先の3連休を利用して、妻と共に滋賀の実家に帰省してきました。

実家に戻るのは、約1年ぶり。なので近所の風景も、さほど変わらなかったのですが、久々に家の前にある空き地に、入ってみました。

この空き地は、長さ30メートル、幅15メートルくらいで、私が子どもの頃は、ほぼ毎日のように、ここで野球やサッカーをして遊んでいました。

そのため、当時この空き地は、子どもたちに踏み固められ、草がほとんど生えていませんでした。でも、今はというと・・・

$TEACHERS ”OFF”LINE-自宅前の空き地

ものすごい雑草が生い茂って、荒れ果てています。こうなってしまったのはいつ頃のことか・・・。
少子化が進んでいる上に、ゲームなどで遊ぶ子が増えたことで、きっとこの空き地で遊ぶ子がいなくなってしまったのでしょう。自分たちの思い出の場がこうなってしまったことに、なんだか少しだけ寂しくなりました。

その後、妻と共に、琵琶湖岸をドライブ。
ちょうど、私の母校である膳所高校の近くに来たので、立ち寄ってみたところ・・・

$TEACHERS ”OFF”LINE-膳所高校

こちらも、違う意味で、まったく当時の面影は残っていませんでした。
ちなみにこれが、ほぼ同じ位置から撮影した昔の画像です。

$TEACHERS ”OFF”LINE-昔の膳所高校

校舎も新しくなり、グラウンドの位置は変わり、校門の門扉までもが変わってしまっています。
変わらないのは、校門の脇に立つ桜の木くらいでしょうか。

考えてみれば、私が実家を離れて21年。

時の移り変わりというものを感じさせられた帰省でした。
昨日、首都圏は台風が直撃して、交通機関のダイヤが大幅に乱れました。私は2時過ぎに事務所を出たので問題なく帰宅できましたが、仕事で夕方まで会社にいた人の中には、駅で足止めをくらって、ヒドイ目に遭った人も少なくないようです。

交通機関やエレベーターなど、都市の基盤が自然災害に弱いのは致し方ないこと。こればかりは、誰にも文句は言えません。

運命の分かれ目は、おそらく昨日の昼前後だったと思います。
この時点で、多くの企業が社員に早めの帰宅を促し、学校も教育委員会等の指示を受けて、子どもを帰宅させるなどの措置を取りました。

一方、判断が遅れた会社では、駅で立ち往生して帰宅が深夜になったり、遠い距離を歩いて帰ったりと、散々な目にあった人が多かったようです。テレビでは、人で溢れかえった駅や雨の中をずぶ濡れになって歩いて帰宅する人たちの光景が、映し出されていました。

どこの企業や団体も、「危機管理」のためのマニュアルを整備しています。中には、台風の襲来に関しては、「○○警報が出た時」といった具合に、社員を帰宅させるラインを明確化にしているところもあるかもしれません。ただ、必ずしもこうしたマニュアルが明確化されているとは限りません

昨日、あるイベント会場では、ズルズルと開催を引っ張った末、多くの人達が帰れなくなってしまったとの話を聞きました。イベントですから、危機管理のマニュアルがなかったのかもしれません。

最終的な判断を下すのは、組織の「長」です。あらゆる情報を冷静に分析し、社員を帰らせる、あるいは残らせるなどの決定を下す。これを躊躇なく下せる「決断力」というのは、リーダーたる人に求められる重要な素養なのだと思います。
最近、福田ますみ氏の「でっちあげ」(新潮文庫)という本を読みました。

この本は、平成15年に福岡で起きた「教師によるいじめ」事件を取り上げたルポルタージュですが、事件は全国放送等でも大々的に取り上げられたので、覚えている方もいらっしゃるでしょう。

ある問題教師が特定児童(小4)への「体罰」「虐待」「いじめ」を執拗に繰り返し、その結果、子どもがPTSDによる長期入院に追い込まれた――というのが、この事件をめぐる報道の概要でした。

ところが、真相はまったく違っていたのです。教師が「(アメリカ人の血が混じった)お前の血は穢れている」「お前なんか死んだほうがいい」などと言った事実はなく、体罰も報じられているような非人道的なものはまったくありませんでした。

裁判で明らかになったのは、保護者が勝手に作り上げた虚言の数々。その「でっち上げ」に、新聞や雑誌が乗っかってしまったというのが、この本の概略です。

その先生は、マスコミに「殺人教師」のレッテルを貼られ、停職6ヵ月の懲戒処分を受けましたが、裁判で限りなくシロに近い判決を受けたこともあり、後に現場復帰したそうです。

私は、この事件の真相を知りませんし、いい加減なことは言えませんが、もし本書に書かれていることが限りなく真実に近いとすれば、本当に酷い話です。

もちろん、教師を糾弾した保護者も酷いですが、それを鵜呑みにして報道したマスコミにも、責任はあるでしょう。私たち情報発信者は、たとえ小さな事件の報道であっても、それが一人の人間をどん底に突き落とし、人生を狂わし、えん罪を生む可能性があることを認識しなくてはなりません。

一方で、この保護者を「とんでもないヤツだ」「モンスターだ」で片付けてよい問題でもないと思います。確かに、この両親の虚言ぶりは酷いものです。子どものPTSD、教師の体罰暴言、自身の出自などを勝手にでっち上げ、涼しい顔で無実の人間を「殺人教師」として訴えたわけです。

「賠償金をせしめてやろう」というのが目的でしょうか。確かに、そんな一面もあるかもしれませんが、最初からそれが狙いで言いがかりをつけたわけではないでしょう。母親が自身を「アメリカ人のクオーター」と偽り、子どもが「いじめられている」と訴えたのは、何故か。何が彼女をそうさせたのか。

そこにもまた根深い問題があるのだと思います。

「心の病」を持った保護者が、執拗なクレーム攻撃で、教師を「心の病」にしてしまったなんて話も聞いたことがあります。これではまるで感染症のようです。もし、ストレスやイライラというものが、病原体のように可視化されるなら、それはものすごい勢いで増殖しているのかもしれません。

でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相 (新潮文庫)/福田 ますみ

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