役所体質の会社のシステム開発が問題作であったというのは、顧客の情報システム部の立場からは自分たちで進めたプロジェクトが失敗したという事になるので禁句になっていると思います。顧客の情報システム部に私は1年半も派遣社員としてお世話になった手前もあり、厳しくは書きたくはないのですが、現実を直視し仕事を進めるうえでベンダー依存するだけの仕事の進め方を改革する意気込みを持って欲しいと思っています。

システム開発が時間だけ経過して完了した筈になるころに、顧客のプロジェクトマネージャーはシステムの出来栄えが如何なるものかという事には無頓着で、すっかり出来上がっているように思っていたらしいのは、はた目から見ていて心配になったものでした。自身でシステムの完成度を確認するすべを思いつかないので、システム開発を受託した事業部から報告された事を鵜呑みにして、出来ている筈と思い込むしかなかったのかも知れません。
そうなるとシステムの出来栄えを確認すべを持っていない事で、自然と形を作ることに思いが行くのは当然だったかも知れません。プロジェクトのお披露目を社内に対して実施しようというのでテープカットという儀式に熱心に取り組んでいました。形を作るのは役所体質だけに普通の会社よりは念の入ったもので、私は過去に多数のシステム開発の経験をしてきましたが、システム開発の本番日にテープカットをしたというのは初めての経験でした。
私の経験では、システム本番当日に向けて念入りにシステム動作確認を情報システム部の担当者が行うのは当然として、場合によってはエンドユーザーの一部を巻き込んで念入りを通り越してやりすぎだろうと思える程に何度もテストを繰り返して本番の日を迎えていました。
普通、旧システムから新システムへの本番切替という作業は障害が発生すると業務影響が大きいので、障害が発生しても対応が最小限で済みそうな業務量の少ない日を選んで慎重になるのが普通でしたが、この役所体質の会社ではシステム開発をした事業部に全幅の信頼を置いているので、障害などは起きる筈は無いというのが前提になっていると思えました。
システム開発の途中から派遣社員として、発注者側に立ってシステム開発を担当するメンバーの裏方として、システム開発をしている事業部は信用ならんという証拠を見つけてはアドバイスをしたつもりですが、そういうアドバイスは全く感知されなかったように思いました。尤も、感知しても、どう対応すればよいか分からなかったということもあったかも知れません。
 
本番当日は顧客社長以下とシステム開発を受託した事業部幹部がテープカットや画面の操作を行って、その後関係者で顧客主催の慰労会が行われました。私はシステム開発をした事業部のメンバーには悪い印象しか持っていなかったし、システムそのものが未完成だというのは気づいていた事もあり出席はしたくなかったのですが、課長から促されて嫌々ながら会場となった食堂に行きました。
今でも会場の様子は覚えていますが、システム開発を受託した事業部の面々が三々五々会場に来るのですが、その様子は恐る恐るというような表情に見えました。想像するところ、システム開発を受託した事業部では本番後に顧客から慰労会などというものを経験したのは初めではないかという事でした。
システムの本番後の先行きを全く心配していないような、あっけからんとした会場の雰囲気に違和感があって、私はウーロン茶を飲んだだけでさっさと自席に戻りました。当然のように、本番開始翌日からインターネットに繋がらないとか、台帳データが無いとか、システムとして基本機能が無い事が発覚して情報システム部員が振り回されるのを横目で見るしかないという状況でした。
普通に考えると、システム本番後に障害も無く稼働しているのを確認してから社内へシステム開発プロジェクト完了の発表をすべきだと思われるので、後先が逆になっているのではないかということが行われたと思いますが、そうせざるを得ない程に経験が無かったことを明らかにしたことでもあったのかなと思います。
こういう経験は貴重というのを通り越して、絶句に及びべしというような事実ではなかったのかと思っています。
最後の大仕事になる筈だった、役所体質の会社の基幹システム開発については経験豊富である私でさえ初めて経験するような事件が多かったので、詳細は以前に書いたブログに譲るにしても衝撃のの事実が次々と発生したので書くことは尽きないという風に感じています。
システム開発を始めてから1年後位に、システム開発の仕事の仕方について危険を察知した顧客から、毎朝7時には出社していた私に対して、午前7時から8時の間に電話が毎日のように掛かって来て、私に開発を担当しているメンバーを交代させて欲しいという事を言われ続けた時期がありました。
システム開発を受託していた事業部は一度捕まえた案件を逃すはずが無いのは、自らしている仕事に対して顧客がどんな風に感じているという事には無頓着というよりも無関心で、自が正しいという宗教にも近い考え方で仕事をしているので、他人が割って入る余地は無いのを承知していた事もあり、顧客からの要望にはとても応えられないという説明を毎日していました。会社自体も顧客優先では無く、自社利益優先思想が充満しているので、そういう事情もあると言わざるを得ませんでした。システム開発が終了後、顧客役員から騙されたという評価が出たので、この時の顧客の某社員の判断は正しかったという事が証明されたのかと思っています。
 
