で一言(マラドーナがサッカーボールを抱えながら目をひんむいている写真)
・ 休けーい!
・ ヤロウども、あそこにもボールがあるぞぉ~
・ 甘いパンとしょっぱいパン買ってきてー
合計7本 7本/12回答 58%
大喜利というのは、自らの指向性がとてもわかりやすい形で出る。それは、コントや漫才などのように他者との掛け合いがないのもなので、相手のキャラクター等を考える必要がないため、「自分が思いつく最も面白い方向性」を表現するのに優れているからである。(そのため常に一人でネタを考えているバカリズムが強いのは納得できる)IPPONグランプリという番組は、そうした芸人個体の「素材」の面白さを引き出す演出がなされている番組である。
そして、昨日のIPPONグランプリの出場者であるバナナマン設楽統は、芸人界きってのSキャラである。しかしながら設楽統のSというのは、バナナマンのネタを見れば特に顕著にわかるが、いわゆるSと呼ばれるものではない。「サディスト」と一言に言っても、様々な種類が存在するのではないかと私は思う。お笑い芸人を例に出して考えてみると、ダウンタウンの浜田雅功のような最初から威圧的なSが一つ。極楽とんぼ加藤浩次のような、にじり寄るタイプのSもある。また、ナインティナインの矢部浩之が見せる愛情で包むように見せながら突き放すというSもあるだろう。様々な「S」がある中で、バナナマン設楽統のSというのは、精神面をえぐるようなSなのである。表面的にそれとわかるようなSではなく、深く突き刺さるようなものなのである。バナナマンでの役割によって、相方の日村勇紀が弄られる様子をよく見かけるが、それは日村勇紀が弄られ役だからというわけでなく、設楽統が生粋のSなため、日村勇紀がコントロールされているのではないか。今回のIPPONグランプリの設楽統の回答から、いかに内面に訴えかけるSを仕掛ける指向性のなのかを検証していこう。
【一問目】での回答は、わかりやすく設楽統の指向性が表れているので割愛しよう。私が注目するのは、【二問目】の最初の回答である「長袖、長ズボンがもらえる」だ。この回答にSの要素があると思う人はおそらく少ないだろう。しかし、この回答は設楽統のSの指向性を最も表現した回答だと私は思う。この回答に至った経緯を考えると、彼の頭の中に「半袖、半ズボンは情けない」という美学がベースとしてあるのだろうと考えられる。そのため、その「情けなさ」を端的に際立たせるために「長袖、長ズボンがもらえる」という回答をしたのだろう。設楽統のSには常に「情けない」や「みっともない」がつきまとう。他者に『「情けないこと」や「みっともないこと」をさせる』ことが設楽統の笑いなのである。こうやって表現すると、非常に酷い人間ということになってしまうが、誤解しないでもらいたい。どういうことかというのは、次のパラグラフでまとめよう。
設楽統のSには根拠があると私は思う。それは、『「情けないこと」や「みっともないこと」をしてはいけない。』という彼のハッキリとした美学である。設楽統は、「○○してしまうと、情けない」という考えを常に抱えている人間なのではないかと私は考える。そのため、自分は絶対にその情けないことをしないように自らを完璧に律している。自分のスキを一切排除しようという考え方で生きているのだ。こうして他者からの見え方だけでもスキをなくす事で、周りの人間のほんの一瞬のスキを指摘しやすくなる。普通の人では、指摘しても説得力がない事でも、設楽統が指摘する事によって妙な言葉の威力が生まれてくるのである。言う人が変われば、同じ事を言っていたとしても伝わり方が違うというのはみなさんもよく感じる事だろう。設楽統は『「他人から見てみっともないこと」を絶対にしない。』というブレない根拠があるため、言葉に説得力がある。それが、相手の内面をえぐり出すようなSとして表出されるのである。残念ながら今回のIPPONグランプリでは、そういった回答があまりなかったように思える。(特に三問目の「写真で一言」は写真のインパクトが強すぎたため、そこからあぶりだすような「情けなさ」を回答として出すのが難しかったのだろう)次回のIPPONグランプリにもぜひ出場者として出てもらいたいと願う。
P.S.
世界のナベアツは、落語家に本格転身したんじゃなかったでしたっけ?
