劉維添さん 逝去 | 広島から 中国総領事館 誘致に待ったをかける

広島から 中国総領事館 誘致に待ったをかける

広島に県、市、県議会、市議会、経済団体を挙げ、中国総領事館を誘致する計画があります。
経済にばかり走り、国家安全保障を考えない誘致計画に警鐘を鳴らします。

本日付け、李登輝友の会メールマガジンによると、台湾、獅頭山勧化堂(しとうざんかんげどう)において長年、廣枝音右衛門の慰霊を行ってこられた、劉維添(りゅう・いてん)さんが、21日午前1時20分に亡くなられたとのことです。

謹んでご冥福をお祈り致します。


当ブログ主から短く解説を加えます。

1945年2月のマニラの戦いには、すでにいた陸軍だけでなく、前年10月末、戦艦武蔵を初めとする日本海軍機動部隊が壊滅したレイテ沖海戦で海に投げ出されたものの駆逐艦などに拾われマニラに上陸した海軍兵、現地の軍属、民間人(日本人商社マンなど)までもが駆り出されました。市街戦ができない寄せ集め部隊による戦闘で、現地民を巻き込むことになった悲劇的な戦いでした。

廣枝隊長は、フィリピンマニラで米軍と3週間の市街戦を戦ったのち包囲された台湾人部隊を、自らの命と引き換えに降伏させることに成功します。これによって台湾兵2千の命が助かりました。この部隊に所属し、廣枝隊長の判断によって命を長らえることができたことに感謝した台湾兵は、後に、獅頭山勧化堂に廣枝隊長をお祀りしました。

劉維添さんは、廣枝部隊の最後の生き残りで、廣枝隊長に対する恩義の気持ちを最期まで持ち続け慰霊に努めるとともに、勧化堂を訪れる日本人に、日本語で、廣枝音右衛門の事績を語り続けてこられました。21日も慰霊祭が予定されていました。

また2008年には、NHK制作の『シリーズ 証言記録 兵士たちの戦争 フィリピン 絶望の市街戦 ~マニラ海軍防衛隊~』の最後で、短い時間ながらインタヴューに答えていらっしゃいます。

2012年4月の第17回李登輝学校では、獅頭山勧化堂に劉維添さんを訪ね、廣枝音右衛門をお参りしました。同期参加の花時計のマダムさんが、この時の様子をブログに書かれていますのでご紹介します。

部下を救うために自決した広枝警部


もっともっと多くの日本人に劉さんのお話を聞いて欲しかったと思うと同時に、たった一度ではありましたが、直接、顔を合わせてお話を伺う光栄に浴し、今は感謝の気持ちでいっぱいです。

すでに天上では、長い間恋い焦がれた廣枝隊長や部隊の皆さんの出向かえに、涙で顔をぐしゃぐしゃにしていらっしゃるかもしれません。部隊がまた一つになった喜びで、地上で起きた悲惨な出来事、痛み、悲しみが贖われていることを切に祈るばかりです。

長い間、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。
どうぞ、安らかに。

合掌