顧客の弱みに付け込み、詐欺まがいの事をしでかしたのは、綾会社の伝統を受け継いでいると社内で何時も寝言みたいに言っていた役員でした。私が嘱託社員の契約を切られた時、私が20年にもわたる顧客との関係で何とか派遣社員にでもと採用を頼み込んだのを知った件の役員が、システム開発について何も知識の無い顧客役員に対してシステム開発の品質向上につながると称し、おためごかして常駐社員派遣を自ら売り込んだものでした。内実は、社内で引き取り手の無い社員の就職先を斡旋しただけの事でした。
派遣費用も常識を超えてべらぼうでしたが、その常駐社員がやっていた仕事は、元々システム開発品質向上には何の役にも立つスキルや経験が無いので、結果としてシステム開発を受託した事業部の一部を担当することになり、単にシステム開発費用を増大させただけに終わったのでした。顧客の負担する当初費用に加えて更に追加費用を申し渡したような形となり、これが役員のやる仕事かなと疑問どころか、会社としての非常識さを露見させたともいえると感じていました。私がプロジェクト会議でその常駐社員の資料の不備を指摘すると烈火のごとくに怒るだけという、スキル不足も如実に表れていましたが、それよりも良好な対人関係が作れないので、普通に顧客の仕事を担当することさえ出来ないのではないかという風に感じていました。
同様に、顧客への提出書類について言えば、システム開発を受託した事業部では不思議な事に自身が作業した仕事に対する報告書や各種提出資料一覧が纏められなくて、一時は私が整理したこともありました。一覧だけでなく、その提出資料の内容を読むと矛盾とか誤りが散見しているので、修正にも非常に手間がかかりました。

自ら行う事は正しいとだけ言う、システム開発を受託した事業部のした仕事は、システム開発作業したシステム内容に留まらず、何をすべきかが自ら理解していなかったのではないかと言う風に理解をせざるを得ませんでした。どう考えても変だなと思われるような誤りに対しても決して謝ることは無く、修正すればいいのでしょうという態度でした、信じられませんが事実です。
この会社はシステム開発という仕事をしている職種の筈だと思っていましたが、こういう断面で見せられた社員の姿勢は、果たしてシステム開発という仕事の内容を理解しているのかどうか疑わしいと推測されて、会社としての信用性にもつながる問題だろうと思っていました。
私の最後の大仕事となる筈であった、役所体質の会社の基幹システム開発をしたものの、出来上がったシステムは本当に安心して長期にわたり使えるものかどうかは甚だ心配で心残りであったという気持ちです。
この基幹システム開発の失敗の責は、第一義的にはシステム開発を受託した事業部の無能力と無自覚にあったのは確かですが、その一方で顧客側には開発途中で何度か検証する機会があったものの、とにかく会社の方針として決めた事なので作ることを優先させた結果が良くなかった、という事実もあったと思っています。

この単純明快なシステムは、今でも何か不思議な障害が時々発生していると推測していますが、システム開発をした事業部は外注に丸投げしていただけで、且つシステム理解とか外注管理とかが普通に出来て居なくて、金儲けの算段ばかりをしていたと思います。そんな背景があるので、納品したシステムに対して何をしでかしたのかという評価も出来ないので、何か不具合があっても契約上は有料になりますと普通に言っているのだろうと思います。システム開発を受託した事業部が作ったものの私の評価は、100点満点中の3・40点の代物で、費用だけは90点くらいの出来のものを請求したという事かと理解をしています。良識のある人間ならば、これほどの酷い代物を納入して良心が痛むと思われるところ、システム開発を受託した事業部は全く自覚が無いというのが致命傷かも知れません、顧客役員から「騙された」という評価が出されて、何か悪い事でもしたのかなと自分では全くそういう事は思いつかないと不思議に感じても、顧客が怒っているみたいだなというという事は理解出来た程度と思います。とにかく、浮世ばなれした社風であるということかと思います。
 
