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【最強ビジネスモデル】視点と立ち位置。

 【最強ビジネスモデル】  2013.05.01 No.0610
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まさに社会の縮図!
と思えた、あるメールングリストでのやり取り。

AさんもBさんも
よく知っている友人なのだが
この二人のやり取りが
あまりにも「チクハグ」していてる。
そして、似たようなことが社会に溢れている。
それで、これが社会一般的に多い会話の代表例として
ご紹介。(あまりに長文なので概要のみ)

Aさん(1)
 「Bさんは理論屋さんで屁理屈。
  それはお母さんに甘える自分の息子と同じだ」

Bさん(2)
 「それを甘えと決め付けられては息子さんも辛かろう。
  こんな事があった(自分の保育園での実話例文)
  また、こういう例もある。甘え云々ではなく、
  ただ客観的に状況を説明しているだけ」

Aさん(3)
 「論破したい気持ちも分かる。
  お母さん聞いて聞いて~。それも甘えよね」

ここで、私が登場(4)
 「いやぁ、自分の視点から決して離れないと
  こうも、ちぐはぐして、他人事だと面白~い。
  視点と立ち位置を自由に変える事が出来たら
  発展性があって面白いんだけどね」

Aさん(5)
 「何かを感じてくれてありがとう♪
  人を通して(鏡)感じるのは、自分の姿だから…」

Bさん(6)
 「意見を自由に言い合える為には幾つかの条件があって、
  お互いが自分の枠を意識しつつも、愛手の枠組みにも
  興味関心を持つ。

  自分のフィルタを通して見た世界が全てでないことを
  意識化しつつ話してみる。

  そして重要なのが感情論に走らない。

  言語コミュニケーションの一つの特徴は
  客観性と論理性。

  ここに感情論を持ち込むとややこしい。

  何故か。

  感情は主観の世界だから。
  そして、主観の世界は、
  人それぞれのフィルタを通った後の話。

  残念なことにお互いが
  どんなフィルタを持っているかが
  分からない点も話をより複雑化してしまう。

  このフィルタを一旦脇に置いて
  森を見ようと思った時、
  初めて対話が成立する。

  とまあ、原理的にはそんな感じ。

  そして、論理性を欠いた話の時に
  往々にして起こるのが、価値観の押し付け
  なのだけれど、当人は全く気付いていない点が
  何とも対処しづらい点でもある」

Aさん(7)
 「私、とことんBさんに叩かれたんだね。
  ビジネスならいいけど
  私は仕事柄、感情に寄り添うのが仕事だから。
  だから幸せ~」

Bさん(8)
 「叩いてないって・・・。
  役割の話でシーンの話ではなかったんだよね。

  ビジネスシーンでも感情のコミュニケーションは
  重要な役割を果たしているので、シーンで
  縦割りにしてしまうとちょいとややこしい。

  何て言うかなぁ~。
  メラビアンの法則で非言語コミュニケーションが
  93%ってよく言われているけれど、
  言語の司っている部分が論理性や客観性。

  非言語の部分にたぁ~っぷり感情表現が
  含まれているとそういうこと。

  だから、言語コミュニケーションの領域に
  感情論を持ち込むとややこしくなる。

  ここで更に説明が難しいのが、
  感情論を持ち込まないけれど
  感情表現は出来るという点」

永遠に続く・・・(笑)。

Aさんは、Aさんの視点と立ち位置から見える
世界だけで全てを判断してメールを書いている。

一方、
Bさんは、自分の視点だけではなく
Aさんの視点も、他の視点も俯瞰した視点と
立ち位置から理論的にメールを書いている。

いや~、社会では、あまりに多いので
どんな対応をしたら良いか常々考えていた。
そのアイデアを考えるのに
私にとって、非常に良い題材となった。

(1)
まず社会の代表(笑)、Aさんは
大前提を決め付けている。

「Bさんの行動は甘えから来ている」

この大前提こそが全く違うのだ。

しかも、その大前提がBさん自身のことなので難しい。
Bさんの事はBさんにしか分からない。
他の誰にも決め付けられる問題ではないにも関わらず
そのBさんを決め付けている所から
大前提が始まっている。

これは社会では非常によくある例。

大前提が違う。
その大前提から発する言葉でやり取りするから
どんどん歪んで行くし、言葉に反応していって
まったく別の、誰の、何の話を
しているか分からなくなって行く(爆)。

