愛と愛情の違いが、なんかわかってきたかもだなぁ
愛は意外に温度低いぞ?(多分)
ということで、現時点の仮説。
愛情は、温度の振り幅がある感じ。
熱すぎれば、火傷するし、
低すぎても、火傷するというか
愛は、一定の温度。
なので、気づきにくいというか。
ただ在るだけの。みたいな。
で、誤認を与えたくないのは
愛情、大事だよ!
これが、人間を人間たらしめているものだから。
温度(調節)がだいじ。
愛は。
大事かどうかという次元じゃなくて 無くせないし、たぶん無くならない。
なので そうするとだ。
目の前の現実は全て愛ということになる
動植物 空気 椅子とか机とかも全て
呼吸している、身体。内臓。
意識することで 見えるものわかるもの全て
なのでなので。
争いや、病気、
望まないことも愛ということになる。
ちょっと書いてて辛いけれども。
愛は、非情とも言える。
(愛情ー情=愛)
それは、意識することで
私達に気づきを与えるためだ。
愛情は、そこに温度がのる感じ
子供パートナーをハグするとか
言葉にするとか 表現するとか
行きすぎれば、執着となり。(火傷)
無さすぎれば、拒絶となる。(低温火傷)
なので、、、
愛、を意識しながら
心地よい温度の愛情を注いでいけたらいいのかなと思う。
時にはあるでしょう、執着や拒絶も。
それでも、それはそうであるという前提で
愛も愛情も感じて、気づいてゆけたらなぁ。
違うかもだけどね。
ある日の備忘録として、残しとく。^ ^
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