【一問目】母からの手紙「P.S.で書く事か?何が書かれてた?
・ P.S.とは、パンティー&ショーツなり
・ P.S.もうすぐ世界をなんとか出来そうです
・ P.S.割りばしでムカデをつかまえてガスコンロで焼きました
・ P.S.ハナの奥から鉄の臭いがします
【二問目】このストレッチ1年続けるとどうなる?(ヒジをカベにあてながらアキレス腱を伸ばすストレッチの画像)
・ 長袖、長ズボンがもらえる
・ ヒジとかデコとかよぉ…という会話が増える
・ 前のカベが上がって冒険の旅が始まる
・ 矢印はお尻にささる
・ 喜びも悲しみもこのポーズになる
【三問目】写真で一言(マラドーナがサッカーボールを抱えながら目をひんむいている写真)
・ 休けーい!
・ ヤロウども、あそこにもボールがあるぞぉ~
・ 甘いパンとしょっぱいパン買ってきてー
合計7本 7本/12回答 58%
大喜利というのは、自らの指向性がとてもわかりやすい形で出る。それは、コントや漫才などのように他者との掛け合いがないのもなので、相手のキャラクター等を考える必要がないため、「自分が思いつく最も面白い方向性」を表現するのに優れているからである。(そのため常に一人でネタを考えているバカリズムが強いのは納得できる)IPPONグランプリという番組は、そうした芸人個体の「素材」の面白さを引き出す演出がなされている番組である。
そして、昨日のIPPONグランプリの出場者であるバナナマン設楽統は、芸人界きってのSキャラである。しかしながら設楽統のSというのは、バナナマンのネタを見れば特に顕著にわかるが、いわゆるSと呼ばれるものではない。「サディスト」と一言に言っても、様々な種類が存在するのではないかと私は思う。お笑い芸人を例に出して考えてみると、ダウンタウンの浜田雅功のような最初から威圧的なSが一つ。極楽とんぼ加藤浩次のような、にじり寄るタイプのSもある。また、ナインティナインの矢部浩之が見せる愛情で包むように見せながら突き放すというSもあるだろう。様々な「S」がある中で、バナナマン設楽統のSというのは、精神面をえぐるようなSなのである。表面的にそれとわかるようなSではなく、深く突き刺さるようなものなのである。バナナマンでの役割によって、相方の日村勇紀が弄られる様子をよく見かけるが、それは日村勇紀が弄られ役だからというわけでなく、設楽統が生粋のSなため、日村勇紀がコントロールされているのではないか。今回のIPPONグランプリの設楽統の回答から、いかに内面に訴えかけるSを仕掛ける指向性のなのかを検証していこう。
【一問目】での回答は、わかりやすく設楽統の指向性が表れているので割愛しよう。私が注目するのは、【二問目】の最初の回答である「長袖、長ズボンがもらえる」だ。この回答にSの要素があると思う人はおそらく少ないだろう。しかし、この回答は設楽統のSの指向性を最も表現した回答だと私は思う。この回答に至った経緯を考えると、彼の頭の中に「半袖、半ズボンは情けない」という美学がベースとしてあるのだろうと考えられる。そのため、その「情けなさ」を端的に際立たせるために「長袖、長ズボンがもらえる」という回答をしたのだろう。設楽統のSには常に「情けない」や「みっともない」がつきまとう。他者に『「情けないこと」や「みっともないこと」をさせる』ことが設楽統の笑いなのである。こうやって表現すると、非常に酷い人間ということになってしまうが、誤解しないでもらいたい。どういうことかというのは、次のパラグラフでまとめよう。
設楽統のSには根拠があると私は思う。それは、『「情けないこと」や「みっともないこと」をしてはいけない。』という彼のハッキリとした美学である。設楽統は、「○○してしまうと、情けない」という考えを常に抱えている人間なのではないかと私は考える。そのため、自分は絶対にその情けないことをしないように自らを完璧に律している。自分のスキを一切排除しようという考え方で生きているのだ。こうして他者からの見え方だけでもスキをなくす事で、周りの人間のほんの一瞬のスキを指摘しやすくなる。普通の人では、指摘しても説得力がない事でも、設楽統が指摘する事によって妙な言葉の威力が生まれてくるのである。言う人が変われば、同じ事を言っていたとしても伝わり方が違うというのはみなさんもよく感じる事だろう。設楽統は『「他人から見てみっともないこと」を絶対にしない。』というブレない根拠があるため、言葉に説得力がある。それが、相手の内面をえぐり出すようなSとして表出されるのである。残念ながら今回のIPPONグランプリでは、そういった回答があまりなかったように思える。(特に三問目の「写真で一言」は写真のインパクトが強すぎたため、そこからあぶりだすような「情けなさ」を回答として出すのが難しかったのだろう)次回のIPPONグランプリにもぜひ出場者として出てもらいたいと願う。
P.S.
