「社会の歯車になるのは嫌だ」
1960~70年代、日本では多くの学生がそんな志向を持っていたと聞きます。特に「団塊の世代」の人たちはそうした傾向が強く、普通に就職するのを良しとせず、やや破天荒な人生を歩んだ人も少なくなかったようです。
もちろん、これは傾向としての話で、多くの人たちが普通に就職し、普通に家庭を持ち、普通の生活を選んだのは事実です。でもそうした人たちの中にも、「組織の歯車になる」ことに対しどこか問題意識を持ち、反骨心を抱いて人が多かったと聞きます。
では、今はどうでしょう。
ずばり「組織の歯車になりたい」人が増えているように私は感じます。
昨今の学生において顕著なのが、「大企業志向」です。実際、中小企業の求人倍率は比較的高く、選り好みさえしなければ、就職への壁は低くなります。でも、多くの学生が大企業を志向し、そこに殺到している結果として「就職氷河期」は厳しさを増しているのです。
理由は何でしょうか。「大きな企業であればあるほど、日本社会を動かし、牽引できるようなビッグプロジェクトに携われるから」というのが理由であれば、それは素晴らしいことです。
でも、実際は違います。もちろん、そうした高き志を持った人もいるかもしれませんが、それは少数派だと思います。
多くの学生が大企業を目指す理由は「安定」です。「大企業であれば安心。これから食いっぱぐれることもないだろう。」長引く不況と就職難が、学生にそんな安直な思考を植えつけているのかもしれません。
でも、「大企業であれば安定」とは、一体何を根拠にしているのでしょうか。大企業であっても、船底に穴が空いていれば、その船はいとも簡単に沈みます。逆に、中小企業であっても、しっかりとした船頭と乗組員がいれば、決して沈むことはありません。そこを見極めるのが難しいから「大企業志向」が生まれるのでしょうが、少なくともこれからの時代は、「大きければ安心」という考えは、通用しないでしょう。
もし「大きければ安心」と考えているならば、会社を巨大な装置にたとえ、そこにあたかも「歯車」のように組み込まれることを望んでいるとしか思えません。でも、会社は装置ではないのです。もちろん、不動産や動産、知的財産などの所有物はありますが、それを動かしているのは「人」であり、人が操縦を誤れば、それらハードの類は一瞬にして海の藻屑と消えてしまいます。
これからの世の中、もし「組織の歯車になりたい」と考えている人がいれば、その人は会社の「お荷物」となるだけでしょう。会社という装置があたかもそこに普遍的に存在し、変えることができないものと考えているなら、それは大きな間違いです。
求められるのは「当事者意識」です。会社であれ、社会であれ、国であれ、「自分の力で変えてやるのだ」という位の意識を持って、やっていく必要があると思います。
1960~70年代、日本では多くの学生がそんな志向を持っていたと聞きます。特に「団塊の世代」の人たちはそうした傾向が強く、普通に就職するのを良しとせず、やや破天荒な人生を歩んだ人も少なくなかったようです。
もちろん、これは傾向としての話で、多くの人たちが普通に就職し、普通に家庭を持ち、普通の生活を選んだのは事実です。でもそうした人たちの中にも、「組織の歯車になる」ことに対しどこか問題意識を持ち、反骨心を抱いて人が多かったと聞きます。
では、今はどうでしょう。
ずばり「組織の歯車になりたい」人が増えているように私は感じます。
昨今の学生において顕著なのが、「大企業志向」です。実際、中小企業の求人倍率は比較的高く、選り好みさえしなければ、就職への壁は低くなります。でも、多くの学生が大企業を志向し、そこに殺到している結果として「就職氷河期」は厳しさを増しているのです。
理由は何でしょうか。「大きな企業であればあるほど、日本社会を動かし、牽引できるようなビッグプロジェクトに携われるから」というのが理由であれば、それは素晴らしいことです。
でも、実際は違います。もちろん、そうした高き志を持った人もいるかもしれませんが、それは少数派だと思います。
多くの学生が大企業を目指す理由は「安定」です。「大企業であれば安心。これから食いっぱぐれることもないだろう。」長引く不況と就職難が、学生にそんな安直な思考を植えつけているのかもしれません。
でも、「大企業であれば安定」とは、一体何を根拠にしているのでしょうか。大企業であっても、船底に穴が空いていれば、その船はいとも簡単に沈みます。逆に、中小企業であっても、しっかりとした船頭と乗組員がいれば、決して沈むことはありません。そこを見極めるのが難しいから「大企業志向」が生まれるのでしょうが、少なくともこれからの時代は、「大きければ安心」という考えは、通用しないでしょう。
もし「大きければ安心」と考えているならば、会社を巨大な装置にたとえ、そこにあたかも「歯車」のように組み込まれることを望んでいるとしか思えません。でも、会社は装置ではないのです。もちろん、不動産や動産、知的財産などの所有物はありますが、それを動かしているのは「人」であり、人が操縦を誤れば、それらハードの類は一瞬にして海の藻屑と消えてしまいます。
これからの世の中、もし「組織の歯車になりたい」と考えている人がいれば、その人は会社の「お荷物」となるだけでしょう。会社という装置があたかもそこに普遍的に存在し、変えることができないものと考えているなら、それは大きな間違いです。
求められるのは「当事者意識」です。会社であれ、社会であれ、国であれ、「自分の力で変えてやるのだ」という位の意識を持って、やっていく必要があると思います。