この日と20日は書かなければいけないことが多い気もするが、うまく書けないと思う。自分の中でも整理が未だついていない。昼まで錦市場や京都御所などを全く酒が抜けていない体で、まろ茶とポカリを飲み飲み歩き回る。
御所での昼食後、ゼミの4人で大阪のTAV(交通死被害者の会)会員の方のご自宅へ。
なぜここへ行ったのか、という理由は今回の合同ゼミにおける発表でお世話になったからとしか言えない。
息子さんを亡くした2家族のお話を聞く。「聞いてしまった」と言ったほうがその時の心情としては正しいかもしれない。今振り返ってその心情が変わったかと考えれば、多少は「聞いた」にシフトしたかも。
話の具体的内容についてはここでは触れない。
実家に帰り、狂言「釣狐」を知る。
「釣狐」とは狂言師の卒論のようなものらしい。具体的意味はそれほどなく(もちろん人間のサガの悲哀を表現する、といったことはあるらしいけど)むしろ身体的な約束事、型、形式をなぞることに究極的な目標を定める演目。
衝撃だった。
その衝撃は黒沢清が言う、役者の身体的演技にのみこだわる、という映画観を知った時と同じ腑に落ちる感覚だった。
狂言というものがおそらく今後、自分の中でとても大きな興味の対象として占めるだろうという楽しみを覚えた。
型をなぞることによる美しさというものは、おそらく「反復」の美しさと同義に近いのではないだろうか。弟の素振りの練習を見ていたら、そんな風に思考が飛躍した。