季節の変わり目は、気候の変化が激しいですね。
いつもと違う行動をすると、顕著に身体が反応します。
なるべくゆとりを持ったスケジュールを心がけて過ごしたいものです。
インフルエンザも流行っているので、体調管理には気をつけましょう。
さて、今日のトピックは「優先順位」です。
昨夜は久しぶりにマツダミヒロさんが新潟でセミナーをされるということで、
ごあいさつかたがた、参加させていただきました。
一昨年ぶりにも関わらず、マツダさんは快く迎えて下さり、あっという間に「魔法の質問ワールド」に巻き込まれていきました。
あの、独特なリラックス感がすごくいいんですよね。どんどん楽しくなっていきます。
そしてマツダさんが大切にしておられる
「シャンパンタワーの法則」
のお話しを今回も聴かせていただきました。
パーティーや結婚披露宴などで時折見掛ける、シャンパンタワー。
あのグラスの塔の一番上を自分自身、二段目を家族、三段目を友人知人…という風に見立てて、シャンパンを行き渡らせるには自分から満たしていかなければいけない、というメタファーです。
しかし多くの人は、気がつくと自分以外の何処かにシャンパンを注いでいることが多い。
今回もそれを見直すことが出来ました。
わたくし自身のグラスのイメージは、現在、満タンの80%のイメージ。
家族や友人からはたくさんいただいていますが、自分自身があと20%分はセルフケアしてやらないと。
優先順位を誤ることなく、幸せな人生を送っていける習慣を身に付けたいと思いました。
さて、あなたはどのグラスから満たしていますか?
起きがけにiPadで天気予報を見てみると、今日の最高気温は9度!
もう冬とは呼べない時期になりましたね。
まだしばらく気温の差は大きい時期かと思いますが、いよいよ花の楽しめる季節がやってきます。
四季のはっきりしている日本は、本当に恵まれているなあ、と思います。
さて、今日のトピックは「日本人が忘れてはならないもの」です。
何だか大袈裟な話のようですが、それはわたくしたちが普段ほとんど意識していないことがあります。
それは「万物に神が宿る」という思想なんです。
昨年、「トイレの神様」という歌が爆発的にヒットしたことで、改めて日本人にはそういう思想が生きているのだなあと思わされました。
万物に畏敬の念を感じているうちは、人類は自然から拒まれることはないと思います。
しかし20世紀の世界の大勢は「唯物論者」に傾いていました。
これが物質主義偏重となり、人間は多くの種を地球から滅亡させるという愚挙を繰り返しています。
このままでは、遠くない将来、人間自身が自然からレッドカードを突きつけられる日が来ることは想像に難くありません。
それを未然に防ぐのは、「万物に神が宿る」という思想だと思います。
ネイティブ・アメリカンにも同じ思想がありました。
その昔はヨーロッパ人にも似た思想があり、今でも一部の人達は妖精の存在を信じているようです。
自然を人間の上に置き、謙虚さと感謝を忘れずに生きるうちは、まだこの文明は続くでしょう。
それを心から伝えるのが、これからの日本人の大きな役割のひとつではないでしょうか。
もう冬とは呼べない時期になりましたね。
まだしばらく気温の差は大きい時期かと思いますが、いよいよ花の楽しめる季節がやってきます。
四季のはっきりしている日本は、本当に恵まれているなあ、と思います。
さて、今日のトピックは「日本人が忘れてはならないもの」です。
何だか大袈裟な話のようですが、それはわたくしたちが普段ほとんど意識していないことがあります。
それは「万物に神が宿る」という思想なんです。
昨年、「トイレの神様」という歌が爆発的にヒットしたことで、改めて日本人にはそういう思想が生きているのだなあと思わされました。
万物に畏敬の念を感じているうちは、人類は自然から拒まれることはないと思います。
しかし20世紀の世界の大勢は「唯物論者」に傾いていました。
これが物質主義偏重となり、人間は多くの種を地球から滅亡させるという愚挙を繰り返しています。
