この事件では、国際市場での取り組みがいかに難しく、時間のかかるものかを教えてくれた。当社では商社あるいはトヨタ自工を通じて着実に輸出実績を積み重ねつつあるが、こうした苦い経験が生きて、円滑な対応も可能になったといえよう。


鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
当社とクカ社の関係を修復するため、この年の5月、社長、鬼頭稔常務、鬼頭課長が現地に出向き、誤解をといた。クカ社首脳部もあっさり了解、これが縁になり、同社との結びつきはより強いきずなとなって、こんにちに至っている。


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帰国後、10億円ほどの見積書を提出、初輸出に期待を寄せたがナシのつぶて。半ばあきらめているところへ、昭和50年10月、ボルガ工場のカタニコワ主任技師が当社の工場視察のため来日、改めて見積書の提出を求められた。そして再び、身をきるような寒さのモスクワに社長、井川取締役、鬼頭課長が立った。そこへ技術提携先のクカ社から国際電話が入ってきた。当方は、ソ連向け商談については特例として承認を得ていた積りだったが、まかりならないとの内容だった。


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