新興企業の癖のある課長からの電話が無くなると自然に見積もり依頼が少なくなり、私個人の業績成長も止まりましたが、仕事は完全になくなるという事はありませんでした。60歳も超えて毎日をあくせくして顧客の対応に追われるということは無くなりましたが、この新興企業の情報システム部の担当者が色々な案件を投げてくるので都度対応をするという日々が続きました。
基本的に大きなプロジェクト契約はありませんでしたが、記憶に残るのは100台のサーバー移設の案件でした。半年ほどは移転作業をする関係者でプロジェクト会議をしましたが、敢えてリーダーを持ってくる意味もないだろうと判断して私が営業マンとしてプロジェクトリーダーの代役をしました。素人の営業マンならば直ぐにシステムエンジニアを連れてくる場面でしたが、100億円プロジェクトでダメージを食らっている情報システム部のプロジェクト費用削減に貢献するという意味もあったと思います。

12月31日に移設作業する計画で夜の7時位には作業は終わりますというのが、移設サーバー100台を調整する外資系コンピュータ会社の技術員の説明でした。この時は情報システム部に転職してきた部長も立会するというので面倒だなと思いながらも、夜食やおやつや果物を控室にぬかりなく準備して、問題なく終わることを祈っていました。この時、会社では年末年始に作業をする顧客情報を提示するという仕事があり、単に情報記載で終わりというもので、何のために必要なのか皆目不明なものでした。社員が正月休みという浮きたった状態になっており、誰も作業なんかに気を留める人はいなかったと思います。
以前のブログでも個別に紹介した通り、私は40歳代に年末年始のコンピュータの移設という仕事も経験してきたので目新しい仕事ではありませんでしたが、60歳代に同じ仕事に直面して長いサラリーマンの因果というものを感じました。しかし、60歳を過ぎての夜間作業立会は少しやりすぎではないかとも思えたのも事実でしたが、当然の如く営業部長からもねぎらいの言葉も無く当然だろうというような雰囲気を感じて違和感を覚えたのは社風から来るものであったのだろうと思いました。

100台のサーバーが移転先のビルに無事運搬されてラックに据え付けらえてから、色々な障害が発生したものの外資系コンピュータ会社の技術員がインターネットで自社英語サイトにアクセスしながら障害の対応方法を調べて何とか正常に動作させた技量には感動をしましたが、丁度100台のサーバー動作確認を終えたのが1月1日午前0時となりました。顧客の情報システム部長は作業完了というので午前0時30分には帰りましたが、私は後始末が終了する午前2時に現場を後にしました。
その時は1月1日というので電車も長い間隔で走ってはいましたが、私はすっかり疲れ切って気力もなくなりタクシーで帰ろうと道路でタクシー待ちしていましたが、正月のせいか夜も遅いせいかタクシーは直ぐには現れず、寒風吹きすさぶ中15分程待っていたらタクシーが現れて帰ることが出来たのですが、タクシーから見えた道路の街燈の明かりは正月という年が改まって輝くという印象ではなく、呆然自失状態で時が過ぎ去るだけの様に感じたのは心も体もすっかり疲れ切っていたのではなかと覚えています。作業管理者としては負荷が高かったのは一手に全てを引き受けていた事でしたが、年寄りの冷や水という諺を実践したのかもと思えました。
この作業は顧客の情報システム部の各担当者が最初から最後まで作業をしていて個人的には頑張っているなと見ていましたが、その後の顧客への役員や管理職の年始挨拶では紋切り挨拶しか出来ないので、永遠に顧客とは心を通じさせることは出来ないだろうというのも確認できて、何時までこの顧客と付き合う事が出来るのかなとも思いました。