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con-satoのブログ

映画を中心にエンタメ、旅などを紹介しています。

 一番盛んにハワイに来ていた90年代はアクティブに楽しみたかったので、車は必須だった。朝の渋滞はあるけど、基本、ハワイのドライブは快適だった。

 

 年を取り、のんびり優先になってからは移動はバスになった。これは、これで快適。

 

 この日はチャイナタウンまでバスで移動。ホテルの前のバス停から新しく出来た急行のWラインでアロハタワーまで。約25分。チャイナタウン行きの目的は買い出し!

 

 

 

 まずは、フードコートでランチ。

 

 

 このボリュームで8ドル。ワイキキなら20ドル以上はするはず。チキンが美味しかった。

 

 

 ランチでお腹いっぱいになったら買い出し。

 

 

 空芯菜2ドル50セント。あまりに大きな束なのでビール缶と一緒に撮影。日本なら、5束分はゆうにある。大きさにびっくり!

 

 

 同じ八百屋で買ったパパイヤ。ちょいキズものなので、2つで1ドル。近所の八百屋で、やっぱりキズもののライムも購入。これも4コで1ドル。

 

▲ご立派なハワイシアター。内装もクラシックで素敵なんだけど、あまり、利用されていない。

 

 やっぱりチャイナタウンに来なくちゃ、だ。でも、ダウンタウンは廃れるばかり。どんどんお店がクローズしている。


 相変わらずのはジャンキーな人たち。彼らは大声で何かを叫んでる。これじゃ、普通の観光客などは来るわけはない。

 

 個人的にはダウン・トウ・アースな庶民の街、好きなんだけど、それは少し残念。

 

 ▲オフィス街のビルは空室ばかり。平日なのに人影がない。

 

 ハワイに頻繁に来ていたころは、買い出し旅の要素が高かった。


 洋服、靴、ネクタイはもちろん、ある時はタオルや食器類をスーツケースいっぱいに買い集めたこともあった。


 それは円高だったから。日本よりは確実に安かったし、選択肢も豊富だった。


 今回は円安、現地は物価高。ハワイは楽しんでも、無駄な買い物はすまい!と決めていた。


 なのに、やっぱり「お得」には弱い!やっぱり、買ってしまった!



 ラルフ・ローレン「ポロ」のスニーカー。50ドル。円安とはいえ8000円もしないのだ。真横のポロマークもなかなかに可愛い。


 

 冗談気分で買ったスパイダーマンのトワレは10ドル。トミーも10ドル。



 ノードストロームのオリジナルのコットンパンツは15ドル。



 お仕事に履いていけるクラークスのシューズは40ドル。



 こんなプライスだと円安でも安い。円高の時に買い物に走ったのは当然だったと、自分に言い訳。

 ワイキキ・ビーチで、好きな場所。アウトリガーの1F、オン・ザ・ビーチのデューク・ハナモクのバー。

 

 

 ハワイに来ると寄りたくなる。昔からあるけど、全然変わらない。それに、この周辺は日本人が多いのに、店には不思議と日本人がいない。

 

 今回はワイキキに到着して、着替えをして、直行。まだ、ランチ前の時間だけど、さっそくカクテルをお願いした。

 

 

 

 

 

 普段は、あまり飲まないマイタイ。これはデューク仕様のマイタイ。

 

 お水もカクテルのデコレーションに仕立ててみた!

 

 80年代アメリカのロックシーンで帝王的な存在だったブルース・スプリングスティーン。彼の伝記映画「スプリングスティーン・孤独のハイウェイ」。

  

 映画はスプリングスティーンの生涯を網羅するのではなく、80年にリリースされたアルバム「ネブラスカ」をめぐる制作秘話、それに彼の幼児体験のトラウマが描かれる。

 

 大成功した「リバー」とメガヒットした「ボーン・イン・USA」の間に挟まるアルバム。スプリングスティーンは成功に戸惑い、自分のスタイルを模索しながら、新曲のレコーディングをしている。

 

