さっそく、ソ連側から年末、トリアッチ乗用車工場向けのビザを受け取り、汽車に乗り込んだ。到着するまでには10時間かかった。同工場は、フィアット社の技術援助で完成したもので、商談はライン増設に伴うものだった。


鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
まぼろしに終ったソ連との商談

昭和49年、伊藤忠商事株式会社から豊田工機株式会社に、ソ連向け自動車ボデー組付プラントの引合いが寄せられた。豊田工機では全てを一社で消化できないと、溶接プラント部分が当社にまわってきた。


鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
この間、両社首脳も相互に交渉した。昭和46年9月30日と10月3日、フィーベック社長が、昭和55年5月15日にはボルシュレーガー社長夫妻が来社、友好を深めた。一方、鬼頭社長は昭和48年9月の夫妻によるリーデル社長の表敬訪問、昭和51年5月、昭和54年6月の業務打合せの為の訪問、昭和55年7月の答礼訪問などがあげられる。



鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
また昭和47年6にはKUKA社のクラウス主任技術者(溶接機の計画担当部長)が来社、45日間にわたって技術、開発についての細かい打合せをする一方、作図指導や現場指導なども受けた。クラウス主任技術者は昭和55年3月にも同僚のツインマー氏と来社した。


鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
また、こうした研修者の受けいれ、欧州における情報収集まで課せられている現地駐在員も、初代の鬼頭取締役(昭和45年12月~昭和49年8月)、2代目の原だ弘三(昭和49年1月~昭和52年10月)、3代目の渡辺敬一(昭和52年7月~昭和55年9月)と続き、現在、4代目として服部正明が昭和55年2月から赴任活躍している。


鬼頭工業株式会社|KITO MAC|