広島から 中国総領事館 誘致に待ったをかける -41ページ目

広島から 中国総領事館 誘致に待ったをかける

広島に県、市、県議会、市議会、経済団体を挙げ、中国総領事館を誘致する計画があります。
経済にばかり走り、国家安全保障を考えない誘致計画に警鐘を鳴らします。

 

 

第5回では、本居宣長と、それを継いだ平田篤胤について考えていきます。 なぜ、今、本居宣長なのでしょうか? 

 

近年、保守の言論活動を見るにつけ、その発言の元をたどると本居宣長に行き着くにもかかわらず、本居宣長には一切触れない発信ばかりだと、私自身が常日頃感じているからです。 

 

一例として皆さんは、最近こういうフレーズを、街宣や講演の動画などで耳にしませんか? 

 

「中国では革命によってしばしば王朝が交代するが、日本では王朝の交代が行われることはなかった。政治を行う者が変わっても、日本には天皇がおり国は穏やかに治まってきた。この点で中国と日本は対照的なのだ」 

 

これは、評論家が自分の頭で考えて喋っているのではなく、本居宣長の著書、古事記伝一の巻(まき)直毘霊(なほびのみたま)からの一部引用および要約そのものです。実際はもっと詳しく書かれています。

 https://ja.wikisource.org/wiki/直毘霊 

 

本居宣長は古事記の注釈書、古事記伝44巻を35年かかって著していますから、その一部でさえとてもここで扱うことはできません。それで今日は、彼が古事記をどう見ていたか、そしてその後継者であった平田篤胤にも触れ、平田篤胤が本居宣長をどう批判したかを、短くお示ししたいと思います。

 

本居宣長の生涯・事績については、本居宣長記念館のホームページに詳しいのでリンク先をご覧ください。

 

 本居宣長は国学の大成者と言われます。儒学を否定しました。日本の「古の道」を明らかにするため、それまで重んじられていた日本書紀よりも、古事記を第一に据え、古事記、万葉集、日本書記、風土記より国学を大成しました。 

 

当時はまだ国民国家としての日本という概念はなかったと考えられますが、宣長の頭の中では、日本人と中国人という二項対立の図式が存在し、前者の思考法を「やまとごころ」、後者の思考法を「からごころ」と呼ぶようになります。

 

日本書紀は古事記よりもからごころが染み付いている、と考え、古事記をより重視しました。また、宣長は、古事記に書かれた出来事を現実にあった事実であると考えました。 

 

一方、平田篤胤は、宣長の没後門人として国学から復古神道を大成しました。国学に死後の世界を持ち込んで国学を宗教化したと言えます。 

 

彼は古の伝(つたえ)を記した書物同士の間に内容の違いがあるのはどうしてかと考えるようになり、古事記、万葉集、日本書紀、風土記以外の文献にも研究対象を広げ、古伝説の正しい内容を『古史成文』として著しました。 篤胤は、宣長が否定した儒学、道教、仏教、キリスト教の文献からも古伝説の断片を主観的に集めており、その手法には批判があります。

 

古事記に対するファンダメンタルとも言える姿勢を貫いた宣長とは、まさに対照的でした。 

 

本居宣長と平田篤胤の最も大きい相違点は、死後の世界観でしょう。

 

宣長は古事記を第一としながらも日本書紀にしか出てこない「顕」と「幽」に言及しています。「顕」を表に現れた目に見える朝廷の政、「幽」を目に見えない神の政としてオオクニヌシが統治すると考えました。 

 

篤胤は、その著書『霊(たま)の真柱(みはしら)』の中で、死に関する宣長の解釈を批判します。人は死後、地下の黄泉に行き、死後の世界はないと考えた宣長に対し、篤胤は、「幽」は見えない世界を意味するだけではなく死後の世界をも意味していると考えました。

 

篤胤は地上にあるオオクニヌシが治める「幽冥界」を死後の世界と考え、これに対し、天皇が治める「顕明界」を想定したのです。 篤胤の論理を突き詰めると、「顕」を支配する天皇といえども死ねば「幽」を支配するオオクニヌシによって賞罰を受けることになります。