浮世離れという社風は、システム開発プロジェクト途上で私が騒ぎ出したのを、社内で胡散臭く思われて、嘱託契約の終了を忘年会開始前の顧客待ちをしていた時に申し渡された後、逆の立場になって、私が派遣社員としてシステム開発を発注した会社に勤務を始めた時に現れました。
以前のブログで詳細は書きましたが、私が退職前に自身で作成した備忘録をメールで派遣先会社の課長宛てに送ったのを、退職後、派遣されていた会社の情報システム部長に対して、メールで備忘録を送った件にクレームをつけてきた時でした。
この時は元の勤務先の人事部長も出張って来ましたが、一番の勘違いは私が既に退職して勤務していた会社とは無関係な第三者になっていたという認識が全く無く、退職後も社員とみなしていた事でした。もし、私が勤務していた時にしたメールで備忘録を送った事で、何か会社が損害を被っているとしたならば、私が派遣されている会社の部長では無く、先ずは私に対して問いただすというのが正しい対処方法です。自社の情報を転職先の会社に送信されたので社内ルール違反であるというのは、社員の資格のある時であれば有効かもしれませんが、第三者となった時には情報漏洩という事で対処すべきものなので、退職前の会社と私自身の問題であり、勤務先の会社とは全く無関係の事です。当時、私は事を荒げる気持ちよりも、とにかく派遣先で勤務することを考えていたので、裁判所への提訴などというものをしませんでしたが、状況から判断して業務妨害という罪状で十分に勝算はあると思っていました。

そもそも、役員や管理職には、私にはシステム開発に関わる全ての情報が頭に入っているという認識が無かったという事がこの一件で露見しました。今でも、このシステム開発で利益額が幾らだった等いうことは、自分で全部データを打ち込んでいたので諳んじることは出来ますが、そんな単純な事さええ思いつかないのは、以前にも紹介した通り役員や管理職は実務が出来ないので、何が重要で何が重要でないかが判断がつかないという事実があり、新入社員並みの能力のまま年功序列で管理職や役員になっているという実態の裏返しでもあったと思っています。事実の重要性について判断できない役員や管理職が打ちそろっている会社というのを想像すると何か空恐ろしい会社に思えますが、経営上は取り立てて目立つことは無い、極め付きの凡人集団でサラリーマン天国とも称されるのかなとも思います。
私が事業部長からパワハラを受けてもヒヤリング無し、社内職場風土アンケートには何時もパワハラ経験ありと書いていました。50歳から60歳にかけて私が自腹の大変な金額を負担して接待した顧客から得た会社の利益は数十億にもなりますが、その膨大な利益に対する評価は無しの礫、礼さえも言われませんでした。これも浮世離れの社風の故でしたか。
役所体質の顧客に対するシステム開発は、私のサラリーマンとしての最後の大仕事で総仕上げともなると思っていたと同時に、顧客とは20年もかけて漸く自然に会話ができるくらいまでの関係になった所に、同じ会社とは言うものの赤の他人同様の社員連中が荒らしまわって会社関係を台無しにしたということで、単にプロジェクトが失敗したという事だけでなく私個人として非常に落胆させられたという事件でした。
 
この時期、わが社は親会社の血を引いているというのを口癖にしている役員がいて、内々システム開発を受託した事業部の社員の応援をしていました。プロジェクト終了後、顧客役員の口から「騙された」という言葉が発せられました。そして、顧客から「騙された」という言葉を発せさせるような仕事ぶりが、綾会社の血を引いていることになるのというのを実証しました。しかしながら、親会社の血を引いていると言っていた役員が「騙された」という言葉を発した顧客役員に対して、どういう対応をしたのか不明ですが、想像するところでは自分の会社には非無しと決め込んで、相手の理解が悪いとか考えていないのだろうと想像をしています。システム開発を受託した事業部から、何らかの誠意が見せられたならば、騙された等という一般常識では到底考えられない評価は出ないと思ったからです。