子どもの頃から、この現象に常に辟易していた私は
まさに、このやりとりが社会の縮図と見えた。

また、BさんはAさんの息子ではないのに
自分の息子と同一視している。

これも、よくあるパターン。
共通点が多いと同じだと決め付ける(爆)。

(2)
実例を多様して
論理的に説明しているが、
(長くてご紹介できないのが残念)
その論理が、すべて(3)のように
むなしく大前提に結びついて「甘え」と
捉えられてしまう。
ここまで来たら、もうお笑いの世界。

(4)
全く関係のない第3者の見え方を伝えてみた。
よくいう「新しい風を入れる?」

(5)
内容には全く触れずに、
相手に見えるは自分の事よ、と。
自分を何かから守っているのか、
何かに抵抗している感じ?
新しい風・・・虚しく惨敗(笑)。

(6)
インタラクティブに会話をする為の
説明を論理的に。

(7)
何故か、被害者に。
そして、自分の感情の正当化?

(8)
色々な事が団子になっていると
見えないから、その団子を分けて考えたらどうだろう
という提案。

ここまで↑

自分の視点から絶対に離れない人は
意外と多い。
このAさんは、まだかわいいほう。

会議で
たった一人でも、自分視点のみという人がいると
時間は取られる、ゴールには向かえないで
大変な事になる。

「その事は充分に理解しているから大丈夫。
 今、その先に進みたいので」

と最終的には、その人を外すしか
先に進めないというほど、時間だけを食っていく(爆)。

しかし、本人だけは全く気付かず。
何をどう説明しようとも
自分視点を離れない。

女子会なら、
次々に話が変化していこうとも
言葉に反応して別の話題にいこうとも問題はない。
結論を出すとかアイデアを膨らますなど
しなくてもいいのが女子会で、
ただ言いたい事が言えれば幸せなのだから。
これがインタラクティブな会話となると
単に単語に反応するだけでは、成り立たなくなる。

・・・という理由で私には女子会が退屈で
とても苦手だ(爆)。

どうして、
自分視点から決して離れず
自分を守ったり相手を攻撃したり
卑下してみたり、何かを教えたがるという
変なコミュニケーションが多いのか。

それは
そういう社会で育っているから。

普通に、当たり前に
インタラクティブに気持ちのよい
コミュニケーションが多い中で育てば
インタラクティブな会話が「当たり前」になる。

周りが日本語を話していれば普通に日本語を話したり
英語を話していれば、普通に英語を話すのに似ている。

自分の意見をしっかり言い
人が何を伝えようとしているか
しっかり聴き、疑問点は質問する。
お互いに分かり合う、
自分も人も尊重しあうコミュニケーションを
増やしていきたいと切に願い試行錯誤している。

自分視点から離れない。
大前提を決め付けている。

これが社会の縮図であるとしたら
感性が高い子どもたちには、ちゃんちゃら
やってられない辛い時代だとも言える(爆)。

視点と立ち位置を自由に移動して
インタラクティブに触発し合い
進化成長していく社会にしていけたら。

いや、その前に我々経営者が、
社員に対して、大前提を決め付けていないか
自分視点だけで話していないか
チェックするところから・・・(笑)。

___________________________
■今日のまとめ

・視点と立ち位置を自由に移動して
 インタラクティブに触発し合い
 進化成長していこう。

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【最強ビジネスモデル】与えて与える。

 【最強ビジネスモデル】  2013.04.30 No.0609
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先週の記事「開拓すると言う事」

http://profile.ne.jp/w/c-108395/

に、ご本人さまからコメントを頂きました。

その内容が、
まさに実践者の言葉だなぁと
私にとって、とても深く共感でき、
感じるものがありましたので、
みなさまにシェア。

ここから↓

本人です。
殺して生かす、殺して生かすと呪文のように
唱えながら開拓しています。
自分では全く華道などやったことがありませんが、
何を切って何を生かすのかというのが、
華道(生け花)の本質であり、
武士の世界だったのではなどと思います。
大学時代に熱帯雨林の開発の勉強をやって、
あたかも開発がカタキのような気がしていましたが、
すでに開拓が終わったものを含めて、
それをしなければ現在の人間は生きていけません。
殺して生かすではなく、
与えて与えるの次元を感じたいです。

ここまで↑

様々な事を
この文章から感じました。
それを言語化してしまうと
それぞれに感じた貴重な感覚を邪魔してしまうのでは
と感じているので
今日は、敢えて言語化は避けようと思います。
深く感じて頂ければ。

ただ、それとは別に触発されて
日頃から常々感じていることが出て来たので
それを表現してみます。
私個人の感覚なので、正しい間違っているという
観点は外して読んで頂ければ幸いです。

