マウンティングなんてものは解釈次第である | CONCERTO大人の自習室®️~シンデレラの時間割®~ 

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おうち時間研究家のコンチェルトみほです。
ブログ1本で会社にしました。
シンデレラの時間割®で家事を通して時間管理術が身につく方法を伝えています。

マウンティングとかマウントされた、と聞きます。

夏ぐらいだったかな?、母が●●さんにマウンティングされた!

もう。キライッ、という出来事がありました。

 

内容忘れちゃったんですけど

母は、少女のままの乙女老婆なんです。ppp

 

でね、この前も、私の話を聞いていて「え。それって美穂ちゃん、マウントされてるんじゃないの?」って解釈したことがあったのです。

 

どこらへん?のことだろう?ってスルーしていたら

「あ、気にならないんだったね、美穂ちゃんって」となった。

 

そうだし。

受け取らなければいい話。

いや、そもそもその内容のどこがマウンティングなの?って

話だったのです。

 

ただの自慢だったり、いいことの話だったり、嬉しかったとか

運がよかった~~~という話題じゃないのか。

 

わりとそういう人好きだけどね。

 

話を戻そう。

マウンティングって、された、と怒る人は

マウンティングをされました私、という事実にしているだけ。

 

他人の意見(おおげさか)というか、単なる会話は流せばいいだけ。

そんなに重要なのか?

 

被害妄想じゃないか?

相手は、「いいことがあったな~~」とか

「うわ~いい日~」とか嬉しいことをいうの自由でしょ。

 

マウントって、もうね、そんなふうにいちいちいちいちひっかかっているのは

縮こまってる、心が。

 

色々な事実に贅肉つけまくり。

ま、母は乙女であることを、好んでいるので

●●された~~、ひどいと思わない?とか

結構好きな解釈。

 

そう、マウンティング、って受け取った人の解釈だと思う。

そんなの、存在しないから。

 

って言ったら、

ちょっと不満そう、まあそうだよね。どう受け取るのか?も

自由なんだから。

マウンティングされた!と解釈するのも受け取る人の自由。

「どこらへんのこと?」という反応も私の自由なのだから。

 

ほぼ、他人の意見は無関心な私は、マウンティングという世界は存在しないのだ。