こういう揉め事でよく持ち出されるのが契約という言葉で、この言葉に易々と幻惑されるのは管理能力とか客観能力不足ということだと思います。このプロジェクトでは、システム開発を受託した事業部は当初の計画から外れるたびに、色々な言い訳をして契約変更を多数積み重ねていきました。契約上は、顧客に不都合な内容でも一旦契約を終えたら、鬼の首でも取ったように、変更契約が正義と言わんばかりの顔をして顧客と対面していたのが、同じ会社の私が見ていても極めて不自然なものしか見えませんでした。
これは、顧客のプロジェクトマネージャーの無知無見にもよるとことが大きいとは思いましたが、システム開発に慣れない顧客を手玉に取って、赤子の手をねじるようなものであったと見えました。それに、顧客は役所体質だけに、担当部署としてはきちんと物が出来ることが至上命題となっていて、システム開発を完了することが目的みたいに思い込んでいるので、システム開発途上の手段を十分に検討するという心の余裕も無く、一刻も早く仕上げて欲しいという一心のために、システム開発を受託した事業部の不見識な要求を何でもかんでも丸呑みしたという事情もあったと思います。

やくざが手玉に取るには丁度良い弱いものを相手に、搾れるだけ絞ったという風にも言えるかもしれないと思います。以前にも、やくざまがいという言葉を、システム開発を受託した事業部の社員に対して使いましたが、システムを開発したものの、本番直後から致命的な障害続きであったという事だけでなく、前回のブログでも紹介した通り、私がこのシステム開発を解析した結果は費用も品質も非常に程度が悪いものであるという結果を踏まえてのものなので、きちんとした裏付けがあっての表現で極めて妥当な表現だと思っています。
60歳になった頃にはそろそろサラリーマンとしての最後の大仕事があるような予感がありました。そう思っている中で、私の担当していた役所体質の規模の小さい堅い会社に訪問する度に懇意にしていた次長と色々な話をすることも度々になりました。もう一つの担当していた、新興会社の癖のある課長からの接待のお誘いも無くなり時間的な余裕が出来たのも理由の一つだったかも知れません。
この会社は以前にも紹介した通り規模が小さいので新しい案件も少なく、時々インフラ機器更新が一つの大きな契約になるくらいで、そういう状況の中では中々に新しい大型案件というのは出にくいという状態でした。
この会社の情報システム部の次長とは20年以上の付き合いがあり、何でも話し合える間柄であったせいか色々な事を話し合ううちに、導入以来20年以上も利用している基幹システムの保守について思案を始めたというのを聞きました。この時、この次長の頭にあったのは幾らくらいで実現できるのかというので、私も参考資料として色々なデータを内々提供しました。そうしている内に、私がこの会社に最初に納入したシステムを開発したシステムエンジニアも同席して懇親会をやろうというお誘いがあり、この会社に接待される形で私とそのエンジニアが加わり一次会と二次会に参加して、内々こういう関係者で実行したいという表明もされました。
こうした1年以上の長い試行錯誤の期間を経て、顧客としては一大決心をしたプロジェクトを起すことになり、正式の提案依頼が3社に出されて最終的に私の勤務している会社が契約した事は以前のブログで紹介した通りです。
 