世界のナベアツは、落語家に本格転身したんじゃなかったでしたっけ?
サタデーナイトライブJPNで再確認した生放送のこれからの影響力
先ほど、フジテレビで新番組として始まった「サタデーナイトライブJPN」があまりにも刺激的で久々に純粋にテレビが楽しくて仕方なかったので、その感想を記そう。
この番組を見て、まず出て来た感想は「やっぱり生は面白い!」ということ。個人的な話ではあるが、最近明石家さんまのコントライブやももいろクローバーのライブなど、生の舞台に行くことが増えて来ている。そしてまた、今後もその回数は増えていくだろう。昨今は、youtubeやニコニコ動画など動画共有サイトの普及のおかげで、いつでもどこでも「コンテンツを所有」することができるようになった。それは非常に便利であり、多様化する趣味になる時代の流れの中で、それぞれにあったコンテンツをいつでもどこでも利用できるように所有できるようになったことは、決して不幸なことではない。しかしながら、それに慣れてしまったことで、従来のコンテンツの価値のハードルが上がってしまった。自分の好きなものを好きなだけ見られるのだから、少しでも関心がなくなってしまったらすぐに次へというように、コンテンツの受け取り方が大きく変容して来た。そのため、「新たなコンテンツとしての価値」を提示し直さなくてはならなくなった。その一つが「ライブ」である。無論、「ライブ」「舞台」などというものは、テレビ放送が始まる前から存在していたものではある。しかし、昨今「ライブ性」の価値が再注目されるようになった。(その価値の付け方で最も成功したのが、言わずもがなAKB48である。)もちろん、テレビにおけるコンテンツとしての価値付けに「ライブ」というのは非常に有効に機能する。いつ何が起こるかわからないハプニング性というのは、規模が大きくなればなるほど、クオリティが高ければ高いほどワクワクする。そうした期待感が視聴者をテレビに釘付けにさせるのだ。視聴率を上げたいばかりに「ながら視聴」を容認するような番組作りが増えてきている中で、生放送で目を離せない番組を作る「サタデーナイトライブJPN」は非常に興奮した。
テレビというメディアと、生放送というコンテンツ内容は非常に親和性があるということに改めて気づかされた番組であった。この番組は、笑っていいともを30年間やってきたフジテレビにしかできない番組だと、私は思う。30年間培って来た生放送のノウハウが、今回の「サタデーナイトライブJPN」に脈々と受け継がれていっているのだろう。(最近、本家のいいともに受け継がれていない気がするのだが、いかがなものだろうか)どちらにせよ、将来的にテレビ界は生放送を制する者が、テレビ界を制すると言っても過言ではない時代が来るだろう。それまでに、代表的な生放送の番組があるかがテレビ局の価値となる。フジテレビだったらいいともでバラエティ、テレビ朝日だったらミュージックステーションで音楽番組、TBSだったらはなまるマーケットで情報番組。日本テレビを考えると、10年以上続いている生放送番組がないのである。最近、視聴率的に上昇傾向にある日本テレビだが、もしかしたら数年後テレビ東京と肩を並べているかもしれない。
それとは全然関係ないですが、次回の「SNLJPN」の芸人枠と歌手枠の予想をします。私の個人的な理想は、芸人枠では、久々に生放送で大舞台の春日が見たいので「オードリー」で、歌手枠は、うわさのチャンネル的ポジション(よく知らないけど)を期待して「和田アキ子」ですけども、リアル予想をすれば、芸人枠は、さんまさんとの絡みの話題性も含めて「木梨憲武」(エンドロールに港さんの名前もあったし←あんま関係ないけど)で、歌手枠は若干平井堅とかぶるけど「トータス松本」でいきたいと思います。いや、リアルな予想とかいって当たるわけはないんだけども。
