霜月と暦は変わって、日中の温もりも夜になれば、ガクンと低下して寒気が足下を襲う。高市政権が発足して足早に外交課題をこなしている姿はよしとして、一議員の立場でもの言う見解と総理としてのそれでは自ずと制約もあるから、石破さん同様なかなか本音は出しにくいと思う。世界が混沌としている中でどのように日本丸を操縦していくのか、一国民としてはアメリカ一辺倒ではなく、アジアの安定のためには周辺国との意思疎通を図って、相互不信に至らないようにしていただきたい。さすがに就任早々の動きはその通りの実績を残している。目先を変えてトランプと習近平に的を移せば、この二人双六をやっている感がある。関税の効率を課せば見返りにレアアースの輸出を止める。それでは困ると振り出しに戻ってサイの目を模索しているのが、何とも稚拙なゲームにも似て・・・今や21世紀、宇宙へ飛び出す志向の中で、資源枯渇、食糧安全保障の不確立等々、米の増産方針も立ち消えた政策のちぐはぐさが気になる。日本人の活躍が目立つ大リーガーのチャンピオンシリーズ、ドジャース優勝おめでとう!

存在の意義において、個を主とした人間の内面を追求し、証明を求めた西洋思想と、自然及びそれに属する人間の関係性において「調和」を重視した東洋思想。
漠然とした東西思想の違いを上げたけれど、要するに個人を中心とした思想発展の西洋社会に対し、自然と調和した相互依存関係という、上下左右の繋がりを重視した東洋社会の構成があると思う。両者には求める方向性に違いがあるとしても、短絡的ではあるけれど両者の物の見方を包含して両立させれば、新しい世界観が生まれかも知れない。
折りにつけて思うことは、今のウクライナ、パレスチナの争乱と、一国主義の自分さえよければと云う、他者の意を忖度しない我意がまかり通っている現状は、グローバルな世界の緊密化から歴史を振り出しに戻した感があるからである。世界政治を取引の材料とする『ディール』の出現も、バッサリと世界を切り裂く凶器で、先進的とは云えない代物にしか思えないし、この程度の発想しか持ち合わせていないリーダーたちの、「これから」先の地球水先案内人が安全に務まるかどうか、地球号タイタニックの悲劇は人類の終焉を意味する。

世界的な出来事が茶の間を賑わせているかと思えば、津々浦々の山里を襲う野獣反逆の構図も上塗りされて、自国の政界もどきの反動期を迎えている。都下近県にも出没している熊騒動は、かつての棲み分けの区分領域を脅かす人間優位の森林侵略が、帰結として自然界の反逆を呼び込んだ一面もあるのではないか。人間が自然界の秩序を破壊し、思いのまま進歩の名を借りて、その実後退の歴史を作ってきたのは皮肉なことだ。「人間が」と云うとき、その中心にいるのは自分であって、無責任な他人事に押しつけてはならないとは思うのだが、ノーベル賞科学者のように、閃きから膨大な研究課題に突き進んで、人類の灯を点すべく大成果を果たす偉人のようには行かず、平々凡々の凡愚が災いして社会の片隅にひっそりとなりを潜めている。これもプーチンやロナルドのような、強引に無理を通す火付け役とは対比的な、バランス上の存在なのだ。

日本人の平均寿命が延びて、男女ともに80才を越える超高齢社会を構成しています。それはそれとして注目されるのは健康寿命であって、運動機能も脳の活力も適度に保持されているスーパーシルバーが増えていると、友人のドクターがセミナーで述べていた。生活習慣の改善がキーポイントになるらしいが、バランスの取れた高栄養食と筋肉運動、そしてポジティブな情動、まあ、健康な物思い程度でいいのだろうが、ぐちゃぐちゃ捻くれた根性では命をすり潰して、短命に終わるのは目に見えている。
世界を見渡せば戦乱の中に住む家もなく、食料も届かない餓死寸前の民族もいて、
命の価値に軽重があると思わされるのだが、動乱と云い気候変動といい、富の偏在と云いうも、人間の起こしていることなのに制御できない質の低下を見ていると、おぞましくも平均寿命さえ語るに落ちる、世紀末の阿修羅に首根っこを掴まされそうだ。

ある旧交を温める会席などでは、かつて知った仲間という事もあり、居ながらにして意思疎通に漂う微妙な陰影を感じることがある。人間本来の感性が野生動物の臭覚のように、漂う雰囲気の事柄を察知するのである。良くも悪しくも自分事に対しては、鋭敏なアンテナを備えているのが人の常である。感性の度合いが、神格化された霊視から駄馬のような愚鈍無感覚の無反応に至るまで、遠い過去から死生を繰り返して今日まで、DNAのなかに取り込まれて来た運命の蓄積の濃淡にあるとして、それが現世に引き継がれているとする仏教の因果法則の帰結からすれば、人間そのものを規定し、内面の姿を固形化している。六道輪廻に沈む我らの醜い姿こそ、鏡の奥に潜む本当の姿なのだ。拙作「心象風景」にも載せているが、五百年前の戦国時代の事件が、遠く離れた現在の人間関係に影響を及ぼして対立関係を再現した事など、過去の行為が運命となって後世に現われる現象は、元はと云えば因果に基づく種蒔きと結実の関係なのであって、縁のとりもちさえあれば、いつでも何処でも起こり得ることなのである。ある男がある家庭を滅ぼそうとして、相手の力の弱い女子供を狙ってヤクザな手を使い、電話口から不特定者としての悪口毒言を浴びせる手合いなど、六道輪廻の世界では平然と行われている。このような下劣な関係に染まっている限り、双方とも地獄界のクビキから逃れることができない。染まらないことが、そこから抜け出る道である。