このシステム開発プロジェクトを担当したのは運悪く、当初の顧客の希望とは違って新規に委嘱した事業部でしたが、実際にプロジェクトを始めると全くシステム開発を理解していない事が薄々感じられるような運営でした。もし、この事業部のやり方が正当であるということならば、プロジェクト終了後に顧客役員から「騙された」という言葉は出ないはずだと思います。
詳細は以前のブログでも紹介しているので触れませんが、途中で私がシステム開発の進め方がおかしいと声を上げたのが、システム開発した事業部とつるんでいた営業部長と役員に煙たく思われて嘱託契約の中断を言い渡されたのだと思います。
しかし、このシステム開発プロジェクトの途中で私は退職して、逆に、このシステム開発を受託した会社に勤務するという幸運に恵まれたので、システム開発の詳細について調査資料を作成しました。システム開発で如何に無駄な費用が費やされたか、品質も設定したものに届いていないなどの解析資料が顧客サーバ内に残されていると思われるので、何時でも世間には公表できると思っています。そういう事は望まない顧客体質で何とか世間に噂が広まっていないというだけです。
この時、管理職や関係者は私を退職させればうるさい奴がいなくなりシステム開発プロジェクトはうまくいくだろうと想像した事は、システム開発担当の事業部に連なる役員や営業部長の誤診であったと断言できます。業務を表面的な事実でしか判断できなくて、役員や営業部長は業務遂行能力が欠如しているという、会社にとって致命的欠陥が見事に露見したとも言えて、この会社の企業力に疑問を呈したともいえると思います。
同時に、顧客から見ると最終的には失敗したプロジェクトにも関わらず、実行した事業部は十分に儲けたというので社内表彰されたという事実は、この会社が顧客重視ではなく自己利益のみを追求する会社であるというのを図らずも露呈してしましったということになったと思います。そういう体質は、顧客役員から「騙された」という普通にはあり得ない言動で示されたにも関わらず、顧客担当者を変えるだけの対応しかできていない事にも表れていたと感じました。
私が50歳の頃、新規契約して退職時まで担当していた新興企業からは、前に書いたとおり癖のある課長と疎遠となっても担当者からぽつぽつと案件の照会がありました。この会社とは退職する年の3月の直前、2月まで新しい案件の契約にむけての仕事があって、最後の最後まで多忙で過ごさせてくれた会社ということで特別な因縁というものがあったのかなと思っています。15年以上にわたり、何もないところから自分自身で会社関係を築き上げてきたという糸が最後まで切れなかったのかなという風にも感じていました。
 
嘱託契約を延長しないと言い渡された年、私が66歳の秋頃に、この新興企業から情報提供してほしいとの依頼があり場所も子会社会議室を指定されて、説明するシステムエンジニアと一緒に訪問した時がありました。会議に出てきたのは面識の無い人たちばかりでしたが、例外として一人だけ転職してきた元情報システム部長が同席していました。この転職してきた情報システム部長は、一旦は情報システム部長に就任したものの何故か数年後には担当部長になって異動していたのは知っていましたが、この場所で再開するとは思ってもいなかったので少々驚きました。
説明会も終わり一同が揃って退出しようとしたところ、元情報システム部長から私だけが引き止められて、内心は1千万円返却事件があっただけに少々不安な気持ちなったのですが、二人だけになった会議室では元情報システム部長とは過去の契約不手際当でやりあった経緯があり会話をする意識の壁が低くなっていたせいか、和やかな雰囲気になっていたので一安心しました。
この時に、元情報システム部長から子会社システムの導入を検討したいので提案書を提示して欲しいという依頼があり、散々に喧嘩同様のやりとりをした経緯もある因縁の部長からの要請というので、この会社の担当者としてはちゃんと認識をされているということを確認する機会にもなったので個人的には嬉しく思えた時でした。
この案件は当然ながら競合する相手もあるというのを聞いていたので、競合相手との差別化を考えて提案すると、自然と契約をすることが出来ました。こういう嬉しいことがあった12月の初旬、この顧客との忘年会会場で開始直前に、営業部長から嘱託契約を延長しないと言われて面白い筈も無く、前回のブログに書いたことにつながっています。
 
この新しい案件の契約前には社内で色々な事前の調整があり後任の担当者に任せていましたが、社内では自画自賛の規則張りで締め付けてくるので、こういう仕事の仕方では長続きはしないだろうと思いつつ、私が関与したところで退職する人間には余り関係もないだろうと思ってはいたものの、何回かの打ち合わせでは関係者全員が内弁慶になっていて到底一般社会には通用しないような理屈で迫るので呆れ果てて、適当にやり過ごすしかないと思いました。
67歳になった退職する1か月前までの2月まで実務に煩わされたのは、実務が出来ない役員や営業部長に成り代わって仕事をせざるを得なかった環境にあったのだと思っています。
このブログでは60歳代になっても年度予算の編成時には毎年25%位の積み増しの加増予算を強制されていたというのを先回紹介しました。60歳以降は嘱託社員となって給料も新入社員並みになったものの、普通のサラリーマンならば会社に勤務できるだけでも有難いという感じになるのと思いますが、私の場合は50歳代ですべてクリアされたところから自分で築き上げてきた顧客があり、且つ業績も目覚ましいものがあったと考えていたので、漸く60歳代になり新興企業の癖のある課長の自腹接待からも解放されて時間的にも余裕ができてゆっくりと過ごしたいと思っていたのが、営業部長や役員からの非情な予算加増で毎年鬱陶しい日々を過ごすことになりました。
新興企業からは殆ど新規の案件等は照会さえも無いという状態の所に、先回のブログで紹介した突然降ってわいた様な仕事が飛び込んできたり、もう一つの規模の小さい企業からも少額案件が出てきて、あれやこれやと仕事をするうちに年度末が終わると、期初に積み増した予算をぎりぎりクリアできてしまっていたというのが、無知の営業部長や役員に誤った情報を提供してしまったとも思いました。
 