この番組を見て、まず出て来た感想は「やっぱり生は面白い!」ということ。個人的な話ではあるが、最近明石家さんまのコントライブやももいろクローバーのライブなど、生の舞台に行くことが増えて来ている。そしてまた、今後もその回数は増えていくだろう。昨今は、youtubeやニコニコ動画など動画共有サイトの普及のおかげで、いつでもどこでも「コンテンツを所有」することができるようになった。それは非常に便利であり、多様化する趣味になる時代の流れの中で、それぞれにあったコンテンツをいつでもどこでも利用できるように所有できるようになったことは、決して不幸なことではない。しかしながら、それに慣れてしまったことで、従来のコンテンツの価値のハードルが上がってしまった。自分の好きなものを好きなだけ見られるのだから、少しでも関心がなくなってしまったらすぐに次へというように、コンテンツの受け取り方が大きく変容して来た。そのため、「新たなコンテンツとしての価値」を提示し直さなくてはならなくなった。その一つが「ライブ」である。無論、「ライブ」「舞台」などというものは、テレビ放送が始まる前から存在していたものではある。しかし、昨今「ライブ性」の価値が再注目されるようになった。(その価値の付け方で最も成功したのが、言わずもがなAKB48である。)もちろん、テレビにおけるコンテンツとしての価値付けに「ライブ」というのは非常に有効に機能する。いつ何が起こるかわからないハプニング性というのは、規模が大きくなればなるほど、クオリティが高ければ高いほどワクワクする。そうした期待感が視聴者をテレビに釘付けにさせるのだ。視聴率を上げたいばかりに「ながら視聴」を容認するような番組作りが増えてきている中で、生放送で目を離せない番組を作る「サタデーナイトライブJPN」は非常に興奮した。
テレビというメディアと、生放送というコンテンツ内容は非常に親和性があるということに改めて気づかされた番組であった。この番組は、笑っていいともを30年間やってきたフジテレビにしかできない番組だと、私は思う。30年間培って来た生放送のノウハウが、今回の「サタデーナイトライブJPN」に脈々と受け継がれていっているのだろう。(最近、本家のいいともに受け継がれていない気がするのだが、いかがなものだろうか)どちらにせよ、将来的にテレビ界は生放送を制する者が、テレビ界を制すると言っても過言ではない時代が来るだろう。それまでに、代表的な生放送の番組があるかがテレビ局の価値となる。フジテレビだったらいいともでバラエティ、テレビ朝日だったらミュージックステーションで音楽番組、TBSだったらはなまるマーケットで情報番組。日本テレビを考えると、10年以上続いている生放送番組がないのである。最近、視聴率的に上昇傾向にある日本テレビだが、もしかしたら数年後テレビ東京と肩を並べているかもしれない。
それとは全然関係ないですが、次回の「SNLJPN」の芸人枠と歌手枠の予想をします。私の個人的な理想は、芸人枠では、久々に生放送で大舞台の春日が見たいので「オードリー」で、歌手枠は、うわさのチャンネル的ポジション(よく知らないけど)を期待して「和田アキ子」ですけども、リアル予想をすれば、芸人枠は、さんまさんとの絡みの話題性も含めて「木梨憲武」(エンドロールに港さんの名前もあったし←あんま関係ないけど)で、歌手枠は若干平井堅とかぶるけど「トータス松本」でいきたいと思います。いや、リアルな予想とかいって当たるわけはないんだけども。
ボビーオロゴンはアフリカの毒蝮三太夫
最近、ボビーオロゴンをお笑い番組でよく見かける。先週だけでも、「アメトーーク」と「クイズタレント名鑑」という、いまのお笑い番組界で最も勢いがあり、挑戦的かつ革新的なことを仕掛けている番組に出演していた。どちらの番組でも、ボビーは与えられた役割をきちんとこなしており、出演している間は他のどの出演者よりも笑いをとっていた。最近また面白くなって注目されはじめてきたボビーではあるが、今回は特に「アメトーーク」でのボビーを扱われ方を分析しつつ、最終的に「ボビーオロゴンは、アフリカの毒蝮三太夫だ」と結論づけたいと考えている。
