最近よく寝違えて首が痛い。ああ、痛い。
昨日は25日で、毎年恒例の、といっても今回で2年目のシャンパン練習だった。それぞれが日記をやってるってことで話も自然にそれになったが、ここの更新が遅いと言われた。はい、ごめんなさい。

Web上で謝るなんて去年からは想像もつかんかったなあ。

23日
バイト。

24日
バイト明け。今年ラストのゼミ。
ゼミの前に班に先日の大阪、神戸訪問についての報告。3人以上での話合いってのは話題が実を結んでいくようでとても楽しい。良い意味で楽観的にもなれる。

ゼミは相変わらず人数が少な。何か雰囲気悪いまんま終わったなあ、いやいや。みんなが何かに怒っとるような。ええんかいな、これで。

ゼミ終わって天神に出て買い物。ビッグカメラでチクと久々に会う。そのままぶらぶらと俺の買い物とチクの買い物。荷物を入れるのがアローズの袋なので、外見からもまるでサンタの気分。
買い物済ませてみれば、散財したなーってのと、あいつらのはしゃぐ顔が見物だなーというのが半々。

ビッグカメラにいた仕事帰りのお父さんたちに敬礼。ケータイで奥さんと連絡取りながら慣れないおもちゃ売り場を探索して歩くお父さんたちに最敬礼。親父もあんなことしとったんやろか。まあ、ええか。

家帰って、クリスマスだなあと考え、何でかヴァセリンズ聴きたくなったので、安野モヨコの「働きマン」読みながら聴いてると、次はフランシス・マッキーのアルバムが聴いてみたくなった。
しかし、ユージニアスって名前は笑えるくらい酷いね。「働きマン」の中のキャラの名前も笑えるし。

25日
「働きマン」のせいで朝から思い立って、就活のためにパソコンの前に座ってがちゃがちゃ。色々調べ始めるとけっこうおもろく感じてくるから、それがおもろい。

腹が減ったので米を炊いてる間、ほか弁の「から揚げのみ」を買いに行ったら1個増量キャンペーン中だった。レトルトのカレーとから揚げを合わせて「から揚げカレー」がこんなに簡単に!と一人悦に入る。ふへへ。
なり、シマスケ(野菜・餅持参)、俺の誕生日をまとめて祝う。祝ってもらう。
家にこれまで3人以上人間が入ったこと無いため、もちろんでかい鍋も無し。物が無かったため、主に安部さんと俺が走り回ってかき集める。なのでこの日を境にホントに物が増えた。でかい鍋、食器、オタマ、借り物のカセットコンロがやって我が家の一員になった。
うーん、邪魔。

や、うそ。

これからは物がある部屋なので、常に臨戦状態である。よし、遊びの誘いを待つとしよう。いや、自分から率先せなあかんのか。

パーティはとても不可思議で、面白く、白熱した(トランプも)。
流血も少々(ぶたのしっぽ)。
まず、参加者の接点が分らん。けど人付き合い、初めはそんなもんや。と。

22日、夜。
最近本屋に行ってないことに思い立ち、天神へ。
「このミス2005」が出ていることに愕然とし、一気に気分が萎える。
この時期、番付本多すぎるんやて。
番付なんぞ歯牙にもかけんふりして、実は気になるためちょこちょこ覗く。これがタチが悪い。

読みたい本は増えるは、今まで読んでなかったことを悔やむは、実はそんなにおもろないと思ったくせに「うん、あれ良いよね」のしたり顔になるは。ランキングに振り回されるちっこいおっさん。悔しい。

「このミス」が出回り出したということは、そろそろSNOOZERとキネマ旬報でも今年の番付が出るのでは。見な(ければ)。
家の鍵を京都のホテルに忘れていることに気づく。

そのため20日から21日にかけてユージロ宅に救われる。

ROSSOのMステ出演のビデオと右のDVDを鑑賞。

21日昼になり、合鍵借りに。

でこれ書いてるけど、
正直疲れた。
日記というものが人に見られるものだということを改めて意識し記す。

神戸で交通事故の裁判を戦っておられるある家族にお会いした。

事故の概要は、2000年5月、別の交通事故に遭遇し救助活動を行っていた姉妹に、加害者車両が突っ込んできたというもの。結果、姉は記憶障害、視力低下やめまいの後遺症を受ける。妹は首から下は左腕以外動かないという全身麻痺に。しかし事件当時、加害者は不起訴処分。

全く杜撰で悪質な警察の捜査と医師の診断、加害者の最低な人間性、その加害者と談合しているとみられる神戸市。

全てが壁になっています、とお母さんは話された。

今年の9月、ようやく当初の不起訴処分を撤回させ、加害者を起訴することができ裁判を開始することになった。昨日はそんな事件の2回目の公判だった。
非公開だったため裁判は傍聴することはできなかったが、裁判後お母さんに事故現場や経営されている洋品店、ご自宅まで案内していただいた。
ご自宅では妹さんとお話をすることができた。ユーモアがあって、ポジティブで、とても綺麗な人だった。心からそう思った。

と、ここまで書いてきて、やはり文章が稚拙なせいで、何も伝わっていない気もするが、諦念することなくあと少し続ける。

2日間、交通事故の被害者や遺族の方たちのお話を聞いて「なぜ、こんなに素敵な人たちの人生が狂わせられるのか」という全く論理的ではない感情にとらわれっぱなしだった。その感情を否定する気は無い。

俺は何も期待はされていない。だからといって、今回の、いや今回に限らず人生における、もしかすると人が身を切るような思いをして与えてくれている、素晴らしく、価値ある出会いを殺すつもりは、全く無い。
この日と20日は書かなければいけないことが多い気もするが、うまく書けないと思う。自分の中でも整理が未だついていない。

昼まで錦市場や京都御所などを全く酒が抜けていない体で、まろ茶とポカリを飲み飲み歩き回る。

御所での昼食後、ゼミの4人で大阪のTAV(交通死被害者の会)会員の方のご自宅へ。
なぜここへ行ったのか、という理由は今回の合同ゼミにおける発表でお世話になったからとしか言えない。
息子さんを亡くした2家族のお話を聞く。「聞いてしまった」と言ったほうがその時の心情としては正しいかもしれない。今振り返ってその心情が変わったかと考えれば、多少は「聞いた」にシフトしたかも。
話の具体的内容についてはここでは触れない。

実家に帰り、狂言「釣狐」を知る。
「釣狐」とは狂言師の卒論のようなものらしい。具体的意味はそれほどなく(もちろん人間のサガの悲哀を表現する、といったことはあるらしいけど)むしろ身体的な約束事、型、形式をなぞることに究極的な目標を定める演目。
衝撃だった。
その衝撃は黒沢清が言う、役者の身体的演技にのみこだわる、という映画観を知った時と同じ腑に落ちる感覚だった。

狂言というものがおそらく今後、自分の中でとても大きな興味の対象として占めるだろうという楽しみを覚えた。

型をなぞることによる美しさというものは、おそらく「反復」の美しさと同義に近いのではないだろうか。弟の素振りの練習を見ていたら、そんな風に思考が飛躍した。