そもそも会社の年度予算とか長期計画とかというのは現場の数字を集計してから、後日積み増しということが発生するのが普通でした。そこには会社としての理念とか方針とかは全くなくて、単に体裁上形を作るので数字をいじっているというのが分かるものでした。同時に、役員から管理職、営業部長までが予算に対して自身で何らかの仕事をするという意識は全く無く、単に上からの伝達者ですと言うばかりで、事業部とか部とかに割り当てられる予算について不足分を自らが考えて対応するということはしない為、全部部下に丸投げするしかなく、役員や営業部長は部下に対して何かあればお手伝いしますという様なお気楽な立場であったからだと思います。
予算不足は役員や営業部長自身の頭で考えるのではなく全て部下任せなら、そういう管理職は不要ではないかとも思えるのですが、事実はその通りで不要なる役員・部長なるも部内とか事業部内の数字の集計者として必要というばかりなので特別に優れた能力も必要なく、必要なのは上司に対するごますり対策ばかりだったと見えていました。会社中がそういう連中がうようよして実質会社幹部が働からない風土が蔓延しているので、会社の業績が伸び悩むのは自然の成り行きだと思って見ていました。
 
60歳から67歳までの期間、毎年の予算の加増については言われるままに受け入れていたものの、私が希望していた70歳までの勤務については67歳で切られてしましました。これは後に書きますが、ある案件で役員や営業部長が私の存在を疎ましく思ったのは理解していましたが、予算の時は平気で加増をしておいて、さて私の希望する勤務期間は認めないというのは普通の良識ある頭脳の人間ではないと思った時でした。此のことは他人を利用するだけのことしか頭にない役員や営業部長が、確かに会社に存在したという明確な証を残したことでもあったと思います。
私が事業部長のパワハラ後に新規で契約した新興企業の100億円プロジェクトが途中で終わった後は、このプロジェクトの仕事は止まったままの状態になっていました。この100億円プロジェクトは顧客内でも問題視されていたので、私が勤務している会社に在籍中は何も起こりえないだろうと想定していたら、案外早くに時は過ぎ、100億円プロジェクトのために機器を導入した4年後には外資系コンピュータ会社がちゃっかり契約を更新するという動きをしていて、私はついでに付帯作業の見積もりが必要だというのでプロジェクト会議に呼ばれるような事態が発生しました。
この時、顧客の情報システム部長は転職してきた部長で、サーバー100台移設を主導した部長でした。転職してきた部長は案外気が弱くて、100億円プロジェクト破局で部下が私の勤務している会社に1千万円を請求してきた時に収拾をしてくれた人でもあったのですが、この100億円プロジェクトの機器更新の時も対案が出ず、詰まる所外資系コンピュータ会社の言いなりにしかならなかったようなのが、第三者としてみていても歯がゆいような気分でした。
100億円プロジェクトに参画していた外資系コンピュータ社員のシステムエンジニアは10人ほどのメンバーでしたが、再度始動したプロジェクト会議に出席していた外資系コンピュータ会社社員のシステムエンジニアの中では当初メンバーは1人だけでした。100億円プロジェクトが途中終了してから外資系コンピュータ会社のシステムエンジニアが転職したという噂を聞いていたのですが、しょぼくれたシステムエンジニア1人だけが残っていただけというのが外資系コンピュータ会社の厳しさというものを感じさせるものでした。
この時は新任の営業マンが何時もにこにこして現れて、歩合給で懐が温かくなるのが分かる程に顔に出てしまうのが、顧客の情報システム部員や私から見ていると違和感があると思えました。
この時、思いもかけない仕事が飛び込んできたものだと思うと同時に、100億円プロジェクトに参画していて大変な苦労ばかりであったということもあって、古傷を思い出してしまうような嫌な気分で対応をしていました。私の勤務していた会社の営業部長をはじめ管理者や役員は100億円プロジェクトで私がどの程度の苦労をしているなどとは誰も理解はしていなかったので、こういう突然天から契約が降ってきた状況では売上増だけにしか関心が無かったと思うと、サラリーマンとしては致し方なしだなと感じていました。
 