まずは、「アメトーーク」における使われ方を考察していこう。この回は「幸せいっぱい奥様芸人」というくくりで、ボビーは番組の後半の「旦那から奥様への手紙」のコーナーで手紙の読み手として登場していた。言ってしまえば、ボビーが手紙をおかしな日本語で読むことで感動からのギャップで笑いを生み出そうということだ。実際に「結婚して」というのを「糸吉して」と読んで、ちゃんと読めよと弄られていた。ここで最も注目すべき点は、ボビーがボケているという素振りを一切しなかったというところである。つまり、日本語を間違えて読むということに関して「おとぼけ」を貫き通したのである。観客をはじめ視聴者ももちろんわざと間違えているということは知っているのだが、微塵もボケている様相を見せないことで、どこか妙なリアリティが生まれる。身近な例で言うなら、男性が浮気をしていることが恋人にバレたときに、少しでもそれを認めてしまったらいけないのと同じである。浮気はしていないということを言い続けることで、本当は何かの勘違いなのではないかと逆に恋人側に思わせることができるように、ボビーがわざと日本語を間違えていても本当に知らないフリをし続けているので、その間違いがどれだけわざとっぽくても面白く受け取ることができるのである。ここまでくれば、ボキャブラリーのチョイスで面白くさせる必要がなくなる。どれだけしょうもないボケであっても、おとぼけを貫き通せば、むしろしょうもなさに比例して笑いが増大する。無論、ボビーは実際には「日本語がしゃべれないキャラ」を演じているのだが、それであっても、彼のしゃべり方など身体的な特徴から、視聴者側はキャラを演じているということが見えてこなくなる。そこに「本当のこと」など必要ない。おとぼけ通されることで逆に彼の人間性が浮かび上がり、それによって視聴者がボビーのペースにはまっていく。いつしか視聴者はボビーの術中にはまってしまっているのである。
この手法は、まるで毒蝮三太夫がおばあさんやおじいさんに向かって失礼な言葉(「この死にぞこない」や「お前、千葉県みたいな顔してるな」など)を発しながらも、根強い人気を保っているのに似ている。毒蝮三太夫は以前、ゲスト出演したラジオ番組(小島慶子のキラキラ)で、自身の毒舌に対してこんな発言をしていた。チャーミングじゃなきゃダメじゃないですか。そのチャーミングさって言うのがはわざとらしいのは良くないわけ。毒蝮は自覚して毒舌を老人に向かって言っている。それは、自分のチャーミングな面を引き立たせるための攻撃的な手段であるからなのだ。ボビーも毒蝮氏と同様に非常にチャーミングである。詳細は記さないが、先述の「クイズタレント名鑑」でのアパートなのにボビー家に犬がいるんじゃないか疑惑の時の困っているボビーの顔は非常にキュートであった。ボビーオロゴンの人間性は非常に愛されるものである。毒蝮氏の愛される要因は、毒舌により引き立たされた人情味であるが、ボビーの場合は、つたなさや弄られる様子により引き立たされた人情味である。普段よく見かけるバラエティでのボビーという側面だけでなく、格闘技挑戦での男気溢れるボビー、または子供を大事にする家族思いのボビーなど、ボビーオロゴンという人間には様々な顔があり、それをボビーは惜しげもなくテレビで見せている。こうしたテレビで見せる多くの顔からボビーという人間が立体的に浮かび上がるようになり、それによりバラエティでのボビーに深みが生まれるのである。バラエティの活動だけでは、おそらくおちゃらけた外国人という認識だけで終わってしまうだろう。先ほどの「アメトーーク」の例で言えば、おとぼけ通されたところですぐに飽きてしまうだろう。しかしながら、いまでも面白く扱われるのは、ボビーがとても人間味に溢れるチャーミングなタレントだからである。
ということで、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」のレポーターでの毒蝮三太夫の後釜は、ボビーオロゴンを推薦します。
*月曜日よる10時から放送されている「鈴木先生」というドラマが面白いです。最初は、主演がバッファロー吾郎の竹若さんかと思って見てて結局違ってがっかりしていたのですが、たまに田畑智子が出てくるのでいまではそれが楽しみです。もちろん、ストーリーも。先週の小川さんの「立派に演じ続けます」発言には泣きました。
