年が明け、昭和46年2月18日、井川取締役に引率された第一次短期研修チームの杉浦光彦、牧原英宣が渡欧、3ヵ月間にわたって、標準溶接機とプレスウエ ルダーについて技術を習得、続いて、いったん帰国した井川取締役は、5月から年末にかけて再渡欧、長期展望にたった情報を収集。さらに8月に入ると第2次研修チームとして尾崎宗太郎と松本文雄が羽田を出発、1年間にわたって摩擦溶接機、抵抗溶接機そして制御技術についてKUKA技術を学んだ。
鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
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言葉は通じなくても、いったんつき合うと面倒もよくみてくれる。そうしている内に日常語が片ことで話せるようになり、家族ぐるみのつき合いも出来るようになりました。最近も、時々渡欧、現場にも入ることがありますが、“Yoshi”(よし)と気楽に声をかけてくれます」
(鬼頭吉之取締技術部長)
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「マンツーマンで会話を勉強したが、なじみのない言葉をそう簡単に覚えることなどできない。そこで、酒場に足しげく通い、南ドイツ特有のシヤフコフという一種のトランプ遊びなどをしながら友達づき合いの輪を拡げていきました。
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正式調印を終えて帰国した社長は、初代の現地駐在員として鬼頭吉之課長を指名した。ドイツ語の勉強をする時間もなく、12月28日、鬼頭課長は単身あわただしく羽田空港を飛び立った。
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