きょうで、東北・関東大震災が発生してから1ヶ月を迎えました | 続きは、CMのあとすぐ!

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この記事は、2010年3月13日更新の、今回の東北地方太平洋沖地震について、ブロガーの一人として記事を書かせていただきます の関連記事で、東北・関東大震災が発生してから1ヶ月を迎えた内容となります。。


さて、きょうの4月11日で、東北地方に壊滅的な被害をもたらした「東北・関東大震災」が発生してから1ヶ月を迎えました。


この間、大震災発生時に、気象庁は「東北地方太平洋沖地震」と命名しましたが、のちに日本政府が日本政府は4月1日の持ち回り閣議で、名称を「東日本大震災」とすることを了承したそうです。


けれど、私のブログでは今後も「東北・関東大震災」と表記させていただくことにしました。


警察庁の発表によりますと、2011年4月10日の時点で死者行方不明者は27794人。


行方不明者は14809人と、被害の全容はいまだに把握できていない状態です。


被災された市町村で生まれ育ち、力を合わせて市を盛り上げ、町作り、村おこしをしてきた方たち。


また、実際に市町村で暮らし、育てた方達の無念や、家やお店、知人、友人、家族、親戚縁者を大津波で失ってしまった方の絶望感と喪失感は、とてもこの文章では表現できるものではありません。


あらためまして、今回東北・関東大震災(以下、大震災)の被害に遭われた皆さま、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます


◆いいかげんに早く余震が治まってほしい!


さて、大震災が発生してから1ヶ月たったわけなんですが、依然としてまだ余震が続いています。


この記事を書いている4月11日にも、福島県で震度6弱の強い余震が発生しました。


東北・関東大震災が発生したとき、気象庁は、被災地では今後も大きな余震が起きた場合には、震度6弱や6強の揺れとなるおそれがあるとして、引き続き、強い揺れに十分注意するようと呼びかけていました。


その予測が当たった結果になりましたが、気象庁のこういった当たりそうな予測こそ、被災者のことを考えて外れてほしいものです。


ただでさえ、東北・関東大震災の巨大地震で怖い想いをしたのに、そこに毎日のように余震が発生しているんですからね……。


また、東北や関東だけでなく、静岡県や長野県、秋田県でも震度5強以上の揺れを観測する地震が発生しました。


けれど、余震が多く発生しているのは、やはり福島県や宮城県の東北地方です。


ですから私としては、


「もう1ヶ月なんだから、被災者のことも考えていいかげんに早く余震が治まってほしい!」


と、テレビで東北地方の地震速報が出るたびにそう思わずにはいられません。


特に、福島県で発生した強い余震ということで、テレビの地震速報に「福島浜通り」と出るたびにヒヤヒヤする思いがします。


なぜなら、福島県浜通りは、次の項目でも触れる福島第一原子力発電所があるところでもあるからです。


◆廃炉が決定しても、福島第一原発の放射能の封じ込めは数ヶ月かかることに…


その福島第一原子力発電所(以下、福島第一原発)は、震度6弱が観測された影響で外部電源が一時ストップし原子炉への注水が止まりましたが、その後外部電源も注水も復旧しているということです。


福島第一原発では、1号機から3号機までの原子炉を冷やすための注水に外部電源によるポンプが使われていますが、余震による停電のため注水もストップしました。


消防ポンプによる注水の準備をしていましたが、およそ50分後、外部電源による注水は復旧したということです。


2011年に3月30日に、東京電力の勝俣会長が初めて記者会見の場に現れ、福島第一原発の1号機~4号機までを廃炉にする方針を発表しました。


専門家は、原子力発電所を廃炉にするに約30年はかかり、1機を廃炉にするだけでも数百億はかかるとのこと。


でもその前に、現在作業員たちが懸命の作業で挑んでいる、原子力を冷やすための注水が成功すること。


そして、数ヶ月はかかると言われている放射能漏れの封じ込めが1日も早くうまくいくことを願うのみですね……。


◆被災地に残る被災者と、被災地を離れる被災者、どちらも苦渋の選択には違いありません…


大震災が発生してから1ヶ月を迎えたことで、被災者の方も、被災地の避難所に残る方もいれば、被災地を離れ、都道府県外に移動された方もおられるなど、被災者によって選択が分かれることになりました。


中には、2011年3月31日に55年の歴史に幕を閉じ、6月に閉館が決定している東京の「グランドプリンスホテル赤坂(以下、赤坂プリンスホテル)」が、福島第一原発の影響で避難し、被災者の避難所として提供され、4月9日から受け入れを開始したことがニュースで報じられ、話題となりました。


都内に3カ所ある一時避難施設の利用者のほか、1回目の都営住宅の抽選に漏れた福島県からの避難者を対象に選ばれたそうです。


これを知って、私は一度もないけれど、かつて赤坂プリンスホテルに宿泊費を払って宿泊した方は「毎日あの部屋に泊まれるなんてうらやましい」と思われた方もおられるのではないでしょうか?


かたや、学校の体育館や教室、あるいは公共施設のホールが避難所で、かたや、赤坂プリンスホテルが避難所…。


同じ避難所でも、この差はかなりのものがあります。


けれど、赤坂プリンスホテルが避難所として使えるのは6月30日までなので、たとえいい部屋に泊まれる被災者であっても、心中は穏やかではないはずでしょうね。


それでも、被災地の避難所に残ると決めた被災者も、県外に避難することを決めた被災者も、どちらも苦渋の選択だったには違いありません。


理想としては、いまでも被災地の避難所で生活している15万人近くの被災者の方すべてが、一時的にも、比較的ライフラインが充実している都道府県外(特に西日本)に移って、小さくても住居のある生活をしていただくのが望ましいと、私は思っています。


しかしながら、仕事の都合で離れるに離れられない方や、この土地に生まれたんだから、どんなに不便でも被災地で生きていくと決めている方もおられるみたいなので、生まれた土地を離れることは、被災者によってはそう簡単なことではないみたいですね。


◆本格復興までに、まずは仮設住宅の建設とともに仮設店舗を含めた「仮設市街地」という考え方


そして、大震災が発生してから1ヶ月たったことで、岩手県の陸前高田市では、ついに仮設住宅の入居が始まったという話題がニュースで報じられていました。


その仮設住宅ですが、


・「災害救助法に基づき自治体が建てるもの」と「個人一般が建てるもの(自力仮設住宅)」


・その立地場所から「市街地型」と「郊外型」


と、大きく2つのタイプに分かれるとのこと。


今回は大震災による大津波の影響でほとんどの家が流されてしまったため、災害救助法に基づき自治体が建てる郊外型の仮設住宅となりそうですね。


ところで仮設住宅については、本格復興までの間の中間経由基地となる暫定的な生活の場として「仮設市街地」という考え方があります。


これは、仮設住宅だけを建設するのではなく仮設店舗なども含めた住宅を「仮設市街地」とするもの。


いわば、仮設住宅内にお店がある、住宅のような商店街といった感じなのかもしれません。


しかしながら、仮設住宅や仮設店舗を立てて仮設市街地にするにしても、とにかくまずは、1ヶ月たってもまだ復旧していないところが多い、電気、ガス、水道のライフラインの復旧が先であることは言うまでもありません。


ということで、復興には最低でも10年はかかるといわれていますが、被災地の一日も早い復興を、ブロガーの一人として、あらためて心よりお祈り申し上げます。