 

宣長がアマテラス=伊勢中心の神学を確立させたのに対し、篤胤はオオクニヌシ=出雲中心の神学を確立させました。 

 

篤胤は死後の世界を提示することで、宣長が確立した国学という学問から、復古神道という宗教へと道を開きましたが、同時に彼の説は、「天皇がアマテラスからずっと血統によって繋がっているが故に尊い」という、宣長が確立した国学の前提を崩しかねない思想を内包したものでした。これはやがて明治の祭神論争の火種になります。 

 

いずれにしても、国学の思想は、やがて後期水戸学に影響を与え、尊王攘夷、廃仏毀釈の思想的、理論的原動力となりました。そして今日最初に見たように、令和の保守派にも、その思想的背景として深く影響を与え続けています。

 

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参照資料 

原武史 放送大学印刷教材『日本政治思想史』5章 各論2・国学と復古神道 

苅部直 日本思想史の名著を読む 第14回平田篤胤「霊の真柱」 http://www.webchikuma.jp/articles/-/1087 

 

参考資料 

直毘霊(なほびのみたま) https://ja.wikisource.org/wiki/直毘霊 

本居宣長記念館 https://www.norinagakinenkan.com/index.html

 

今回から、YouTubeで発信したもののうち、適当と思われるものを文字起こしし、こちらにも掲載することにしました。

 

第4回「戦艦大和沈没から75年」(その4・最終回)誰がヤマトを作ったか 

 

 

 

「戦艦大和沈没から75年」と題したシリーズの最終回です。

 

 その1からその3までの3回を通して、「さらば宇宙戦艦ヤマト」が、戦艦大和の沖縄特攻をモチーフに、戦後33年目の1978年から先の大戦を振りかえった作品であるということを、ご理解いただけたと思います。 

 

その4・最終回では、この作品の制作者に光を当てていきます。 

 

宇宙戦艦ヤマトは、1974年10月のテレビシリーズの始まりから、1978年の映画「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」に至るまで、プロデューサー以下、監督、脚本家、その他非常に多くのスタッフによって制作されていますが、そのうちの誰が、さらば宇宙戦艦ヤマトを、特攻を主題とした作品へと牽引したかを探ります。 

 

作品に誰を登場させ、何を語らせるかということに影響を与え得る人は、脚本家のほか、原作者、プロデューサー、監督、といった人たちが考えられます。 

 

宇宙戦艦ヤマトという作品には、原作がありません。テレビシリーズの第一話では、「企画原案」として西崎義展、監督・松本零士、脚本・藤川桂介、演出・石黒昇、監修で山本暎一、舛田利雄、豊田有恒が、そして最後にもう一度、プロデューサーとして西崎義展、という順番でクレジットされています。 映画の「さらば宇宙戦艦ヤマト」では「企画 原案 制作 総指揮」として西崎義展、脚本、舛田利雄、藤川桂介、山本英明、そして再び監督・舛田利雄とクレジットされています。 

 

ここで、プロデューサー、監督、脚本の生まれた年を調べてみると、興味深いデータが取れます。 

 

舛田以外の7人はほぼ全てが焼け跡世代です。「さらば宇宙戦艦ヤマト」で監督・脚本を担当した舛田利雄だけがただ一人、戦中派で、他の7人は全て舛田利雄より7歳から13歳若いのです。

 

 これが何を意味しているかをご説明する前に、世代について少し説明しておきたいと思います。 焼け跡世代というのはおおよそ(昭和10年(1935年)~昭和21年(1946年)に生まれた世代で、大東亜戦争中、幼少期、少年期であった世代のことです。このすぐ前の世代が戦中派で、大東亜戦争中に青春期を過ごした世代になります。 

 

視覚的にわかりやすく説明すると、野坂昭如 原作・高畑勲 監督の「火垂るの墓」に出てくる兄と妹、清太と節子のうち、妹の節子が終戦時4歳で焼け跡世代、兄の清太が14歳でかろうじて戦中派になります。戦中派の中でも後の方、若い方になります。

 