 人間は、ただ生きているだけで
 地球を汚している生き物だということ。

 それでも地球や大自然は
 私たちを無条件で許し癒し続けている。

 なのに、
 更に癒しを必要としたり
 更に汚す事を考えたりしている。

 その事に意識的でありたい。

 また、愚かにも
 その同じ人間同士で善悪分かれて
 争ったりしている。

 地球や大自然が分け隔てなく、
 我々人間に与えてくれている
 事から人間が学び、
 同じような器で生きる事を
 選択して生きることにチャレンジし続けよう。

与えて与える。

この言葉を表層で捉える事なく
深く感じて頂けたら嬉しい。

___________________________
■今日のまとめ

・現場からの生の思いを読んで
 それについての誰かの説明ではなく、
 その行間から
 自分が深く感じる事が自分にとっての答え。

・与えて与える。

・この言葉を表層で捉える事なく
 深く感じて頂けたら嬉しい。

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【最強ビジネスモデル】ゲームやらない。

 【最強ビジネスモデル】  2013.04.26 No.0608
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DSなどのゲームを
30分とか1時間とか時間を決めて
子どもに持たせている家庭が多いだろう。

DSやTVは
考えているつもりになるだけで
何も考えなくても楽しめるので
脳の事を考えたら、そりゃ怖い(爆)。

私はTVもゲームも興味がないが、
20年くらい前に「テトリス」というゲームを
したことがある。

もともとゲームが嫌いなので
他の人よりは、ほとんどしていない程だったが
電車の中でテトリスをした後
窓の外を眺めると
ビルを見ても、何を見ても
テトリスのように感じたことがある。

そのくらい
影響が大きいということを
実は、身をもって体感している。

しかし、
性格も体質も違う、別の人間である息子に
自分の感覚を押し付けるのは嫌なので
息子のやりたい事は、やらせていた。

勿論、私の考えは
「私は、こう考えるよ」という事は伝えつつ。

息子はゲーム好き、TV好きだ。

その息子が・・・

今回の沖縄で
ガジュマルの木登りや
海辺でカニを捕まえるなどの体験が
ゲームよりも(当たり前だけれども)
ずっと楽しいと言う事が分かったらしい。

自然の中にいると
ゲームをやらない。

こっちの方が楽しいという。

自然から分離している都会では
退屈だから
ゲームにハマるのだなー、と見えた。

私が常々
息子に伝えている事は、

「ゲームの中では、どんなにアイテムやお金を貯めても
 どんなにステージをクリアしても、
 自分には何も影響しない。
 バーチャルな世界は自分には影響しない。

 お母さんは、人生DSをしているんだよ。
 やってる事は、あなたと同じ。DSなんだー。
 でも、人生でDSをすれば
 英語を一生懸命やれば、
 英語が話せるようになるという
 アイテムを一つ手に入れられて
 それは、現実に自分のものになるし
 ステージをひとつクリアしたら
 それも現実の自分の事なんだよ。

 だから、お母さんはDSには興味がないけれど
 やってる事はDSと同じで、
 バーチャルか人生かの違いなんだよ」

という事だ。

今回の沖縄で、
それを「体感」出来たようだ。

伝えている時は、ただ

「そうなんだー。
 俺はDS、お母さんは人生DSなんだねー」

などと返事していた、その息子が
自分から

「俺、もうゲームはやらない。
 見るとやりたくなるから、預かっていて!」

と言い出した。

ほんの少しも規制せず自由にやらせていたのに。
いや、だからこそ・・・かもしれない。

誰でも、
面白い事がしたい。

DSよりも面白い事があれば
自然に手放せる。

今回は「自然体験」などと俗にいう体験ではなく
(ある意味「自然体験」は都会の人が楽しめるように
 意図して創られた安全な遊び)
生きる原点や
人との居心地のいいコミュニケーションを
直に感じる事が出来た旅だったから。

  余談だが、私自身の人生も
  子どもの頃から対極を感じる運命にある。

  私は本当に数奇な面白い運命で、
  例えば、
  10代の頃、
  フロなし小さなアパート暮らしなのに
  なぜか自然と流れで、
  マスコミ禁止のセレブなリゾートに
  数週間過ごし、
  そこでのコミュニティを満喫したりなど
  「たとえば」はキリがない。

  ほとんどの人が似たような環境しか知らない中
  色々な世界に足を突っ込み
  とても巾が広い人脈を構築できている。

  まだまだ知らない世界は多い。
  常識なんて池が変われば180度変わる。

  だから、これからも、
  知らない世界に身を委ねて行く事が楽しみだ。

  だから、年を重ねるのが大好きなのだ。

  だから人生DSが面白くてたまらない。

___________________________
■今日のまとめ

・DSよりも面白い事があれば
 自然に手放す。

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【最強ビジネスモデル】開拓するという事。

 【最強ビジネスモデル】  2013.04.25 No.0607
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沖縄での話。
友人の子ども園を訪ねた時に

「旦那さん、どこにいるの?」

と訊くと、

「この奥で畑を作ってるよ」

と。

それで、森の奥深く歩いて行くと・・・。

なんと!

