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映画を中心にエンタメ、旅などを紹介しています。

 石破首相は自らの進退を決断はしないようだ。かつて自民党内の野党的存在だった時には、散々選挙責任を口にしていたのに、いざ自分がその立場になると醜いほど、その地位に恋々とする。

 

 辞めたくないならば、総裁選を前倒しして、自分の力を示せばいいのに。もちろん自信がないから、それはできない。森山幹事長の辞意表明も「首相に委ねる」と言って、その首相が「余人に変え難い」というならお笑い出来レース。

 

 辞めないといえば、あの学歴疑惑の市長も。卒業証書をチラ見せしたとか、19.2秒見せたとか、どうでもいい話が展開されている。20秒見せようと、1時間見せようと、卒業していないのだから、それが偽造であることは間違いない。それでも辞めない。ある意味精神、図太い。

 

 このタイプには、あの兵庫知事もダブって見える。精神が強いのはいいけど、違ったところで見せて欲しい。

 

 居直りといえば、サントリーの会長も同じ。サントリーは追われたけど、経済同友会が辞めないそう。違法性がないというの主張。確かに違法性はないかもしれないけど、あの説明で「まったく問題などない」と思えるのか?

 

 今まで他所さんのトラブルでは積極的に責任追及を、誰より鋭く迫っていた人。過去の発言は消せない。あ、これは国のトップの人も同じか。

 

 日本って、こんなに潔くない無責任な国になってしまったのだと、ため息がでる。無責任が許されるのは植木等だけでしょ!

 

 

 メキシコ映画「マルティネス」。主人公は60歳の独身男。

 

 真面目な銀行員は、もうすぐ定年。彼の後釜がやって来る。彼に指導して欲しいといわれるが、もともとそんな気はない。根っからの非社交的な性格なのだ。

 

 しかし、この後任候補の男が彼と真逆。根っからの社交性を持っていた。そんな男を見て、少しずつ影響される。

 

 

「マルティネス」★★★★☆

 

 この頑固なおじさんに笑える。ユーモアのなさぶりが逆に笑えるのだ。

 

 物語は同じアパートに住むおばさんが孤独死することで急展開。彼は彼女の遺品を拾い集め、それで彼女と仮装同居を夢想する。

 

 ある意味、キモい展開。男の側からみれば、こんな変人もいるなと思うけど、女性から見たら常軌を逸しているのではないか。その割には映画館は満席で2/3は女性客。

 

 面白く、興味深かったのは、珍しいメキシコの庶民の生活。メキシコが舞台になると麻薬関係の物騒な話など、あまり穏やかな展開にならない。その点、この映画に登場するのは、本当に市井の人々。それがいい味。

 

 この主人公の親父が少しずつ変化するのも面白い。最後はほんわかしたエンディング。人生ってこんなふうに流れていくのだなと思わせてくれる人生ドラマ。

 ディオンヌ・ワーウィックの存在を知ったのはTBSで放映されていた東京音楽祭。ディオンヌは80年第9回大会に出場して「思い出に生きる」でグランプリを獲得した。


 60年代にバカラックの歌姫として活躍したディオンヌ。当時は幼い子供だったので、彼女のことを知らなかった。


 なので、この80年の音楽祭がディオンヌ初見。

この番組を見た時は、彼女に対する何の知識もなかったけど、圧倒的な歌の旨さに驚いた。


 さっそくアルバムを買い、過去のバカラック時代の楽曲も聴いた。バカラックは彼女を「楽器のよう」と表現したそう。


 優れたヴォーカリストにとっては、この上ない賛辞。声が邪魔にならないで(歌い方)で、作家が望む楽曲の世界観を表現できる。


 スランプを経て復活したのが80年。アリスタに移籍してから。ディオンヌの80年代から90年代のアリスタ時代。その時が、まさにディオンヌの第2の黄金期の始まりだったのだ。


 この「フレンズ・イン・ラブ」はそんな時代のアルバム。リリースは82年。この当時はまだレコードの時代。このアルバムはレコードで買っている。



 前作のバリー・マニロウに代わり今作のプロデュースは、やはり大物ジェイ・グレイドン。アリスタ時代のディオンヌ、この後、バリー・ギブ、ルーサー・バンドロスのプロデュースで個性的なヒットアルバムを量産する。


 そんな充実期を感じさせる大人のアルバム。

 水上恒司と吉岡里帆が共演した「九龍ジェネリックロマンス」。香港を舞台に時と場所をこえた物語。

 

「九龍ジェリックロマンス」☆☆☆☆☆


 苦痛だった。意味がわからない世界。水上恒司も吉岡里帆もこれまでの作品で失望したことのない俳優ふたり。なのに観ている間、時計とにらめっこ。何度、途中で出ようとしたことか。

 

 マンガが原作らしい。この矛盾だらけの話をマンガでは整合性がとれているのだろうか。ここは原作を知らないので、何ともいいようがない。

 

 コミック→アニメ→実写映画化の流れ。人気作品なのだろうか?実写だけを観ると、何がいいのかわからない。

 

 九龍城を舞台にしているのも何で?時空を超えたロマンスなら軍艦島の方が日本人にとってはリアリティが感じられるのはないだろうか?九龍でみんな日本語をしゃべっているのもヘン。(ファンタジーの設定なら、何でも許される?)

