タカアンドトシから見る漫才師のコンビ愛論 | コントリーの反省ブログ

タカアンドトシから見る漫才師のコンビ愛論

 先日、放送作家の鈴木おさむ氏が著した『芸人交換日記』という本が発売された。この本は、結成11年目の漫才コンビ「イエローハーツ」が交換日記をし始めるというもので、漫才コンビでしかわからないような二人の絆が非常にリアルに表されている。そのため、芸人の中でもファンは多く、中でもタカアンドトシのタカは、この本を読んだ翌日の「笑っていいとも!」の生放送に、目を赤く腫らした様子で出演したほど、感銘を受けた様子だった。そこで、先日発売されたQuickJapanにて、著者である鈴木おさむ氏とタカアンドトシのタカの対談が組まれていた。そこでの対談の様子から、タカアンドトシのコンビ愛を考察し、漫才師の絆について考えていきたいと思う。
 タカアンドトシはほとんどの仕事をコンビでやっているという。(今回の対談も初めてのピンでの取材だったようだ)鈴木おさむは、タカに対して「相当コンビ愛強いよね」と言うと、「まあ、僕が子供なだけなんですけどね(笑)」とタカ。相方のトシに非常な信頼を寄せているようだ。対談は続き、タカアンドトシがラストイヤーでる10年目で出場したM-1グランプリの話題になった。結果は4位だったが、タカは自分たちとしては100点の漫才ができたので後悔しなかったという。その後、爆笑オンエアバトルでM-1チャンピオンとなったアンタッチャブルを破り、タカアンドトシが優勝したことで自分たちの漫才はまだ究められると思ったと、タカは話す。そして、そこから自身の漫才を練り上げていくうちに、タカアンドトシがバラエティで活躍するきっかけとなった「欧米か!」が生まれたのだと言う。0.1秒のズレすら妥協せずに自分らの漫才を磨き上げていく漫才師を見ていて、その漫才師の生き様を感じたと鈴木は言う。
 対談は続き、タカアンドトシのコンビ愛についての話になる。タカは自分の事をものすごい心配性だと言う。いつかトシに捨てられるんじゃないかという不安を常に感じていると語る。しかし、続けてタカは相方についてこう語る。「そういう弱さは、トシには悟られたくないんです。どこのコンビでも一緒だと思いますけど、相方にはカッコつけていたいじゃないですか。だけど、本心をさらけだして、何でも話し合いたいのも相方なんですよ。」(本文ママ)そして、できれば毎日トシと遊びたい。と言い、さらに、トシがツッコんでくれるのが一番嬉しい。と語って、この対談を締めていた。私は、それを読んで、きっと相方のトシもそうやって思ってくれるタカのことを同じ気持ちで見ているのだろう。と感じた。無論、トシはタカほどの心配性ではないだろうし、それをわかりやすく表現することもしないだろう。しかしながら、考えている事の根本としては、およそ同じ事を考えているだろう。それが家族なくでも、親友でもない、漫才コンビ同士でしかわからない「コンビ愛」なのだろう。年を取れば、コンビ愛の表現の仕方は変わってくる。また、コンビによってはその形も異なる事だろう。くりぃむしちゅ~にはくりぃむしちゅ~なりの、雨上がり決死隊には、雨上がり決死隊なりのコンビ愛というのがある。必ずどのコンビにもそのコンビでしかない唯一のコンビ愛の在り方が存在する。それは、他人がどういうものなのか詮索しようとしてもわかるものではない。そのコンビ間でしかわからないものであり、また一生わかることができないものなのだろう。
 タカアンドトシは、視聴者を引きつけるための起爆剤としての「欧米か!」を利用して、二人の世界観を見せつけた。その世界観を示す事ができたのは、0.1秒のズレにもこだわり築き上げた、漫才の上手さに裏付けされた実力が強力なバックボーンとしてあったからだろう。つまり、「欧米か!」というフレーズがギャグとしてだけで終わらなかったのは、二人の強い絆があったからである。逆に考えれば、ピン芸人がギャグのヒットだけで消費されてしまう近年の若手芸人事情のウラには、「コンビ愛」というものがどこかで欠如しているからかもしれない。ギャグだけで終わらず、売れ続ける漫才コンビには、強い「愛」が満ちている。長年テレビに出続けている芸人さんのコンビ間の愛はどういったものか考えてみると、今まで以上にその芸人さんのことが好きになるかもしれない。しかしながら、それを考えたところでそコンビは我々が考えている以上の強い愛で繋がっているだろうが。

*ちなみに、最近私が思うコンビ愛に満ちているコンビは、オードリーです。若林が芸人交換日記の舞台をやるということで、おそらくコンビ愛について考えることが多くなったのでしょう。そして、コンビ愛に今まで以上に自覚的になったことで、春日を信頼している様子がラジオを聴いていてもとても伝わってきます。最近のオードリーのラジオが面白いのもそれが理由だろうと。(この想像も所詮は一片でしかないのでしょうが。)