亡くなった親の年令を超えるということ | ほめ方の伝道師・谷口祥子

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20代に対人恐怖症に陥った経験がありましたが35歳でコーチングに出会ったことで、人間関係が激変。<承認すること>が人間関係を豊かにし、仕事や人生を大きく飛躍させると気付いたことから「ほめ方の伝道師」として活動しています。

こんにちは、谷口祥子です。

 

 

先月20日、私は母が亡くなった時の年令を迎えました。



フェイスブックで、親の亡くなった年を超えることに対する
格別な想いをつづっている人を見て
「大げさな!別にいつもの年と変わらないじゃん」と不思議に思っていました。



でも、いざ同じ立場になると、
ついにきたか!っていう感じです・・・




私と弟を立派に育てることを最優先にして、
家事にあけくれていたうちの母。
おしゃれを楽しむことも、友だちと一緒に遊びにいくこともほとんどなく、
家計の大半を教育費につぎ込んでくれていました。



なのに途中で優等生を卒業し、
ロッカーになった不良娘の私。



弟にこっそり「お姉ちゃんは終わった」と
母は耳打ちしていたようです!



ロッカーから対人恐怖を経て
コーチングや自己啓発の世界に入ってからというもの・・・
クラスで「天才」と呼ばれ人生のピークかと思われた、
あの小6の頃よりもはるかに勉強にはげみ、
自分を日々磨いているという自負があります。



きっと母は天国で私が楽しく生きていることを喜んでくれつつ
「今さら遅いわ!お母さんのいう通りにしていたら
もっといい人生になってたわ!」とつっ込んでいることでしょう。



しかし子供は反抗期を経て親から自立することで、
自分の価値観を持ち、
自ら生き方を選択していけるようになるのです。



母が亡くなったのは50歳。引き金になったのはウツ病でした。
私と弟を立派なエリートに育て、立派なパートナーと結婚させることが
彼女の夢。



にもかかわらず、二人とも自分が望む方向には進みそうもない。
そして迎えた更年期・・・



生きがいを失った母のつらさはいかほどだったでしょうか。



人の人生に介入してきて、自分の思い通りにしようとする母に
私はずっと反抗していました。



だからウツ病になった母に、最善をつくしてあげることができませんでした。



だけど本当は母のことが大好きだったということに気付いてからというもの・・・



どうして母のつらさに気づいてあげられなかったんだろう。
どうして冷たくしてしまったのだろう・・・と自分を責め続けていました。



私は母が自分の人生に目覚めて、自由にのびのびと
歌やダンスを楽しんでくれていたらと悔やまれてなりませんでした。




だから母が亡くなった年令に近づくにつれて
「生きていていいんだろうか」という
想いにさいなまれるようになったのです。




そこでいろんなセッションを受けて解決しようとしてきたのですが
一番効果があったのは、
目の前にお母さんがいるのをイメージして、伝えきれなかった思いを
存分に伝えたことでした。何度も何度も。何も言いたいことがなくなるまで。



すると心の中のおもりのようなものがスーッと消えてなくなり
目の前に明るい世界がひらけてきました。



お母さん、大好きです。私を産んでくれてありがとう。



そして私に出会ってくださったみなさん、
本当にありがとうございます!
両親をはじめ、たくさんの方々のおかげで今の私があります。



これからの人生、
愛といのちについて考えていきたい・・・


人と愛おしいと思う気持ちを
大事にして生きていきたい・・・



半世紀生きてきて、ようやくここにたどり着きました。

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