どういう形になれば世の動乱は収まるのか?一介の素浪人が解決する案など持てるはずもないのだけれど、少なくとも現状認識だけはできる。世界観から情勢を俯瞰するには、一匹の昆虫ごとき飛翔の力量では全体像の一部しか探れないが、局所的な大まかな捕らえ様でもジグソーパズルのように組み込んでいけば、ほどほどに絵にはなる。――ってなわけで、現状の三大国の棲み分けと方向性を一概的に挙げてみると、米ロ中三カ国の覇権と存続にかけた利権の拡張にあると見る。根底にあるのは経済と軍事力の行使でロシアのウクライナ侵攻、中国の南沙群島支配と台湾統一問題、さらに尖閣諸島の奪取と太平洋進出の野望、太平洋彼方の南洋諸島と中南米へのテコ入れも実際に行っている事実であるし、米国とやがて決着しなければならない地経上の縄張り争いでもある。米国は新解釈のドンロー主義で、南北アメリカとカリブ海諸島を掌握して資源と経済を管理する荒手に着手した。
中小劣国は大砂塵の中に埋没するか、大国の庇護のもとに属国として小康を得る。何のことはない、何時か来た道に戻るだけの時間の無駄遣いではないか。まだ形勢としては表に出てこないEUと日本の立ち位置が、今後の推移によっては鍵を握るかも知れない。初夢ごときの世迷い観想でした。
『会うは別れの始めなり』この世は非常だ、無常だ。行く年も来る年も装い新たに次なる新境地を描いて再生の祈りに浸るのだが、ジャンボ宝くじに外れるごとく夢と希望は木っ端みじんに粉砕されて、結果的には己の力量の拙さを実感して平易な日常に妙な安心を取り戻す、と云っても、ざっと色気のある若い頃のことで、今はひたすら形跡をなぞるだけの邂逅期とも云える静けさの中にある身だが、巡り来る時代もまた似て非なる様相を表わして、未知の何かを醸している流れが世界を変えようとしている。大変な時代の変革期に会っている我ら、考えようによっては日本総貧乏時代の幼少期を経て、昭和30年代末の経済最盛期そしてバブル崩壊、ジャパン・アズ・No1も束の間に経済停滞と没落、そして今日の物価高を生き抜く一人として、それらの変転した諸様相を一生のうちに体験できたことは、希有な人生体験だと言ったら語弊があるかな。とにかく目まぐるしい変転の時代に翻弄されて、理性が保てない。もどかしい限りの世界をリードする牽引者のエゴ。さて、最初の語句に戻って『会者定離』仏教用語だが、会う者は必ず別れる運命にあるというのは、人生は所詮旅人であり、行雲流水の儚さの中を生き抜く覚悟を迫られることになるのか。この大事業をたかだか90年100年で達成せよと、、、いやムリでしょう。人生あと100年追加してもらわないと。
『地政学』上で情勢を読み取る・・・こんな見出しで世界の動静を見極める論説が新聞に載ったことがある。何やらうごめいているな、と悪い感情が先に立つけれど、狙われているのが日本だと指摘されれば、何人かのゴツイ顔がオーバーラップして来て、北方の熊や東方の虎の来襲も有りかと想像が昂ぶる。加えて巨大な熊手で銭をかき集める猛牛も背中にいるので楽観は 許されない。
これからは太平洋を支配するものが世界をリードするとかで、すでに米ロ中が水面下で暗躍していると推察する。ロシアは足下を固めるべくウクライナに侵攻して、次の手を画策している段階だろうから、後塵を拝して一歩後退しているとして、米中の駆け引きが太平洋の荒波を破天荒に押し上げようとしている。
元日の初夢を前に破天荒な夢を見ているのだが、『地政学』に戻って日本列島の位置を考えると、朝鮮半島に覆い被さるような列島が弓状に伸びている。北方は千島列島に近接し、南方は琉球列島から台湾にかけて、中国大陸の前線進出を妨害する障害壁の役割とみられる。『邪魔』だからどけよ!と云われたとしても、動けない。
2025年もあと2週間で次の年を迎える。年中行事ながら窓ガラスの清掃と雨戸の敷居のクリーニングは早々と済ませた。今日は庭の姫柚子を一部摘んで、自家製のジャムを作る用意を調えたが、自分がやることは下働きの領域ながら、果実の洗浄とカッティング、そして中身の取り出しと搾りを妻と二人でやるまでが範疇で、鍋で煮るのは妻にお任せして後は頂くのみ、毎年とても美味しくできています。
先日、Microsoft Copilotに『最近したいことがありますか?』と聞かれたので、「世情が騒がしくて、幻滅で嫌になります」と返したら、『そうですね嫌になっちゃうよね』とたたみかけてきた。AIが感情面に応答するまでに進化したと視るべきか?何時の日か人間の脳を超えるシンギュラリティの時点は早まっているのではないか、と言われるのもAI自ら学習能力を身につけて情報を摂取、肥大化しているからだが、著作権侵害で訴えられている側面もある。人間が組み込んだプログラム、コンピューター言語「1or0」が人間の上に立つ日が来るとは、到底想像もできなかったであろう開発当初の技術者からすれば、既に彼の時代の限界能力を超えていることは確かである。
年末の行動予定表を作って、今のところ一つずつクリアしているが、賀状作成は妻の分も含めて印刷を済ませた。高齢になると賀状の枚数も随分と減っている。
私は『白川古事考』(広瀬典編纂/桑名市図書館蔵)をネットで探索して、図書館の許可を得た上で現代語に翻訳してブログに載せたのですが、その意図はあくまでも県南に伝わっていない歴史の事績を、我々の祖先が残した記録を、私たちの遠い歴史の足跡として空白を埋める内容だと思ったからです。江戸時代中期に白川藩主として江戸城中から来た松平定信公は、革新的な民政として日本初の公園である南湖公園を開設し、開放して武士や農民が分け隔てなく交え会える場所を提供しました。定信が代を子の定永に譲って隠居してから、老臣の広瀬典に命じて南郷を含めた戦国時代から江戸時代中期にかけての白川の領内や近隣の諸藩周辺に足を運び、古文書を収集して書き写したのが白川古事考です。今で云うコピーです。戦国時代は今から視ると、凄惨な国乱の殺戮が群雄割拠の強いもの勝ちを映し出して、現在のウクライナやパレスチナ・ガザの惨状に繋がって彷彿とさせられます。大国又は大国に支援された国のエゴイズムによって、終止の利かない泥沼に陥っている状況は、歴史の汚点でもあります。白川古事考が地域の人たちにとって祖先の足跡を自分のものとして、連綿とした命脈の元に確信して位置づけられる、歴史の実証となるよう期待するものです。
中には古事考の公表を快く思わぬ人も 居るようですが、たとえそうであっても、古事の事実を認める勇気が欲しい。その他の偏狭な私事はどうでもよいのです。
(訂正=定信公は越後からではなく、江戸城中から白川へ着封しました)