この新興企業の癖のある課長との付き合いが無くなって新しい契約もそれほど増加はしなかったものの、若い企業で多様なニーズが社内にはあるようで、時々はプロジェクトの参画を求められたので仕事が途切れるというようなことは無かったように思います。この会社との新規契約をするという仕事は、嘱託社員として最後の67歳まで続いたというのは、何がそうさせたのかのかは今でも分かりませんが、私の個人的な面倒をみたがる性分にあるのかもしれないと思っています。60歳代に入り、癖のある課長との自腹接待が無くなり、仕事量が減って普通の社員並みの量になり契約額も増加傾向から定額傾向になるのは自然の成り行きでした。
しかしながら、どういう訳か年度予算編成時には若い社員と同じ金額の積増予算が私にも課せられるというのは変だなと感じていました。今更新しい契約は無理だというのは自明の理と私は思っていたのですが、営業部長や管理職は役員からの押し付け予算を何とかこなすためだけに、私を利用したいだけだろうというのはこういう局面で露見していたと思いました。
新興企業の癖のある課長からの電話が無くなると自然に見積もり依頼が少なくなり、私個人の業績成長も止まりましたが、仕事は完全になくなるという事はありませんでした。60歳も超えて毎日をあくせくして顧客の対応に追われるということは無くなりましたが、この新興企業の情報システム部の担当者が色々な案件を投げてくるので都度対応をするという日々が続きました。
基本的に大きなプロジェクト契約はありませんでしたが、記憶に残るのは100台のサーバー移設の案件でした。半年ほどは移転作業をする関係者でプロジェクト会議をしましたが、敢えてリーダーを持ってくる意味もないだろうと判断して私が営業マンとしてプロジェクトリーダーの代役をしました。素人の営業マンならば直ぐにシステムエンジニアを連れてくる場面でしたが、100億円プロジェクトでダメージを食らっている情報システム部のプロジェクト費用削減に貢献するという意味もあったと思います。

12月31日に移設作業する計画で夜の7時位には作業は終わりますというのが、移設サーバー100台を調整する外資系コンピュータ会社の技術員の説明でした。この時は情報システム部に転職してきた部長も立会するというので面倒だなと思いながらも、夜食やおやつや果物を控室にぬかりなく準備して、問題なく終わることを祈っていました。この時、会社では年末年始に作業をする顧客情報を提示するという仕事があり、単に情報記載で終わりというもので、何のために必要なのか皆目不明なものでした。社員が正月休みという浮きたった状態になっており、誰も作業なんかに気を留める人はいなかったと思います。
以前のブログでも個別に紹介した通り、私は40歳代に年末年始のコンピュータの移設という仕事も経験してきたので目新しい仕事ではありませんでしたが、60歳代に同じ仕事に直面して長いサラリーマンの因果というものを感じました。しかし、60歳を過ぎての夜間作業立会は少しやりすぎではないかとも思えたのも事実でしたが、当然の如く営業部長からもねぎらいの言葉も無く当然だろうというような雰囲気を感じて違和感を覚えたのは社風から来るものであったのだろうと思いました。