鬱蒼とした自然の森の木を伐り、
森の一部にぽっかり空間が空いていた・・・。
その空間の地面は、まだまだ伐採した木や枝葉や、
とても畑にならないのではないかと思われる土の山々。

ユンボに乗っていた旦那さんが
挨拶しに来てくれた。

「いやぁ~、ずっと手作業でやってたんだけど
 ユンボ借りたら、10倍だよー。わははは」

畑を作っていると聞いたので
当然、私は
真っ平らな土地に鍬か何かで畑を作っている
場面を想像したのだ。

しかし。

・・・確かに畑を作っていた(爆)。

私が生まれた時には
もう、当たり前に道路もビルもあって
電車も地下鉄もあって
畑や田んぼは見た事もなく
野菜や魚はスーパーで買うのが当たり前だった。

私の息子が生まれた時には、
当たり前に携帯電話もインターネットも
ある感覚と同じだ。

だから、畑と言えば
もう土の地面があるのが当たり前の感覚だった。

畑を作るのに
森の木を伐採する所からなんて想像できなかった。

 開拓する、とは
 まさにこういう事なんだ。

旦那さんは

「命を殺して
 次の命に使わせてもらう」

木を伐る度に
言葉にならない感覚があるという。

また、
深い森の中で一人、毎日淡々と
開拓している中で

このチェーンソーが勢い余って
自分の首を切るのではないか。

木が倒れて頭を打つのではないか。

と、まさに命がけで開拓していた。

出来上がったものを、ただ使うと
そういう、命の感覚が全くない。

都会でも、よく感謝、感謝というけれど
その感謝の意味や深さが違う気がした。

私自身、
全く無一文で幼子抱えながら
何もないどころか
マイナスだらけのところから
都会で人生を開拓して来た。

どんなにマイナスと言ったって
動く身体や、考える頭は持っている。
本当は、とても豊かな資源を多く持っている。

都会で何もない、というと
お金や物質のことで、
確かに、本当に、
都会で、それらがないと死んでしまう。

そのような環境から
模索しながら開拓して来たので
場所や環境は違えど共通点は多い。

が。

自然と繋がっていない暮らしは
所詮・・・
人間が創り出した箱の中で、
もがいたりイキがっているだけの事。

開拓の原点を見せ付けられて
感じる事が非常に多かった。

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■今日のまとめ

・何もない、と言っても命がある。
 動く身体と考える頭がある。
 そもそも、生きているだけで
 人間は豊かな生き物なのだ。

・その上で開拓するとは
 地球の豊かさを使わせて頂く事。
 命を殺して、次の命に使わせて頂く事。

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【最強ビジネスモデル】ノビノビの本来の姿。

 【最強ビジネスモデル】  2013.04.24 No.0606
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今回の訪沖では
友人の子ども園で過ごさせて頂いた。

