通信会社は売上規模は、私の所属する事業部の中では大きかったので、毎年年始挨拶は通信会社の社長に面会をお願いしました。私がこの通信会社を担当していた時は社長は1度交代しただけでしばらくは同じ人でした。
私が担当した平成5年頃は、携帯事業の0先行きが不透明なので余り事業の話には触れず一般世間の話に終始していました。その後、携帯電話事業を開始してもしばらくは不調だったので「大変ですな」と言うような当たり障りの無い話だけでした。
タレントを起用したのが当たって事業が好調になると、大人しそうな社長も饒舌になり「そのタレントと一緒に写真を撮った」と自分から話を始めたので驚きました。社長は真面目ではありますが田舎者のような風貌だったので、これでは月とすっぽんではないかとその時は思いました。
又、年始挨拶と言えば受付は忙しいものですが、その受付の騒がしさも事業の拡張と共に変わっていくので、つくづく会社なんてものは好調になれば自然と人が寄ってくるものだというのを肌で感じました。
その後、データセンターの賃料値下げの折衝というかほぼ事件に近いような、ああでもないこうでもないと口論が続いた年に年始挨拶に行った時には、設備課長が弁護士をつれて出てきた席では私が大声で感情的に反論したのが社内でも有名になっていたらしく、社長も私の顔をまじまじと見ていたのが記憶に残っています。
私が担当した平成5年頃は、携帯事業の0先行きが不透明なので余り事業の話には触れず一般世間の話に終始していました。その後、携帯電話事業を開始してもしばらくは不調だったので「大変ですな」と言うような当たり障りの無い話だけでした。
タレントを起用したのが当たって事業が好調になると、大人しそうな社長も饒舌になり「そのタレントと一緒に写真を撮った」と自分から話を始めたので驚きました。社長は真面目ではありますが田舎者のような風貌だったので、これでは月とすっぽんではないかとその時は思いました。
又、年始挨拶と言えば受付は忙しいものですが、その受付の騒がしさも事業の拡張と共に変わっていくので、つくづく会社なんてものは好調になれば自然と人が寄ってくるものだというのを肌で感じました。
その後、データセンターの賃料値下げの折衝というかほぼ事件に近いような、ああでもないこうでもないと口論が続いた年に年始挨拶に行った時には、設備課長が弁護士をつれて出てきた席では私が大声で感情的に反論したのが社内でも有名になっていたらしく、社長も私の顔をまじまじと見ていたのが記憶に残っています。