夏休み明けの9月の第1週は、毎年読書感想文の選考に追われる。
まず、教えているクラスの20~30篇の中からそのクラスの代表作品2篇を選ぶ。
それを係りの先生に提出。
係りの先生は各クラスから集まった60篇ぐらいの作品を2グループに分け、国語科の教員で回覧する。
1グループ30篇ぐらいの中から各自3作品を選び、1位~3位を点数化し、その合計点の多いものを学校の代表作品として選び、各コンクールに応募する。
この一連の作業の中で明るみに出てくるのが、読書感想文のパクリというやつ。
今日日、読書感想文を指南するサイトはいくつもあって、中にはご丁寧に作文例をたくさん載せているサイトがある。
たとえば、夏目漱石の『こころ』であれば、こんな風に・・・
「読書感想文は『こころ』なのか?」
部屋で本を読んでいると、父が声をかけてきた。夕食前のことだった。
という、ありふれた日常のシーンから始まり、高校時代に『こころ』を読まされた父が、この小説の問題点を指摘し、
「『こころ』なんてものは、えらい国語の学者が、人生賭けて研究するに値する小説なんだ。それを、十七年しか生きていないおまえが、一度や二度読んだぐらいで、理解できるはずないだろ?」
と、父に説得され、
「来年、そして再来年、もう一度『こころ』を読み返してみたい。そのとき、自分は『こころ』から何を感じ取れるようになっているだろうか。」
という、国語教師を喜ばせるような結びで終わっている。
もちろん、そのサイトには、「コンクール・コンテスト等の応募には使用しないこと。」ともっともらしい注意書きが書かれている。
コンテストに応募しなければ、学校提出用の宿題として「自分の作品」として提出してもよいということだ。しかも、もし、パクリがバレたら、「センセイに思いっきりしかられること」というおせっかいな注意書きまである。
で、こういうサイトの作文をそのまま、一字一句間違わずに書き写して、自分の読書感想文として提出する生徒が、やはりいるのである。
ふだんの生活ぶりや言葉遣いから、「君が使わないような言葉を使って書いているよね。君、本当に自分で考えた?」と問いただすと、あっさりパクリを認める生徒が、やはりいるのである。
いいオトナが、何の親切心かしらないが、中学生や高校生のレベルに合わせた読書感想文を作り、サイトで公開して、いったい何が満たされたいのだろう?
そんな中学生レベルで文章書くぐらいなら、もっと真面目にその作品を読み込んでオトナの研究をしてくれ。
中学生や高校生が自分で考えなくなるような余計なおせっかいはやめてくれ、と言いたい。
というわけで、この9月の読書感想文審査は、最近はパクリ発見も重要な作業になってきた。
まことに迷惑である。
今日もウィノローグに来ていただきありがとうございました。
しかし、読書感想文が生徒にとって一番嫌なものであることだけは、認めまする。