 

 水上恒司も吉岡里帆もいい俳優だし、好きな俳優だから最後まで観たけど、かなり拷問に近い我慢、我慢。

 

 それにしても流星涼が画面に登場しただけでガッカリな気分になる。今回もピカレスクな悪の役なんだけど、彼みたいなヘタな俳優がらやると、悪が安くなるだけ。

 

 悪役は演技が上手い人じやないと。どうして彼がキャスティングされるのだろうか?彼が妙に力んだ、浮ついた演技を見せる度に、あまりのヘタレ演技に笑うどころか、泣きたくなる。


 今年のワースト候補の映画であることは間違いない。

 

 ディスクユニオンでワンコイン(100円)で買ったのはジョン・レノンのベスト盤。こんな偉大なアーティストのベスト盤をこんな安価で買うなんて失礼だなと恐縮しつつ購入。



 

 1曲目は「イマジン」。レノンを最初に意識したのは中学1年生の時。「マインドゲーム」がヒットしていた。ロック系に興味のある同級生は中学になるといきなりビートルズを語り始めた。

 

 そのころからポップスが好きな自分にはいまいちピンとこなかった。でもレノンの「マインドゲーム」は好きだった。


 そして大学生になり、あの事件。日本でミュージシャンの死があれほど大きく取り上げられたのは、のちのマイケルぐらいだった。それよりも、もっと社会性があったレノンの死。もちろん、そこにはオノヨーコの存在もあっただろう。

 

 自分のレノンのイメージは「イマジン」「ラブ」「スターティング・オーヴァー」「ウーマン」「ビューティフルボーイ」。詩人としてのレノン。


 でもこうして、ベストを聴くとレノンって,やっぱりロックの人なのだと思う。彼の思想の根底にはロックがある。


 日本にはいないタイプ。多分、桑田佳祐は、このスタイルを目指したのだろうな。(「スキップビート」の歌詞にレノンが登場)残念ながら、桑田佳祐にはレノンのような哲学はないし、彼のファンが求めるのは、ポップでロックじゃない。


 良い意味でレノンには頑なさがある。自分の価値観を守る非妥協性。どんな非難にも怯まない。和が尊い日本では難しい。でも、それがなければロックにはならないのだろうな。


 そんなことを感じたレノンのベスト。ロックなレノン。

 

 韓国映画「大統領暗殺裁判16日間の真実」。ここで描かれるのは、79年のパク・チョンヒ大統領暗殺事件。さらに、その2か月後に起こる軍事クーデターに関わる裁判。


 最近はミャンマーの軍事政権が問題視されている。隣国の韓国は80年代まで、そんなきな臭い軍事政権下だったのだ。


 この映画を観ると韓国独特の政治体質が垣間見れる。昨年の戒厳令騒ぎも、この国の政治体質のあり方が背景にある。



「大統領暗殺裁判16日間の真実」★★★★★


 この手の政治映画を作らせると韓国はピカイチ。アメリカ映画と双璧の完成度。この映画もまるでドキュメンタリーを見るようなリアリティのある緊迫感。日本映画では、何故か、このジャンルを作ると嘘臭くなってしまう。

 

 最初に韓国に行った80年代、今のソウルからは

信じられないほど夜は真っ暗だった。ソウルの中心部でも、屋台の飲み屋がたくさんあって、この映画に出てくる飲み屋の雰囲気。それは90年代まで、あまり変わらなかった。そんな、今はない、韓国、ソウルの雰囲気が見事に再現されている。


 この時に成立した全政権が88年まで続くのだ。つまり、韓国は90年代を迎える寸前まで軍事政権。


 隣国でありながら、これほど違う戦後の歴史。日本はいかに平穏で平和だったのか。


 それを16日間という限られた日程で行われた裁判で描く映画。しかも、見事にエンタメとして成立している。この手の韓国映画に日本映画は勝てない。


 犬童一心が監督した記録映画「六つの顔」。被写体になるのは93歳の狂言師、野村万作。映画は文化勲章受賞記念の公演のようすを追う。

 

 93歳で堂々と舞台を務める野村万作の姿は、それだけで感動的。映画は万作が稽古場へと向ううしろ姿を追うシーンから始まる。

 

 ナレーションでは、杖をついていないことを強調していたが、そこは確かに、すごい。でも、うちの母も98歳で死ぬ直前まで普通に歩いていた。万作さんの日常は元気なご老人なりの、トボトボとした歩き。

 

 

 凄いのは稽古場に入った瞬間に、老人から、かくしゃくとした狂言師に変わること。背筋まで伸びている。まして着物に着替えると、その颯爽とした姿は現役そのもの。

 

 こんな93歳はいない。まるで、魔法がかかったように変化する。

 

 映画は、その記念公演「川上」の全容を見せてくれる。これも良かった。まるでリアルな舞台を拝見している気分。

 