このままでは、遠くない将来、人間自身が自然からレッドカードを突きつけられる日が来ることは想像に難くありません。
それを未然に防ぐのは、「万物に神が宿る」という思想だと思います。
ネイティブ・アメリカンにも同じ思想がありました。
その昔はヨーロッパ人にも似た思想があり、今でも一部の人達は妖精の存在を信じているようです。
自然を人間の上に置き、謙虚さと感謝を忘れずに生きるうちは、まだこの文明は続くでしょう。
それを心から伝えるのが、これからの日本人の大きな役割のひとつではないでしょうか。
日陰にわずかに残った残雪。
日なたはすっかり春の日差しです。
気温はまだ肌寒いですが、日差しの力は確実に増している。
日一日と、季節が動いていることを実感した朝でした。
さて、今日のトピックは「感情に寄り添う」です。
どなたにでも経験のあることかとは思いますが、時折、理由もなく気力が湧かない日があります。
一日くらいならどうということはないのですが、そんな状態が数日続くと、仕事や生活に多少の支障を来す時もあります。
もちろん自分自身でも、何とかリセットしようとするのですが、大抵そううまくは行かないことが多いものです。
自分のことを棚に上げて、身近な仲間がそんな状態になると、良かれと思って叱咤激励していた時期がありました。
ところが数年前に、ベストセラー作家の本田健さんのセミナーの映像を見る機会があり、そこで健さんは」人間関係の力学」というお話しをされていました。
要点だけご紹介すると、
「人間関係におけるエネルギーの流れは、シーソーのようなものである」
と表現することが出来るかも知れません。(厳密ではないので、その点ご容赦下さい!)
基本的には、
「自分が近づけば、相手はバランスを取ろうとして離れる」
「自分が引けば、相手はバランスを取ろうとして近づく」
という考え方が近いと思います。
例えば、
「自信を失っている人を、おもいっきり励ますと、相手はより引いてしまう場合がある」
ということです。(もちろんすべての場合ではありませんが…)
ではそういった場合、どのように接することが、よりベターなのでしょうか。
その映像の中で健さんは、
「センターに寄る」
という表現をされていました。
つまり、「シーソーの真ん中に寄る」ということです。
自分が真ん中に寄れば、シーソーのバランスを取るためには、相手も真ん中に寄らざるをえない、という訳です。
では実際にはどのように行動することを「センターに寄る」というのでしょうか。
わたくしもしばらくの間はピンと来ませんでしたが、しかしある時に気づいたことがありました。
それは「感情に寄り添う」ということです。
ずいぶん以前の事になりますが、仕事上のことで人間関係にトラブルを抱えていたわたくしは、ひとりきりで定期的なミーティングを開催していました。
トラブルが起こる前は、かなり賑やかな時もあったので、その時は寂しい限りでした。
ところがひとりの友人が、わたくしの気持ちを察してかどうか、必ずそこに現れて一緒に時間を過ごしてくれるようになりました。
その友人はもともとそう口数の多い方ではなかったので、二人で居ても沈黙の流れる時間が多かったように記憶しています。
しかしわたくしは少しずつ精神的な安定を取り戻していき、トラブルも解決に向かい、仕事にも活気が戻ってきました。
あとで気づいたのですが、もしあそこで彼がわたくしを励まそうとしていたら、わたくしはどんな気持ちになったでしょうか。もしかしたら、シーソーの反対側へ思い切り遠ざかっていたかも知れません。
ところが彼は、何も言わず、元気をなくしているそのままのわたくしに黙って付き合っていてくれたのです。それはしみじみ有難いことだと感じられました。
彼は物理的にはほとんど何もしませんでした。ただうちに来て、わたくしと一緒にすごしれくれただけです。
しかしそれはわたくしの「感情に寄り添う」という行為だったのだと、しばらくして気づきました。
アクションも言葉もほとんど不要でした。
しかしわたくしが感じたのは、「絶対的な肯定感」でした。
それがわたくしを立ち直らせてくれたのです。
