記事の整理をしています。
そして、わたしがいつも、「手をつかうこと」や「自分で自分のお世話ができること」を
大切に考えている原点について
あらためてここで話しておこうと思います。
まずは、こちら、で3記事くらいにわけて書いています。
ニーチエやカフカは中学生の時からずっと繰り返し読み続けていますが
モンテッソーリに傾倒したのは養護学校がきっかけです。
ここでは、
教材研究や生活の中での工夫、姿勢についてどれも「なるほどな」と
若い私にも理解しやすく、深く共感しそれ以来読み続けています
結果、学生時代にさらりと流していた(ほぼ記憶なし)ものがどんどん
「ああ、そうだったのか」と「そういうことなのか」というふうに点と点がどんどnつながっていくようでした。
そのあと、息子たちを育てるにあたって、また新しい理解も加わってきたのです。
では、・・・
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私が、なぜ、厳しく暮らすことを当たり前、と考えているのか。甘えを、嫌うのか。
これが原点です。
音楽の世界からあっさり引き上げ障がい児教育の世界へいったのです。
大きな変化でした。
そこで出会う親子、親の姿勢生徒たちとの時間若かった私の、お手本となっていきました。人間としての覚悟、を知ったのです。
たとえば教育。
遠足、校外学習など生徒たちと歩くとき
あからさまな表情で、隣の席を立つ人もいました。
バスの乗り降りなど、そう、スムーズにはいきません。
幼い子供なら、キョロキョロして小銭を払う寸前に、床にぶちまけてもそう、騒ぎにならないでしょう。
体は、中学生、高校生となるとオトナサイズ。
騒ぎになります。イライラと、足を踏み鳴らす忙しい人達に
迷惑にならないように、ギリギリの判断・・・・・・下のリブログへつづく・・・