- 前ページ
- 次ページ
歴史は勝者によって記録される。華やかな表舞台で脚光を浴びるのは勝者に他ならない。敗者はいつの世も歴史から振り落とされて、山に入り野に散るのである。
今日の世界の動勢は大国の覇権拡大が眼目であって、自己利益を最大に得ようとして地勢的な支配を強めているのが伺える。何故こんなことをするのかと言えば、覚めかかった夢をもう一度見たいからである。栄華の後の侘しさは耐えがたいものだから、祇園精舎の鐘の音が割れ鐘のようであっては困るのだ。大国の横暴でターゲットにされた中小国は、おとなしく従属するか、最後まで抵抗を続けるかの二者択一を迫られたが、「意」ある者は強し、金 剛の盾には噛みついた歯が折れる。中には歴史そのものを否定して、無かったことにすることで水中のパピルスの茎で、かろうじて呼吸している忍者如きもある。ただ、自己保身に傾くと周りから疎んじられて、陽炎の羽の如く頼りない存在と目に映る。こんな時代に誰がしたの声も聞こえそうだが、世も降ると『五濁』の時がやってくると仏説にあり、あらゆるものが汚濁に満ちてゴミがねぐらとなる。そんな世は落ち武者も望むまい。
梅雨に入り涼しげな朝夕のひとときが続きそうです。世界は炎熱の泥沼だというのに、気象と世相の近似と差異は如何ともなす術が無い。一介の庶民が偉そうに言葉を紡いでも世界は変わらないと承知していても、やはり大国の傲慢さには呆れるばかりである。他国干渉に手を染めて足掻き続けるリーダーの様相は、この世の衰退を象徴しているかにも見え る。米ロ中3大国が似たような横暴と身勝手な主張を繰り返して、世界情勢に混乱と恐怖を導いているさまは、21世紀の暗示的な雲の流れでもある。それとも今の大国が中流国への転落に落ち込んでいく導火線の途中にあるのか、変革期が人為の及ばないところで進行しているのか。人類の知が期待したほど精錬されていないと、もし仮に判定する御方がいるとすれば、どの様な殴打必罰が下されるやら。梅雨が去れば蒸し暑い夏到来である。寝苦しい夜をまた迎えるであろうよ。ちと早い『夏の夜の夢』か。
最近は「生と死について語る」というサークルもあって、以前から有ったのかも知れないけれど、あからさまに取り扱われるところに、現代の世相が映し出されているように思える。
どちらかと言えば忌避されがちなアンチテーゼであっただろうが、今日の世相からは何時何処かで、脈絡も判 然としないままに命の危険に曝される、死と隣り合わせの我らの世相なのだから、必然的産物の果物として表われた現象なのかも知れない。日常茶飯事あるいはそれに近い死に関わるニュースは、海の向こうからも国内でも頻発しているのだから、確率的に言うなら「私」という個体も、何%かの割合で俎上に乗ってもおかしくはないはずなのだ。でも、実際『死』を思うことは、何らかの動機があって深刻な問題に向き合う覚悟がないと入っていけないだろう。
宗教的と言うよりは、お釈迦様が残された弟子達への言行が、今日の仏教と言われる元だそうだが、そのお釈迦様が言うには、人間が生まれ出る確率というのは極極極めったにないことだと、『それだけに大切な命なのだよ』と、2600年前に教えたそうだ。一方で生を語るなら、もう一方で生の終わりの死を語る生死一如が相応しいのだが、残念ながらその経験が無い。当然死線を越えれば、この世とは断絶して交信することは出来ない。出来るのは仮死状態を語るだけなのである。