 このアルバムの過程で生涯最大のヒットとなった「ボーン・イン・USA」などが誕生するが、スプリングスティーンはその曲を次のアルバムには入れようとはしない。

  

 周囲はヒット間違いなしと推すのだが、彼の中では「違う」と感じている。その辺のアーティストのきびが描かれる。

 

「スプリングスティーン・孤独のハイウェイ」★★★☆☆

 

 ファンの人にはささるのだろうな。でも、そうでもない自分には、良質の音楽映画だと思いながらも、細かな情報についていけない部分があった。映画を観ている間、ずっと「ネブラスカ」のリリースが「USA」の後だと勘違いしていた。

  

 それなので、あれだけ成功したのだから、レコード会社が、ご褒美に、アーティストに好きなだけ表現させればいいのにと思っていた。

 

 「リバー」の成功でスターになったスプリングスティーン。でも彼が求めているのは、その類の名声ではない。それで自分のカセットに録音した楽曲をマスターテープに起こしてほしいと依頼する。

 

 質の悪い市販のカセットがいわばマスターになるのだ。もちろん周囲は反対。さらにスプリングスティーンは一切のプロモーションもしないし、ジャケ写には顔出ししないという条件をつける。

 

 結果はそこそこのヒット。「ネブラスカ」はコアなファンにはウケた。でも、スプリングスティーンが時のスターになったのは、やはり「ボーン・イン・USA」。


 映画はこのヒットが出る前に終わっている。それが監督のスコット・クーパーの狙いだけど、それはあまりにも地味。観客が見たいのは、その成功と、あまりに大きな成功を手にした代償なのではないか。

 旅する時に、アコモデーションへのこだわりはない。だから、定泊するホテルはなく、その度にリーズナブルな物件を探す。

 

 今回泊まるのはワイキキ・バニアン。90年代、ハワイ通いしていた頃、バニアンはホノルルに中・長期滞在する(ちょい不良な)日本人が滞在するコンドミニアムの印象。(アイランドコロニーも)




 コンドの印象が強いので宿泊したことはなかった。

 

 大きい建物なので、存在感はある。ある意味、ワイキキのシンボル的なコンド&ホテル。



 

 今回ここを選んだのはプライス。ホノルルだけでなく、全米でホテル価格が上昇しているのに、ここがリーズナブルなのには理由がある。

 

 もちろん建物が古いということがあるけれど、それ以上に格安なのは、リノベ中だから。そんなホテルは絶対にイヤという人もいるけど、自分は、もともとアコモデーションを気にしないので気にならない。


▲リノベ済みの部屋を見学。やっぱり、おしゃれ感が違う!

 

 リノベ作業はディタイム。その時間はたいてい外なので問題はない。プールは使えないという悪条件なのだけど、海岸へ行けばいい。ハワイなんだから。



 朝倉かすみが山本周五郎賞を受賞した「平場の月」。まさに平場、どこにでもいるような中年男女の恋愛小説。その作品が堺雅人、井川遥主演で映画化された。



「平場の月」★★★★☆

 

 舞台になるのは東武東上線の「朝霞」。埼玉県の中でも地味な部類に入る私鉄沿線の町。そこに育った男女がワケありで地元に戻ってくる。そこで出会う同級生たち。

 

 これが東横線とか京王線なら、少しハイソなカップルの話になるところだけど、東上線の「朝霞」という設定がリアルに「平場」。

 

 二人は中学の同級生。堺は高卒で地元の印刷会社勤め、痴呆になった母親の介護をしている。


 井川が離婚して地元へ戻って来ている。周囲には大森南朋、宇野祥平、椿鬼奴、安藤玉恵など同級生がいる。

 

 映画は原作に忠実に展開されていた。「ニトリ」の家具「アイリスオオヤマ」の冷蔵庫、そして「ユニクロ」の服。セリフの中で「平場」感が見事なまでに散りばめられる。


 「池袋」ならいいけど「銀座」はムリという沿線の感覚って、埼玉の人と東京のはずれの城北エリアの人以外にもわかるだろうか。

 