まずは、「アメトーーク」における使われ方を考察していこう。この回は「幸せいっぱい奥様芸人」というくくりで、ボビーは番組の後半の「旦那から奥様への手紙」のコーナーで手紙の読み手として登場していた。言ってしまえば、ボビーが手紙をおかしな日本語で読むことで感動からのギャップで笑いを生み出そうということだ。実際に「結婚して」というのを「糸吉して」と読んで、ちゃんと読めよと弄られていた。ここで最も注目すべき点は、ボビーがボケているという素振りを一切しなかったというところである。つまり、日本語を間違えて読むということに関して「おとぼけ」を貫き通したのである。観客をはじめ視聴者ももちろんわざと間違えているということは知っているのだが、微塵もボケている様相を見せないことで、どこか妙なリアリティが生まれる。身近な例で言うなら、男性が浮気をしていることが恋人にバレたときに、少しでもそれを認めてしまったらいけないのと同じである。浮気はしていないということを言い続けることで、本当は何かの勘違いなのではないかと逆に恋人側に思わせることができるように、ボビーがわざと日本語を間違えていても本当に知らないフリをし続けているので、その間違いがどれだけわざとっぽくても面白く受け取ることができるのである。ここまでくれば、ボキャブラリーのチョイスで面白くさせる必要がなくなる。どれだけしょうもないボケであっても、おとぼけを貫き通せば、むしろしょうもなさに比例して笑いが増大する。無論、ボビーは実際には「日本語がしゃべれないキャラ」を演じているのだが、それであっても、彼のしゃべり方など身体的な特徴から、視聴者側はキャラを演じているということが見えてこなくなる。そこに「本当のこと」など必要ない。おとぼけ通されることで逆に彼の人間性が浮かび上がり、それによって視聴者がボビーのペースにはまっていく。いつしか視聴者はボビーの術中にはまってしまっているのである。
この手法は、まるで毒蝮三太夫がおばあさんやおじいさんに向かって失礼な言葉(「この死にぞこない」や「お前、千葉県みたいな顔してるな」など)を発しながらも、根強い人気を保っているのに似ている。毒蝮三太夫は以前、ゲスト出演したラジオ番組(小島慶子のキラキラ)で、自身の毒舌に対してこんな発言をしていた。チャーミングじゃなきゃダメじゃないですか。そのチャーミングさって言うのがはわざとらしいのは良くないわけ。毒蝮は自覚して毒舌を老人に向かって言っている。それは、自分のチャーミングな面を引き立たせるための攻撃的な手段であるからなのだ。ボビーも毒蝮氏と同様に非常にチャーミングである。詳細は記さないが、先述の「クイズタレント名鑑」でのアパートなのにボビー家に犬がいるんじゃないか疑惑の時の困っているボビーの顔は非常にキュートであった。ボビーオロゴンの人間性は非常に愛されるものである。毒蝮氏の愛される要因は、毒舌により引き立たされた人情味であるが、ボビーの場合は、つたなさや弄られる様子により引き立たされた人情味である。普段よく見かけるバラエティでのボビーという側面だけでなく、格闘技挑戦での男気溢れるボビー、または子供を大事にする家族思いのボビーなど、ボビーオロゴンという人間には様々な顔があり、それをボビーは惜しげもなくテレビで見せている。こうしたテレビで見せる多くの顔からボビーという人間が立体的に浮かび上がるようになり、それによりバラエティでのボビーに深みが生まれるのである。バラエティの活動だけでは、おそらくおちゃらけた外国人という認識だけで終わってしまうだろう。先ほどの「アメトーーク」の例で言えば、おとぼけ通されたところですぐに飽きてしまうだろう。しかしながら、いまでも面白く扱われるのは、ボビーがとても人間味に溢れるチャーミングなタレントだからである。
ということで、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」のレポーターでの毒蝮三太夫の後釜は、ボビーオロゴンを推薦します。
*月曜日よる10時から放送されている「鈴木先生」というドラマが面白いです。最初は、主演がバッファロー吾郎の竹若さんかと思って見てて結局違ってがっかりしていたのですが、たまに田畑智子が出てくるのでいまではそれが楽しみです。もちろん、ストーリーも。先週の小川さんの「立派に演じ続けます」発言には泣きました。
スリムクラブ内間に見る「ポカン顔」というツッコミ方法論