 焼け跡世代と戦中派の大きな違いは、焼け跡世代が兵隊としては取られなかった世代であるのに対し、戦中派は兵隊として戦争に参加しています。 焼け跡世代というのは、ひもじかった、防空壕へ避難した、疎開したということは経験して覚えています。しかしまだ幼く、被災当時、なぜこの戦争が起きたのか、何が悪かったのだろうか、そういう思索には至りません。

 

 一方、その前の世代である戦中派は、兵隊を同時代人として見ています、あるいは自分自身が兵隊として戦争に参加しています。

 

 戦中派の舛田利雄は昭和20(1945)年8月には17歳で、同じ年に生まれた人たちが、特攻で亡くなっています。大和の水上特攻も義烈空挺隊の特攻も、そして敗戦も、全て彼が17歳の時の出来事でした。この時、松本零士はわずか7歳に過ぎません。 

 

事実、さらば宇宙戦艦ヤマトの中で初めて登場する斉藤始というキャラクターは、舛田利雄の創作によるものです。17歳の時に心に深く刻み込まれた義烈空挺隊の姿だったと考えることができます。 

 

さらに、舛田利雄の仕事を遡って辿っていくと、1962年監督・脚本の「零戦黒雲一家」という作品に、さらば宇宙戦艦ヤマトとのはっきりした類似が見られます。石原裕次郎主演のこの映画は、戦後の航空自衛隊の飛行訓練の場面を背景にこういうナレーションで始まります。 

 

「全く素晴らしい平和な国土、この美しさを永遠のものと守らなければならない。あの人たちのために、戦争で亡くなった数えきれない若い命のために。皆いい人だった。私は人間の生きる道を教わったのだ。さあ、始めようその話を」

 

 そして、クライマックスで、21名の部下と一人の慰安婦を撤退させるシーンでは、さらば宇宙戦艦ヤマトから17名の乗組員を退艦させる時と同じ「これから生きることは死ぬよりも難しいんだ」という古代が発したメッセージが含まれています。この言葉の後、主役と準主役のふたりが、零戦で敵機の大編隊に突っ込んでいくというシーンで終幕となります。 

 

この作品は、今、Amazonプライムで追加の料金を払わずに見ることができます。 

 

そして前回お話ししたように、ヤマトの後、彼の仕事は仲代達也主演の二百三高地へと繋がっていきます。 

 

こうしてみていくと、「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」という作品は、戦後33年経って、大東亜戦争に参加した、最も若い世代が現実に目撃し、経験したことを元に、あの戦争がどういうものであったかをアニメという手段を通して、戦後の世代に伝えたもの、と評することができます。

 

 今日、戦争を伝える多くの博物館の語り部には、戦争を直接見た戦中派はほとんどいなくなりました。戦中派は、最も若い人でも90歳に達しようとしているからです。今後はもう直接の証言を聞くことができません。

 

 しかし、舛田利雄は、脚本を通し、また監督作品という形で、後世の人たちが、時代の当事者に、いつまでも直接触れることができる生の目撃証言を残したと言えます。

 

 「さらば宇宙戦艦ヤマトー愛の戦士たち」という作品は、単なるエンタメではなく、他の作品とは一線を画し、戦争を伝える博物館でも上映されるべき、後世への特別な作品となっています。

 

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 今回の資料

 舛田利雄(1927年10月5日生)

 (参考:三島由紀夫:1925年生まれ 終戦時20歳)

 藤川桂介(1934年6月16日生)終戦時やっと11歳になったところ。火垂るの墓の清太より3歳年下 

西崎義展(1934年12月18日生) 

山本英明(1935年9月2日) 

松本零士(1938年1月25日生)終戦時7歳 

豊田有恒(1938年5月26日生) 

石黒昇(1938年8月24日生) 

山本暎一(1940年11月22日生)終戦時、節子と同じ4歳

 

 零戦黒雲一家 1962年 原作 萱沼洋 監督 舛田利雄 脚本 星川清司 舛田利雄(amazonから視聴可能) 

 

 

YouTubeで語っていない解説:ヤマトのその後(広島領事館)

 