もちろん万人にこの方法が適切かどうかは分かりません。
積極的に励まして、手を引き、外に連れ出した方がよい人も居ると思います。
しかし「感情に寄り添う」ことで、救われる人がいるということを身を持って理解した、貴重な経験でした。いまでも友人に感謝しています。
日なたはすっかり春の日差しです。
気温はまだ肌寒いですが、日差しの力は確実に増している。
日一日と、季節が動いていることを実感した朝でした。
さて、今日のトピックは「感情に寄り添う」です。
どなたにでも経験のあることかとは思いますが、時折、理由もなく気力が湧かない日があります。
一日くらいならどうということはないのですが、そんな状態が数日続くと、仕事や生活に多少の支障を来す時もあります。
もちろん自分自身でも、何とかリセットしようとするのですが、大抵そううまくは行かないことが多いものです。
自分のことを棚に上げて、身近な仲間がそんな状態になると、良かれと思って叱咤激励していた時期がありました。
ところが数年前に、ベストセラー作家の本田健さんのセミナーの映像を見る機会があり、そこで健さんは」人間関係の力学」というお話しをされていました。
要点だけご紹介すると、
「人間関係におけるエネルギーの流れは、シーソーのようなものである」
と表現することが出来るかも知れません。(厳密ではないので、その点ご容赦下さい!)
基本的には、
「自分が近づけば、相手はバランスを取ろうとして離れる」
「自分が引けば、相手はバランスを取ろうとして近づく」
という考え方が近いと思います。
例えば、
「自信を失っている人を、おもいっきり励ますと、相手はより引いてしまう場合がある」
ということです。(もちろんすべての場合ではありませんが…)
ではそういった場合、どのように接することが、よりベターなのでしょうか。
その映像の中で健さんは、
「センターに寄る」
という表現をされていました。
つまり、「シーソーの真ん中に寄る」ということです。
自分が真ん中に寄れば、シーソーのバランスを取るためには、相手も真ん中に寄らざるをえない、という訳です。
では実際にはどのように行動することを「センターに寄る」というのでしょうか。
わたくしもしばらくの間はピンと来ませんでしたが、しかしある時に気づいたことがありました。
それは「感情に寄り添う」ということです。
ずいぶん以前の事になりますが、仕事上のことで人間関係にトラブルを抱えていたわたくしは、ひとりきりで定期的なミーティングを開催していました。
トラブルが起こる前は、かなり賑やかな時もあったので、その時は寂しい限りでした。
ところがひとりの友人が、わたくしの気持ちを察してかどうか、必ずそこに現れて一緒に時間を過ごしてくれるようになりました。
その友人はもともとそう口数の多い方ではなかったので、二人で居ても沈黙の流れる時間が多かったように記憶しています。
しかしわたくしは少しずつ精神的な安定を取り戻していき、トラブルも解決に向かい、仕事にも活気が戻ってきました。
あとで気づいたのですが、もしあそこで彼がわたくしを励まそうとしていたら、わたくしはどんな気持ちになったでしょうか。もしかしたら、シーソーの反対側へ思い切り遠ざかっていたかも知れません。
ところが彼は、何も言わず、元気をなくしているそのままのわたくしに黙って付き合っていてくれたのです。それはしみじみ有難いことだと感じられました。
彼は物理的にはほとんど何もしませんでした。ただうちに来て、わたくしと一緒にすごしれくれただけです。
しかしそれはわたくしの「感情に寄り添う」という行為だったのだと、しばらくして気づきました。
アクションも言葉もほとんど不要でした。
しかしわたくしが感じたのは、「絶対的な肯定感」でした。
それがわたくしを立ち直らせてくれたのです。
もちろん万人にこの方法が適切かどうかは分かりません。
積極的に励まして、手を引き、外に連れ出した方がよい人も居ると思います。
しかし「感情に寄り添う」ことで、救われる人がいるということを身を持って理解した、貴重な経験でした。いまでも友人に感謝しています。