都知事選を振り返る(2) 61万をどう評価するか | 広島から 中国総領事館 誘致に待ったをかける

広島から 中国総領事館 誘致に待ったをかける

広島に県、市、県議会、市議会、経済団体を挙げ、中国総領事館を誘致する計画があります。
経済にばかり走り、国家安全保障を考えない誘致計画に警鐘を鳴らします。

ZARDの坂井泉水が死んだとき、ある評論家が興味深い言葉を残した。

「知ってるか、知らないかではなく、好きか、知らないか。彼女を知っている人は、みんな彼女が好きだった。」

田母神としおという人物を十分、世間に知らしめることができたなら、間違いなく当選していたと思う。しかし、どうか勘違いしないで欲しい。ここで、彼の個人的な魅力、などという末節の話をするつもりはない。支持者たちは、田母神に象徴されるある種の概念、知識を、それを知り得たが故に彼を支持したという話だ。

敗因は、一重に、知名度が低かったこと、選挙期間(周知期間とも言う)が短かったことだ。選対を責める声が上がっているが見当違いだ。そもそも猪瀬辞職を受けて、水島が田母神を擁立しなければ、一連の化学変化は生じなかった。これは選対の最大の功績であって英断であった。

その後も選対は限られた時間内でよく戦った。もちろん何事にも反省点はあるからそれは別途分析するとして、現地で身体を動かして働いた人たちは、だれもが褒められるべきだと思う。

その他にも組織票がない、仲間であるはず??の総理大臣が反対したなど不利な条件が揃った選挙だったが、条件が厳しかっただけに明らかになったことがある。


61万という数をどう評価するか。ぼくの解釈はこうだ。

あと10日あったらどれほど票が伸びていたかわからない。そういうことを考えると61万は、過渡的な段階における、しかも時間切れの、ちょうど鉈でぶった切って中断させて出たような数字であって、数の多少を語るに、いささかそぐわないのじゃないかと思う。

あえて「過渡的な段階における」の意味を申しあげれば、

「戦後の占領を脱して(1952年)62年、そして、たとえば、江藤淳の『閉された言語空間』(1994年)から数えて20年目にして(「日本を主語とした」)都知事候補が初めて出たところで、」

ぐらいの意味だ。日本を回復させる挑戦は、これからも日進月歩で進んでいく。まだ開票の途中みたいなもんだ。

別の角度から見方を提示するなら、政治動向を明らかにするために行われた精度の高い国勢調査だったと見ることもできる。

国内からあえて関東を選び、国民のちょうど10%を超える人口を抱える地域を対象に(分母が大きく当てにできる)、かなり正確な全数調査を行いました、寒くても、天気が悪くても、期日前に行くか、当日行くか、いずれにせよ保守勢力のために投票行動を起こした人が、 0.4614×0.125(全体の投票率 46.14%× 田母神得票率 12.5%)≒ 0.0577 おりました、

つまり、2014年2月の時点で、有権者が(選挙に見向きもしない人を含めて)100人いた場合、明らかに6人はいないが、5人は確実に保守を支持しています、というわけだ。

都市部でだけ通用するデータだと思うなかれ。東京都には檜原村みたいなところもあれば、離島も抱えている。この数は東京以外でもそれほど離れないと思われる。

真冬の大雪のおかげで、安倍が反逆してくれたおかげで、甘さのない貴重なデータが取れた。61万じゃなく、「5%」あるいは「100人中5人」、これが今後の比較の基準値となるのだ。