100台のサーバーが移転先のビルに無事運搬されてラックに据え付けらえてから、色々な障害が発生したものの外資系コンピュータ会社の技術員がインターネットで自社英語サイトにアクセスしながら障害の対応方法を調べて何とか正常に動作させた技量には感動をしましたが、丁度100台のサーバー動作確認を終えたのが1月1日午前0時となりました。顧客の情報システム部長は作業完了というので午前0時30分には帰りましたが、私は後始末が終了する午前2時に現場を後にしました。
その時は1月1日というので電車も長い間隔で走ってはいましたが、私はすっかり疲れ切って気力もなくなりタクシーで帰ろうと道路でタクシー待ちしていましたが、正月のせいか夜も遅いせいかタクシーは直ぐには現れず、寒風吹きすさぶ中15分程待っていたらタクシーが現れて帰ることが出来たのですが、タクシーから見えた道路の街燈の明かりは正月という年が改まって輝くという印象ではなく、呆然自失状態で時が過ぎ去るだけの様に感じたのは心も体もすっかり疲れ切っていたのではなかと覚えています。作業管理者としては負荷が高かったのは一手に全てを引き受けていた事でしたが、年寄りの冷や水という諺を実践したのかもと思えました。
この作業は顧客の情報システム部の各担当者が最初から最後まで作業をしていて個人的には頑張っているなと見ていましたが、その後の顧客への役員や管理職の年始挨拶では紋切り挨拶しか出来ないので、永遠に顧客とは心を通じさせることは出来ないだろうというのも確認できて、何時までこの顧客と付き合う事が出来るのかなとも思いました。
私の50歳代のサラリーマン生活について延々と色々な記憶が呼び覚まされるのは、体力的な面だけでなく精神面の衝撃が強かったからだと思います、ある意味では30歳代に営業マンとして駆けずり回ったという記憶がありますが、その再現であったかもしれないと思います。普通のサラリーマンの50歳代といえば定年間近で自ら仕事にチャレンジする意欲も失せて、役職とか職位とは無関係に毎日をのろのろとした会社生活を送っている人が殆どですが、私の場合はそういう人達とは真逆の生活を送っていたというか、そうせざるを得なくて追い込まれた毎日を送っていて、強いストレスを受けながら年中思案に明け暮れていた毎日であったと思います。
10年近くも続いた新興企業の課長から「今日は時間がありますか?」という電話が掛かって来てドキッとしながら自腹接待に応じざるを得ないという状況は60歳の頃には解消されましたが、その間この課長と取り交わした契約書で一悶着ありました。100億円プロジェクトが頓挫して、私と懇意にしていた課長も降格になりすっかり案件を紹介されるという事は無くなりましたが、その時に転職してきた情報システム部長から契約書の不備を指摘され民法まで持ち出されて非難されましたが、契約書作成当時は今日の明日というような超特急で契約書を作成していたので不備が露見したのは必然かなと思い、当然ながら当事者である私が一人で対応しました。そして過去の契約案件表を作成するとA3縦の紙が一杯になる程の数だったので改めて見ると、ものすごい仕事量をこなしてきた実績でもあると感じて、会社的には書類不備対応という後始末の仕事でしたが、個人的には整理した契約一覧表を見て、事業部長のパワハラ後、新規に契約した新興企業は社内でも無視できぬ程の規模契約額となり成し遂げた自身の仕事振りに対して感慨深いものがありました。
60歳以降はこの新興企業からの見積もり依頼も極端に少なくなり、個人的には解放されたような気持ちになり、仕事量が減っていき漸く並のサラリーマンと同じ生活ができるようになったと思います。
 
そういう状況になると、もう一つの担当していた役所体質の小規模な企業の課長の対応に重点が移るのは当然でした。この顧客から小案件の見積依頼がくると競争ベンダーとの対抗心もあり薄利で契約を重ねていきましたが、ある時経営不振で費用見直しが役員会で決まり、既存契約値下げが要請されました。この時、契約書一覧表を作成し、部としての削減目標に達成できる案を情報システム部の部課長と打ち合わせしながら決めて、最終的には値下げして再契約を行うという事をしました。
こういう事は私の勤務していた会社では極度に嫌う傾向があり、普通に上司に報告すると「やめとけ」と言われるだけの事であったのですが、私に対しては業績を上げても知らん顔をしているばかりの管理署や役員は、こういう局面では普段の無視の態度を貫いて何も言えないまま、私が報告した値下げの契約書に苦み潰した顔で認めたということになりました。
60歳を過ぎると、会社での私の存在は独立独歩で築いた契約額だけにあり、歳を経るたびに利用されているだけなのかという印象が強くなっていったというのを感じました。