②松下幸之助【掃除は普遍性のある修行】からシンデレラ | CONCERTO大人の自習室®️~シンデレラの時間割®~ 

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おうち時間研究家のコンチェルトみほです。
ブログ1本で会社にしました。
シンデレラの時間割®で家事を通して時間管理術が身につく方法を伝えています。

全ては日常。
なにかがおかしいなら、日常を見直せばいい。
掃除ってね、やらなくても死なないからね。
やってもやらなくてもいいこと。
それをやるから、贅沢なのだ。
本当の贅沢は、自分のためにする自分のお世話。
おそうじです。
丁寧に、心を届かせて。自分のお世話ができる子ども。
これも大切です。
このお世話は、もちろん、心や感情のお世話です。こどももね。
そういうとき、親は「そこにいる」というだけでいいと思う

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これは、掃除コースに投稿したものです。が、掃除はすべてに通じます。どうぞ
松下幸之助の本はすべて読んだと思います。それに限らず、どの世界でもそうだと思います。わたしも、子どものころは知りませんでしたし、なんで掃除なんかしないといけないんだろうと思っていたわけですそれでは、わからない。本当のところでわかっていないんです。ちょっとネット~引っ張ってきました。著作権で逮捕されるといけませんので(笑)コピペは慎重にね。


 

掃除は普遍性のある修業
 松下幸之助は人材育成に掃除の効用を認め実践を訴えた。ただ、問題は掃除を実践する人が、掃除が修養に繋がるとみずから信じて行うかどうかである。
 松下政経塾においても、塾生たちの間には掃除に対する疑問があったという。松下が奉公した時代と現代とはあまりに違う。塾生たちにとって掃除は学校教育における最低限の義務だったにすぎず、それ以上の意義を感じるものではなかったからだ。まして、松下の並み並みならぬ掃除へのこだわりに、疑問を口にする者も出始めた。
 それに対して松下は折にふれ、さまざまな表現をもって納得させようとした。

 

 掃除ひとつできないような人間だったら、何もできない。皆さんは、そんなことはもう、三つ子の時分から知っていると思うかもしれないが、ほんとうは掃除を完全にするということは、一大事業です。 ――1980年6月2日

 

 

(『松下幸之助発言集44』PHP研究所、1993年)
 このように、掃除というものを安易に捉えることを戒めている。また、ある塾生が政経塾の塾是「真に国家と国民を愛し、新しい人間観にもとづく政治・経営の理念を探求し、人類の繁栄幸福と世界の平和に貢献しよう」について、言葉としては分かるけれども、自分にとって塾是がどういう意味をもってくるのかがよく分からない、と述べたとき、松下は難行苦行することの必要性を説いたあと、次のように語っている。
 親鸞でもお釈迦さんでも、一所懸命に悟りをひらきたい、世の中の真理というものを知りたいと念願して、3年も4年も苦行をしたわけです。きみはそんなに念願もせず、ぽっとここへ入ってきたのでしょう。悟れるわけがない。だから、掃除をやりなさい、掃除を完全にできないようではあかんということで、掃除をやっているのです。  ――1980年7月19