多少古い話にはなるが、昨年のM-1グランプリで最も印象に残った漫才といえば、優勝した笑い飯ではなく準優勝のスリムクラブであったというのは、もはや多くの人の共通認識だろう。どうしてスリムクラブが強いインパクトを残したのかを分析すると、ズバリ「間の有効活用」である。笑いの手数の量を多くすることが、M-1を勝ち抜くための現代漫才論の至上命題だったわけだが、スリムクラブはそこから目を背けて、独自のテンポで決してボケ(もしくはボケ要素を含んだツッコミ)が多いとは言えない漫才を展開した。スリムクラブ独自のテンポの漫才が出来上がった背景には、彼らが「沖縄出身」ということが挙げられる。沖縄の人ならではの温厚な気性が、彼らの漫才の構成に反映されている。基本的にスリムクラブの漫才は、ボケの真栄田が意味不明なことを言う不審者で、ツッコミの内間がそれを戸惑う一般人という構成である。この構成の漫才での笑いの発生地点は、内間が真栄田のボケに戸惑っている時に生じる「間」である。ただ単に戸惑っているだけでは笑いになることはない。この間を笑いに変換させている装置として機能しているのが、内間の独特の「ポカン顔」なのである。
M-1グランプリが始まったのが2001年のことである。始める際、企画主催者である島田紳助は「漫才のレベルアップ」ということを何度も言っていた。ゼロ年代中盤ごろから彼の言うような漫才のレベルアップは果たされつつあり、そのせいでエンタの神様から爆笑レッドカーペットへと繋がる、「お笑いブーム」が長い間続いた。どうしてわざわざゼロ年代以降の笑いの歴史を説明したのかといえば、こうした経緯によって、【視聴者の笑いの見方】が成熟したことを言いたかったのである。つまり、先ほど「現代漫才論の至上命題は、笑いの手数だ」という旨を書いたが、すでに視聴者はその方法論に慣れてしまっているが故に、自らで笑いを生み出すことができるようになっていたのである。通常の漫才の見方と言えば、一般的に言われるのが「ボケる→ツッコむ」のツッコミの部分で笑いが生まれる。しかしながら、そうした一連の流れに慣れた視聴者は漫才内でのツッコミよりも早く自らの脳内でツッコミ処理を行っているのだ。そのため、中途半端な速度でのツッコミなど機能しない。それに気づき始めたナイツや南海キャンディーズはツッコミをボケのような言葉に変換することでボケツッコミという方法論を確立して、そこで別の笑いを生んでいたがそれはまた別の話なので割愛。話がズレてしまったがスリムクラブの漫才は、ゼロ年代のバラエティの成熟による視聴スタイルの変容によって、視聴者にツッコミを委ねたという点で発明なのである。また、他の漫才コンビがスリムクラブの構成の漫才をしたところで、たいしたインパクトを残すことはできないだろう。ただ単に「間」を作ればいいというものではない。その「間」をどのように作るか、そして、その「間」の時間がどう機能しているのかが重要なのである。「間」をどう作るのかに関して、スリムクラブは変質者と一般人という設定による「戸惑い」という点で成立させた。これは真栄田の声と体格の良さの不気味さからこうした対立関係がリアルに作り出せたのだろう。そして、「間」の時間をどう機能させているのかという点に関しては、やはり内間の「ポカン顔」である。彼の顔は日本一「ポカン顔」が似合う男性だろう。(ちなみに女性のポカン顔日本一は、はいだしょうこ。)
彼らは、彼らでしか出来ない漫才を成立させた。それが時代(視聴者側の漫才の見方)にマッチしていたため、M-1でのあれほどのインパクトに繋がったのだろう。スリムクラブはM-1後も多くのバラエティ番組に出ている。バラエティ番組では、真栄田の不審者キャラはあまり見られない(むしろ男前な振る舞いキャラだ)が、相変わらず内間はあのままのキャラクターで、先輩芸人たちに弄られて笑いを発生させている。そしてまた、どれだけ弄られても内間ポカン顔を貫いている。そしてそれがまた新たな笑いを生み出すといういい連鎖反応を起こしている。
スリムクラブの内間に限らず、これからのバラエティ番組の見方として、「ポカン顔」に注目してみると、何か新しい楽しみ方ができるのかもしれない。