 麻布や青山だったらあり得ないような平場な感覚は、ある意味、全国的に通じる1億中流の世界。


 そんな平場の男を堺雅人はクールに力演。妙にダブついたチノパンが朝霞の印刷工場で働く男にピッタリ。

 

 他の助演キャストも地に足がついた演技。世話焼きで噂好きの安藤玉恵はそんな典型。これは自然な演出のたまもの。


 こういう映画を撮らせたら土井裕泰はうまい。それにしてもTBSの演出部は何と人材が豊富なのだろう。テレビ畑なのに、映画的な映画を撮れるのだ。

 

 久しぶりのハワイ。気がついたらコロナ前に行ったきりで、数えたら7年ぶり。その前も5年ぐらい間があいていたので、本当に久しぶり。

 

 以前はハワイには最低年1回は行っていた。一番多かった時は年4回などという時すらあった。主には90年代。時間があればハワイみたいな30代だった。

 

 中年になるとヨーロッパへ行く回数が増え、その分ハワイが減った。それでも、回数を数えたら今回が42回目だった。今時は50回100回行っている人なんてザラだろうから、42回は少ないとは思わないけど、ハードリピーターというほどでもないのではないか、と自分では認識。

 

 そんな話をする時に珍しがられるのが、オアフ島以外の島には行ったことがないということ。ハワイもマウイにも行ったことがない。


 アイランドの周遊の船旅もあるようなので、いつかはと思っているけど、実現はしていない。

 

 オアフ以外にあえて行きたいと思ったことがないのだ。基本、温暖なエリアに行く時は、のんびりしたい、特別なことはしたくない。


 観光といっても、美術館に行くぐらい。ハワイなら昔はワイキキの街中に映画館がたくさんあったので、午後は映画だった。


▲クヒオ通りにあった、この映画館が特に好きだった。

 

 午前中はビーチに行き、ランチを食べて、午後は映画、夕刻まではホテルのプールなどというパターンでワイキキ時間を過ごしていた。


 今はワイキキに映画館がなくなったので、午後のルーティンが決められない。それがハワイから気持ちが、やや離れた大きな理由。

 

 映画館がなくなったからって!そんな人、自分しないないだろうな?


▲カラカウワ通りにあった大スクリーンのワイキキシアターあと。満員の客席で観た「バッドマン」。


▲ここにはワイキキ2&3があった。ここで観たのは「ダイハード」「プリティウーマン」「レッドオクトバーを追え」などなど。「ROSS」のロゴのところに映画のタイトルサインがあった!

 舘ひろしが主演している「港のひかり」。舘が演じているのは、足を洗ったヤクザの元若頭。組長が亡くなった後、刑務所に入り、出てきたところから映画は始まる。

 

 北陸の小さな港で漁師をしている。しかし、彼が元ヤクザだということは地元民には知られたこと。そんな冷たい視線を受けながらもカタギとして生きている。

 

 ある日、目に障害のある少年に出会う。この少年との出会いが、彼の運命を変える。



「港のひかり」★★★★★

 

 「新聞記者」の藤井道人監督。彼の最高傑作なのではないか。正統派の日本映画。東映マークがこれほど似合う映画もない。

 

 それを支えたのが撮影監督、木村大作。カチっとした画面構成。それに情感のある風景。特に港のさびれていながらもニュアンスのある情景が日本らしさの美しさを表現している。

 

 主演の舘ひろし。若い時は好きではなかったけど、近年、渋さが似合う、いい味を出している。義理人情に厚い元若頭といった風情も良かった。

 

 彼が助ける目の障害を持つ少年、尾上眞秀。成長した青年、眞栄田郷敦のリレー配役も見事。親分役でキレまくる椎名桔平、子分の斎藤工、ピエール瀧、保護司の笹野高史など、キャストも正統派の日本映画俳優を揃えている。

 

 アイデアの元はチャップリンの「街の灯」だろうか。ベタな展開ではあるけど、それを見事に日本映画の風景の中に収めている。泣けました。

 80年代の後半から、自分の海外旅行熱が加熱した。年に3回は当たり前。時には年6回海外へ出かけていた。

 