 その舞台での野村万作の美しいこと。背筋は伸び、口舌は鮮やか。装束をつけた姿に見惚れる。

 

 「川上」は息子の野村萬斎との共演。万作が演ずるのは、目が見えなくなった翁。萬斎はその女房。目が見えない翁は願をかけてが奈良・川上に赴く。そこで願いが叶えられて、視力が戻る。しかし、それには、ある条件があった。

 

 それは妻と離縁すること。それを妻に告げると、妻は拒否。翁は目が見えることより、妻を選び、ふたたび盲目になる。

 

 叩きつけられた究極の選択。それが至高の夫婦愛の物語になる。万作によれば狂言では珍しい悲劇。それを年を重ねた今だからこそ、奥深く演じられる。

 

 狂言という芸に生涯をかける貪欲な姿。生の舞台で拝見しなければと思った。

 平日、たまたま時間ができて新宿へ。ディスクユニオンに行ったら、一日限定のセールに遭遇。何と600円以下は100円にとういうセール。何という日に出会った!のかと、たっぷり時間をかけて、まとめ買い。


 まずはバリー・マニロウ、1984年リリースの「パラダイス・カフェ-2:00AM」。サラ・ヴォーン、メル・トーメなど大物をゲストに迎えたジャズアルバム。



 

 わざわざ設定を深夜2時にしているのは、ジャズバーのステージで、少しばかりアンニュイな時間帯ということだろう。


 このアルバムがすごいのは、収録されている楽曲がすべてバリーによる新作だということ。ポップシンガーがジャズテイストのアルバムをリリースする場合、名曲のカバーが多い。


 その方がジャズアルバムということがわかりやい。買う方も「ナイト&デイ」を「フライ・ミー・トウ・ザ・ムーン」をどんな風に聴かせてくれるだろうかと、イメージが膨らむ。


 しかし、バリー・マニロウはすべて自分が作曲して、アレンジしている。歌手で作曲する人は多いけど、アレンジまで出来る人は少ない。日本では槇原敬之ぐらい。


 バリーはそれをプロデュースを兼ねてしている。このアルバムを今まで買っていなかったのは、その点。


 バリーの新作で、ジャズテイストだろうけど、全部新作って?わからないな、と。


 このきっかけで買うことが出来て良かった。バリーの才能の最良の部分を楽しめたアルバム。こんな傑作アルバムを40年もスルーしていたなんて!



 昨年の東京国際映画祭「アジアの未来」部門で作品賞を受賞したトルコ映画「わたしは異邦人」。主人公は中年にさしかかる女性。トルコの古代都市シデを訪れる。そこで出会う不思議な人々。彼らには共通した秘密があってという展開。

 

「わたしは異邦人」★★★★☆

 

(以下はネタバレがあります)

 

 彼女は孤児。自分を捨てた母親の情報を探しにこの街へ来る。そこで出会う人々は皆訳あり。中年の男、おばさん、女神のような女。

 

 実は彼女には死んだ人が見えるのだ。この人たちは皆過去に生きた人。その人たちと会話しながら、映画は進んでいく。なんとも不思議な映画。結局、彼女は母親にたどり着く。そして、母が語るには、この母も死者が見れたということ。でも、自分の母親が死んだ時に、その能力は消えたそうだ。

 

 「見えてしまう」人の物語。こういう能力をバカにする人がいるけど、確かに「見える」人はいるのだと思う。それは、憧れではなく、人の過去を背負う辛い一面がある。人の運命が肩にのしかかってくるのだ。

 

 この映画は舞台を古代都市にしたことで一層神秘的な演出をしている。その古代都市が美しく物語に映える。誰もが抱える親の問題。彼女の場合はいささか、特殊だけど、皆、それぞれの人生があるのだと感じさせてくれる映画。

 デビュー45周年の松田聖子。かつて所属したソニーから作家別の企画盤がリリースされる。財津一郎、松任谷由美、細野晴臣、大瀧詠一。

 

 個人的な思いとしては、英語で歌った楽曲のベストが欲しい。松田聖子ほど、本気で海外で受ける作品をと考え、継続的にリリースしたシンガーは日本にはいない。

 

 英語作品を最初にリリースしたのが85年。以来40年、さまざまに形を変えて、英語で歌うことにもこだわった松田聖子。

 

 ソニー時代は大きなバックアップでアルバム制作をしていた。ユニバーサル系に移ってからは、自主制作的な形でクラブミュージックをリリース。これがなかなかにカッコ良かった!

 

 

 

 インディペンデント系で思いのままの自分が望む世界。日本でのセルフプロデュース盤は、甘い傾向に走りがちなのに、英語盤はクールなクラブミュージックが主体。

 

 この動きが後の「SEIKO JAZZ」シリーズに繋がる。

 

 

 ヴォーカリストとしての聖子の資質の上質な部分は、これらの英語で歌った作品に顕著にあらわれている。だから、英語で歌う聖子ベストは価値があると思う。


 アナザーサイドの聖子の軌跡。