*昨日、ももいろクローバーのライブに初めて行ってきました。(過去ももクロについて書いた記事;http://ameblo.jp/contorry/entry-10870493634.html)7月6日に新曲が2枚リリースされるので、その前後でミュージックステーションあたりの有名どこの音楽番組に出たら、またライブの感想も踏まえて5人になったももクロについて書こうと思います。それまで、どなたかがアップしてくれた新曲「Z伝説~終わりなき革命~」を毎晩見てその時に備えてシャドーブログしておきます。http://www.youtube.com/watch?v=ym-iuiPr_z0
M-1グランプリが始まったのが2001年のことである。始める際、企画主催者である島田紳助は「漫才のレベルアップ」ということを何度も言っていた。ゼロ年代中盤ごろから彼の言うような漫才のレベルアップは果たされつつあり、そのせいでエンタの神様から爆笑レッドカーペットへと繋がる、「お笑いブーム」が長い間続いた。どうしてわざわざゼロ年代以降の笑いの歴史を説明したのかといえば、こうした経緯によって、【視聴者の笑いの見方】が成熟したことを言いたかったのである。つまり、先ほど「現代漫才論の至上命題は、笑いの手数だ」という旨を書いたが、すでに視聴者はその方法論に慣れてしまっているが故に、自らで笑いを生み出すことができるようになっていたのである。通常の漫才の見方と言えば、一般的に言われるのが「ボケる→ツッコむ」のツッコミの部分で笑いが生まれる。しかしながら、そうした一連の流れに慣れた視聴者は漫才内でのツッコミよりも早く自らの脳内でツッコミ処理を行っているのだ。そのため、中途半端な速度でのツッコミなど機能しない。それに気づき始めたナイツや南海キャンディーズはツッコミをボケのような言葉に変換することでボケツッコミという方法論を確立して、そこで別の笑いを生んでいたがそれはまた別の話なので割愛。話がズレてしまったがスリムクラブの漫才は、ゼロ年代のバラエティの成熟による視聴スタイルの変容によって、視聴者にツッコミを委ねたという点で発明なのである。また、他の漫才コンビがスリムクラブの構成の漫才をしたところで、たいしたインパクトを残すことはできないだろう。ただ単に「間」を作ればいいというものではない。その「間」をどのように作るか、そして、その「間」の時間がどう機能しているのかが重要なのである。「間」をどう作るのかに関して、スリムクラブは変質者と一般人という設定による「戸惑い」という点で成立させた。これは真栄田の声と体格の良さの不気味さからこうした対立関係がリアルに作り出せたのだろう。そして、「間」の時間をどう機能させているのかという点に関しては、やはり内間の「ポカン顔」である。彼の顔は日本一「ポカン顔」が似合う男性だろう。(ちなみに女性のポカン顔日本一は、はいだしょうこ。)
彼らは、彼らでしか出来ない漫才を成立させた。それが時代(視聴者側の漫才の見方)にマッチしていたため、M-1でのあれほどのインパクトに繋がったのだろう。スリムクラブはM-1後も多くのバラエティ番組に出ている。バラエティ番組では、真栄田の不審者キャラはあまり見られない(むしろ男前な振る舞いキャラだ)が、相変わらず内間はあのままのキャラクターで、先輩芸人たちに弄られて笑いを発生させている。そしてまた、どれだけ弄られても内間ポカン顔を貫いている。そしてそれがまた新たな笑いを生み出すといういい連鎖反応を起こしている。
スリムクラブの内間に限らず、これからのバラエティ番組の見方として、「ポカン顔」に注目してみると、何か新しい楽しみ方ができるのかもしれない。
*昨日、ももいろクローバーのライブに初めて行ってきました。(過去ももクロについて書いた記事;http://ameblo.jp/contorry/entry-10870493634.html)7月6日に新曲が2枚リリースされるので、その前後でミュージックステーションあたりの有名どこの音楽番組に出たら、またライブの感想も踏まえて5人になったももクロについて書こうと思います。それまで、どなたかがアップしてくれた新曲「Z伝説~終わりなき革命~」を毎晩見てその時に備えてシャドーブログしておきます。http://www.youtube.com/watch?v=ym-iuiPr_z0