 90年代までは海外なら成田しか選択はなく、例外は台湾系の中華航空だけ。(当時はこのエアだけが羽田を使っていた。便利なので台湾はもちろん、ハワイへも中華航空を使っていた。)

 

 そんな成田空港オンリーな時代。成田へ行く通常の選択肢は2択しかなかった。箱崎のシティターミナルから出ていたリムジンバス、上野駅からのスカイライナー。

 

 料金は高いけど本数の多いリムジンバスを使うことが多かった。それは、箱崎でチェックインが出来たから。

 

 夜便でも、朝、仕事前にチェックインして荷物を預けて、仕事が終わった後は手ぶらで成田へ行けた。

 

 意外にバスでも成田までは遅延したことはない、バスを使ったことのない人に「遅れたりしないの?それ心配」と言われたけど、遅れたことは1度もなかった。

 

 スカイライナーを使うことが多くなったのは、箱崎のエアのカウンターがなくなってから。箱崎のメリットがなくなった。時間的には100%安心だし、それにシートも快適だった。



 

 スカイライナーに縁遠くなったのは、国際線が羽田に大幅に開放されて羽田便が多くなったことと、成田への格安バスも登場したこと。銀座から乗れるという利便性もあったので、格安バスを利用することが多くなった。

 

 今回は久しぶりの海外、成田。久しぶりにスカイライナーに乗りたくなって選んでみた。


イノウエ・ホノルル国際空港に着いたらレインボー🌈


 7年ぶりに訪れるハワイ。ハワイどころか、海外旅行も5年ぶり。ちょっと緊張。


 コロナ以前は旅好きだったので、年に何回も出かけていた。


 今は、国内も出張はあっても、遊興のための旅はほとんどしなくなった。正月もずっと都内をウロウロするだけ。


 そんな生活をしている中での7年ぶりのハワイ。気分を盛り上げるためにハワイアン・ミュージックを聴いている。


 ハワイを代表するミュージシャンIZを聴きだしたのは、1997年の没後から。


 90年代ハワイへ頻繁に訪れていた。音楽は当時はCDの時代。ハワイアン音楽はコンテンポラリーな時代になっていた。


 そのパイオニアがIZだった。ハワイのCDショップには彼のCDがメインな場所に置かれていた。


 でも、当時、IZのCDを買うことがなかったのは、彼の風貌があまりに強烈だったから。


 ジャケ写を見ただけでは、あのソフトヴォイスは想像できない。




 ケアリィ・レイシェルのCDを買うことでコンテンポラリーなハワイアン・ミュージックに目覚め、ハワイのCDショップでいつも見ていたIZに、やっとたどり着いた。


 とっても体重が300キロ以上あった人とは思えないソフトな歌声。


 彼が歌った「虹のかなたに」のコピーは21世紀になって世界的にヒット。


 それを実感したのは、なんと地中海。クルーズ船のプールで流れていたのだ。ギリシアの海に響くIZの歌声。




 95年ソロ3枚目のアルバム「e ala e」にはハワイの力士へのトリビュートソングが収録されている。




 「TENGOKU KARA KAMINARI」という楽曲。歌詞に「アケボノ、ムサシマル、コニシキ」の名前が出て来る。


 90年代日本の土俵で活躍した力士たち。ハワイでも、もちろんスターだった。


 ハワイ好き、相撲好きの自分にとっても、この3人は特別な存在。


 嬉しかったのは渋谷のオーチャードホールで開催されたハワイアンのコンサートで3人揃って入場した場面に遭遇したこと。


 固定椅子が取り払われ、特別席が用意されていた。


 小錦さんには引退後、ホノルルの空港でも遭遇。迎えの車を待つ間、他に人もいなかったので、少しだけお話しをして、サインをいただいた。


 自分の手帳を出してサインをお願いしたのは、小錦さんと荒川良々さんだけ。ハワイの友人は「え!ホント?」と羨ましそうだった。


 小錦さん遭遇はハワイアンでも、貴重なありがたい出来事なのだ。