自分の本質(本来の私)は何?
すぐに思い浮かぶ人は、そう多くない。
それを邪魔するのが、観念や思い込み。
そんな話しを前回書きました。
人間は生きていく中で、観念や思い込みを培っていきます。
それは、ある意味仕方のないことなのです。
自分を守るために、観念や思い込みを作っていくのですから。
言葉を変えれば、自分が愛されるためには、その観念や
思い込みが必要と思ってしまう(勘違い)のです。
観念や思い込みが多ければ多い程、豊かさは逃げていきます。
それは、人に愛されるために、自分でない自分で生きていくこと
を選択してしまうことが多いからです。
即ち、一番大切な存在である自分に、嘘をつく生き方になって
しまうということなのです。
例えば、観念や思い込みをもう少しわかりやすく例えると。
私は、小さい頃、よく喋るし、じっとしていられない、落ち着きの
ない子供でした。
また、すぐにべそべそする子供でした。
母は、そういう私の将来を案じて、何とかしたいと思ったのでしょう。
「男とは、言葉少なく、常にどしっと構えているもの。そして、泣く
のは生涯のうちで2回(父と母の死)だけ。」
と、繰り返し繰り返し、私に諭したのです。
『大好きな母親に愛されるためには、母親の思う男子像にならなければ』
こうやって、観念や思い込みが出来上がっていったのです。
この観念や思い込みは、学生時代や20歳代前半には、とても
役に立ったと思います。
しかし、所詮は偽りの自分です。
『強く男らしく』とは思いつつも、実際の私は・・・・・。
そんなに強い人間ではありません。
「弱々しいことが人に知られてしまうと、誰からも愛されない」
という観念や思い込みがあるわけですから、ばれないようにする
ために、凄いストレスがかかっていたと思います。
ただ、そんなことよりも、もっと重大な問題点が・・・。
自分が愛されるためにという生き方は、自分目線の生き方です。
即ち、人の立場に立って物事が考えられないということです。
これが、やがて30歳台になると足を引っ張っていくのです。
長くなりそうですので、この続きは次回に。