数年前、ある著名人の方にインタビューを行う機会があった。テレビなででもお馴染みの方で、私が中高生の頃にはゴールデンタイムで冠番組も持っていた方である。

インタビューが終わり、最後に私が「記事ができたらお送りしますので、内容を確認してください」と言うと、その方は「いえ結構。自由に書いてください」と仰った。

その方曰く「メディアがどのように私を表現しようと、それは自由。でも、私という存在は何ら冒すことはできないし、変わることはない。それが私の考えです」とのこと。達観した考えだなと、感心したものであった。

著名人の人物像は、メディアを通じて形成される。それが、本人の意向と一致していればよいが、必ずしもそうとは限らない。時に、ちょっとした言葉尻をつかまえ、傲慢な人間や冷徹な人間、優柔不断な人間などに描かれることもあろう。

しかし、それはメディアが創造する偶像、虚像に過ぎず、自分という存在は自分しか分からない、それが他人に理解されなくても構わないという考え方もできる。前出の方は、そうした考えに至ったのであろう。

そんな風に達観できればかっこいいなと思う。しかし、こと芸能人や政治家に関して言えば、望まざるイメージの形成は、自身の仕事・生活という死活問題にかかわってくるから、看過することはできない。

その方は、インタビューから1年後に、ある不祥事がメディアで騒がれ、以後、テレビ等への露出はほとんどなくなった。その時、ふとインタビューの時の言葉が脳裏の浮かんだ。

「メディアがどのように私を表現しようと、それは自由。でも、私という存在は何ら冒すことはできないし、変わることはない」

数ある報道は、本当に真実を伝えていたのだろうか。

そんなことはさておき、一つだけ確信できることがある。おそらくその方は、テレビや雑誌などで派手に取り上げられることに、何ら未練がなかったということ。今はきっと、彼らしく、自由に、緩やかに生きているのだろう。
物騒な事件が増えている。「物騒」とは、単に殺人や強盗、窃盗のことを指しているわけではない。もっと得体のしれない、動機の判然としない事件が増えているように思うのである。

昔の犯罪は、シンプルなものが多かった。それこそ、貧困に起因する強盗や窃盗、怨恨に起因する殺人といった具合に「動機」がはっきりしていた。

それがここ数年はどうだろう。動機が分からない無差別殺人や破壊行為、「何となくむしゃくしゃしていたからやった」という類の事件が、やたらと耳に増えているように思う。

何となく、世の中が全体的に「イライラ」している。そんな空気感は、私が日々、街を歩いたり、電車に乗ったりしている中でも、伝わってくる。

話は変わるが、ある専門家が「風俗店をなくせば、性犯罪が増える」と指摘していた。そうした店やサービスが「ガス抜き」の役目を果たし、犯罪を防いでいるとの指摘である。

しかし、本当にそうだろうか。世の中に猥褻な図画が溢れかえり、非合法まがいの性産業が幅を効かせ、それが人々の自制心を消し去り、欲望を暴走させるとの見方は出来ないだろうか。

昨今、2ちゃんやTwitterなどの匿名メディア、FacebookやmixiなどのSNSの利用者が増え、多くの人が不満や怒りを吐き出せるようになった。それで、現実生活が平穏になるのなら、喜ばしい。だが、現実にそうなっているかは微妙だと思う。

むしろ、匿名で発言できるメディアに限定して言えば、互いを理解しない者同士の誹謗中傷合戦が、人間の内側にある魔物を呼び覚ましているような感さえある。
数年前の話だが、某出版社の管理職の方から、「誰か若くて優秀な編集者がいないか。いたら紹介して欲しい」と相談を受けたことがある。

その編集部で欠員が出たとのことで、公募で面接をしたものの、望むような人材が応募してこなかったとのこと。それで、知り合いの会社に聞いて回っているとの話だった。

どんな人材ですかと聞いたところ「自分で企画が立てれて、プロジェクトを動かす力があって、若くて意欲的な人」とのこと。思わず「そんな人がいたら、うちが欲しいですよ」と笑いながら返してしまった。

冗談は抜きにして、ここの所、うちがお付き合いしているような専門書系の出版社は、高齢化が著しい。私がお付き合いしている編集者も多くが40~50代。20代は皆無で、30代も数えるほどしかいない。

ある雑誌の編集部なんぞ、若手が次々と入れ替わって、長く在籍しているのはみんなベテランという状況。それだけではなく、携わるライター、カメラマンも、軒並み40以上となっている。

もちろん、そうした状況を直接的に否定するわけではない。ベテランばかりで優勝争いをする野球チーム然り、高いパフォーマンスを発揮することもあるだろう。

だが、そんなチームはいずれ崩壊を招く。だから、適度な「世代交代」が必要なのは言うまでも無い。

専門書の出版業界に、若手が育たない、定着しない要因は何なんだろうか。本づくりという仕事そのものが、「今時」ではないのだろうか。

きっと、それだけではないだろう。分析するに、若手が育たない「環境」を私たちが作って来てしまったのではないか。

私も含め、40代になっても監督・コーチにならず、現場に固執し、日々ゲラを回しているベテランは多い。必然的に、若手の出場機会は減る。

また、若手を育てようという空気も、昔より薄れている感がある。若い人が自由な想像力を発揮し、周囲がそれをアシストし、何かあった時は監督たる人が責任を取る。昔はあったそんな空気感が薄れてきているような気がしてならない。

現場に固執せず、ベテランが勇気を持って階段を一歩上がる。それが、若手を「本づくり」の世界に呼び込み、業界全体を活性化することになるのではないだろうか。