その後ヤマトは「ヤマトは永遠に」以降、シリーズ化され、興行収入至上に走り、2匹目、3匹目のどじょうを釣りに行くことになります。最近のリメイク版に至っては、ヤマトは国連軍の船になっています。

 https://dic.pixiv.net/a/国連統合軍 

これは原作殺しともいうべき重大な改悪で、ヤマトとは何かという根本を作り手が忘れた結果です。ヤマトは地球防衛軍の船でなければなりませんでした。  

 

これに伴い、宇宙戦艦ヤマトをめぐる目を覆いたくなるような出来事も生じました。 西崎義展プロデューサーは、映画界、芸能界では評判の芳しくない人でした。 

・「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気 https://www.amazon.co.jp/「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男-西崎義展の狂気-牧村-康正/dp/4062196743 https://www.youtube.com/watch?v=O1GRqFQqHuw 

・松本零士が完全に敗訴した宇宙戦艦ヤマトの著作権裁判資料 http://www.u-pat.com/d-29.html  

 

近年のシリーズに「原作 西崎義展」と表記されているのは、松本零士の裁判の敗訴によって、それまで曖昧にされてきた原作者が西崎義展に確定したためです。対する松本零士はヤマトの新しい作品には参画できなくなり、松本零士の展示会も本人原作の銀河鉄道999などが中心で、宇宙戦艦ヤマトの展示は、かつて制作に深く関わりながら、ほぼ見かけなくなってしまいました。 

 

「宇宙戦艦ヤマト」という作品は決して綺麗事では済まされませんでした。制作の中心にいた人たちの金、利権、名誉欲にまみれ、変質し、ただの儲かるコンテンツに堕して行くことになりました。残念としか言いようがありませんが、名作ゆえのさだめなのかもしれません。

先日の支那公船尖閣領海侵犯の映像が入ってきました。

映像を見る限り、海保が支那公船を追い払う気配はありません。

【徹底討論】尖閣最新映像が示す中国侵略の実態[桜R3/2/9]

3時間26分

https://www.youtube.com/watch?v=XeO7tOYTcGs

 

また、水沢美架さんが、水産庁(管理調整課)のコメントを取っています。

水産庁は尖閣海域での漁業活動を阻止するのでなく、全面支援して下さい!!2021/02/09

9分

https://www.youtube.com/watch?v=J_ajeHAfWYk

 

船舶安全法

https://elaws.e-gov.go.jp/document?law_unique_id=308AC0000000011_20190401_429AC0000000041

 

ANNnews 中国「主権守る正当な行為」“尖閣”領海侵入で(2021年2月8日)

1分

https://www.youtube.com/watch?v=PiHgRF0FlVo

皆さん、お久しぶりです。ご無沙汰しております。

 

この度、当ブログ『広島から中国総領事館誘致に待ったをかける』に、youtube チャンネル 広島領事館ちゃんねる を併設致しました。

 

どれだけ継続できるかわかりませんが、状況が許す限り、保守の立場から”日本”を発信し続けてまいります。変わらぬご愛顧、よろしくお願い申し上げます。

               xybjp949 (広島領事館)

 

先ほど首相官邸に次のようなメールを出しましたのでご報告します。以下。

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反対 安倍首相の平昌冬季五輪開会式出席

 

 

安倍首相へ

 

支持しない!支持しない!支持しない!

 

どうして貴方はこう、繰り返し繰り返し、正しい判断ができないのですか?

 

どうしてそんなに韓国が好きなのですか?

 

まず、靖国神社に行きなさい。

 

英霊のところに行って手を合わせて考えてください。

 

なぜ、貴方は靖国神社に行かないのですか?

 

 

そして、直ちに総理大臣を辞めてください。

 

今後、貴方も自民党も絶対支持しない。

 

徹底的に支持しない。

 

どんなことがあっても絶対に支持しない!

 

メールアドレス

==========

 

安倍を支持する保守と呼ばれる人たちよ、

おまえら、ほんとに頭おかしいぜ。

 

西部が、この安倍の暴挙を知らずに亡くなったことがせめてもの救い。皆さんも是非、官邸に抗議のメールを。

 

首相官邸 ご意見募集

https://www.kantei.go.jp/jp/iken.html