前後して、当社で5年余の設計経験を積んだ佐藤二三夫と辻潤一が鬼頭社長の特命を受けた。二人は名古屋市内で、三名の従業員を採用、昭和42年(1957年)12月10日、この新装な っと建物の玄関に「ナゴヤ機械設計事務所」の看板をかかげた。
鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
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こうしたなかで、鬼頭社長は将来への技術的布石をめざして、あえて技術部の一部を分離、独立させることを決めた。トヨタ自工との太いきずなはより強めながら、一方でまったく新しい分野からの仕事を受注、設計範囲を拡充していくと共に、当社の技術部と競合し、より合理的、高性能の機械設計を追及する――ことなどがねらいだった。
鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
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ナゴヤ機械設計事務所の創業
トヨタ自工は、昭和41年(1956年)10月、日野自動車工業株式会社と、翌42年(1957年)11月、ダイハツ工業株式会社とそれぞれ業務提携した。こうした自動車産業界の再編成が進むなかで、当社は洗浄機や溶接機そして各種専用機メーカーとしての基盤を確実に固めていった。
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トヨタ自工は、昭和41年(1956年)10月、日野自動車工業株式会社と、翌42年(1957年)11月、ダイハツ工業株式会社とそれぞれ業務提携した。こうした自動車産業界の再編成が進むなかで、当社は洗浄機や溶接機そして各種専用機メーカーとしての基盤を確実に固めていった。
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