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前回の続きです。
初代の足利学校は1754年に落雷で焼失したため、現在の足利学校は再建されたものです。
貴重な品が展示されていました。
こちらは衆寮と言います。
僧房または学生寮です。
こちらは木小屋といいます。
薪や農具などの置き場のほか、漬物などの食料品を保管した建物です。
こちらは土蔵です。
大切なものを格納する耐火建築として建てられました。周囲は漆喰仕上げで屋根は栗板の柿葺きです。
庠主の墓です。
室町時代、関東管領上杉憲実は、鎌倉円覚寺から僧快元を招いて初代の庠主(校長)とし、足利学校の経営にあたらせました。
以後、明治元年までの430年間に23代の庠主が在任しました。孔子廟の裏手には、このうち17人の歴代庠主の墓があります。
多くは無縫塔で、庠主の名前がわかるのは8基あり文字が判読されていますが、残りの9基は不明です。
足利学校の見学を終えました。
足利駅に戻ってきました。
ここからはカーシェアで移動します。
車で約20分、レトロな場所に来ました。
内部はこのようになっています。
ここにはレトロ自販機がありました。
筆者は天ぷらうどんにしました。
350円也
うどんが半茹で感もありました。
味は秋田のレトロ自販機の方が格段に上です。
この続きは次回のブログに書きたいと思います。
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