四十九日法要のときのはなし。
はじまるまえ。
静かに、みな座っていた時のこと。
親戚の携帯が鳴り響きました。
一瞬、ドキッとしますよね。
そのとき、ふうっと空気がゆるんだんですね。
わたしは、その様子みてほっとしました。
余裕があるな。と。
大丈夫、慌てなくて大丈夫。
そこにいた全員がそう思っていたんじゃないかな。
だれだって、ならないようにしておくなんてことは
知っています。子供だってしっているでしょう。
でもね、
うっかりすることもあるでしょう。人間なんですから。
一点の曇りもない、ミスのない、ことも素晴らしいコトです。
法事のような悲しみの場面、フォーマルな場面もあります。
本人が一番、驚いてショックをうけているでしょう。
そこを
「なぜ、スイッチを切らなかったのか」と責め立て
いう必要などないのです。
大事なことは、スイッチを必ず切る、ということより
うっかりして、戸惑っている人に
とどめを刺すような指摘をする行為などではなく
「大丈夫。慌てないで、落ち着いてくださいね」と
心から迎える気持ちをもてることのほうがよほど
大切。
責め立てて、恥をかかせるとか
誰かに注意させよう、
相手を、わからせないといけない、
という姿勢は
マナー以前です。
まして、教育などではありません。
この日は、懐かしいお店で食事でした。
お目にかかりたいと思っていた人にも会えました。