最初の子ども園は大自然の森の中。
遠くに海が見え、
子どもたちが望めば車で海にもよく行くと言う。

芝生や大きな石、土や砂利、池など
割と過酷な大地を
みんな裸足で駆け回っていた。

2歳~5歳の子どもたちが
大自然の森や海を
思うまま自由に探究し創造していた。

不安定な石を裸足で見事に超えて行く姿。
そこで転んで痛い思いもするのだが
その過程を経て、どんどんたくましくなる。

その環境を見守る大人は
小さなフィールドで安全に見守っているのとは違い
想像以上に手間暇かかるし、
神経も尋常じゃなく使う。

そして、勿論、その中で
自分自身も一緒に楽しんでいる。

別の友人の子ども園では
地域は都会に近いが
その子ども園の場所は森に囲まれ
海が見える素敵な場所。

同じように
裸ん坊でどろんこ遊びを堪能し
裸足で駆け回っていた。

2歳の子でも、
自分たちの昼ご飯を一緒に創る。

包丁で人参を切ったり
マッチを擦るのもとてもうまい。

勿論大人がついている時というお約束。

自分たちで切った野菜を良く食べると言う。
スープやおかずを、
「自分が食べられる分だけよそろうね」
と、小さな子たちがよそって席に着く。

  息子が通っていた都会の保育園は
  年長さんであっても
  先生たちが全部、配膳していた。
  ごはんの次はお昼寝。
  時間優先で、まるでベルトコンベアー。

   勿論、いい先生方が多く熱心でもある。
   だからこそ、難しい。
   
   保育士をしている時も
   息子が保育園に通っている時も
   別の星にポンと来て、違和感だらけ
   という感覚だった。

   他の世界を全く知らないのに、
   持ち続け、探究し続けたこの感性が
   不思議だったが、今は役割なのだと思っている。

   保育園をやると言うのではなく
   分離から融合という次の時代を創るのが
   私の役割。

   余談だが、その次の時代を創っても
   また、同じように壊される。
   それがいいと思っている、と言う事は
   また来週あたり書こうと思っている。

どちらの園も共通するのが
子どもの感覚や感性をとても大事にしていること。

「時間だから」
「ルールだから」

という感覚はほとんどない。

子どもたちは
2歳でも
自分の意見をしっかり話し、
異年齢の中で楽しく過ごしていた。

そう言った環境と言う部分の他に、
もう一つ、大きな共通点は、
叱る場面が必要ない、という事。

友人の子ども園や、出会ったお母さん方は
当たり前に、全く叱らない。

叱るという意味は、
厳しく言う、怒るなどの意味だ。

1歳でも2歳でも
普通に言って伝えている。

常々、私は
「叱る」事が必要ないと感じていたが
その感覚は、ことごとく否定されていた(笑)。

誰かに何か大事な事を伝えるのに
叱るというやり方を大人がしていれば
子どもも、同じように叱る口調で話すだろう。

そうではなく、
ただ、普通に言えばいいのではないか
と感じていた。

「それで分からない時はどうするんだ。
 叱る事も必要だ」

などと言われもするが
それは、言葉が足りないなどの表現力や
そもそも、人目を気にするなどの上辺の事や
自分の感情論だったりするのではないか。

だけど、
大事な事を伝える時には
普通に(真剣に)淡々と、
ただ、話して伝えたらいいのだと思う。

大人が叱ったり怒ったりすると
空気が殺伐とするし
それを学んで子どもたちも殺伐とする。

私が、それが嫌だと言うと、

「何、言ってんだ!
 そんな事言ったら社会でやって行けない。
 こんなの、まだ甘い方だっ」

などと言われ続けて来たが
その私の感性を、見事に(普通に)実践している場に
出会えば、やはり、穏やかで楽しい方が断然良い。

子どもたちも、その大人を見て
自分の考えや意見を恐怖や不安を感じる事なく
普通に(私から見ればノビノビ)表現している。

自然のフィールドで思う存分
大人も子どもも楽しんでいる。

不安や恐怖で伝えるのではなく
大人も自分の意見や考えを普通に伝え、
子どもも、自分の意見や考えを普通に伝えている。

赤ちゃんからお年寄りまでの
異年齢の人たちが
自分をしっかり表現しながら
相手も尊重しあい
楽しく穏やかに過ごし、
大切な話も感情論ではなく淡々と伝え合っている場。

それは、ずっと理想論と言われ続けて来たし
私自身がとても殺伐とした中で育って来ていたので
試行錯誤の日々だったが
当たり前に実践している人たちがいるのだ。

___________________________
■今日のまとめ

・自然の豊かさと厳しさを体感し、自ずと感謝の心が
 育まれる環境で、自由に動き、自由に創造する。
 その中で、自分を表現し、相手を尊重する。
 それがノビノビの本来の姿。

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【最強ビジネスモデル】楯がいらない。

 【最強ビジネスモデル】  2013.04.23 No.0606
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そもそも全く違う価値観の池で
どんなに頑張って自分の感性を表現しても
非国民扱いか、凄い人扱い(爆)。

人はお互いに影響し合うが
どうしても大多数の影響が強い。
少数派は、少しずつ、大多数派に影響されて行く。

どうしても譲れない感性を
その中で持ち続けるのは
わりかし大変な事で。

一つの視点から、理論で
「こうだから、こうでしょう」
と、そもそも否定されたり誤解される。

かと言って
強く主張してカリスマになるのは、もっと違う。

(違う、というのは私の在り方として、という意味で
 それを選択する人は、その役割なのでいい。)

それでも持ち続けていれば
近い感性の人とは繋がって行くが
「私もそう思っていた」とか
「なんだ、それでいいんだ」と、
喜んでくれる人とは出会えても
同じ役割で「創造」していく人には
なかなか出会えず。

感性を持ち続ける為に
多くの「楯」が必要になる。

理想論だとか、哲学だとか言われ、
実践するにも、多くの歪みが生じて、
その中で保ち続けなければいけない。

たとえば、
(と、言葉にすると、
 また誤解されてしまいそうだが)

  私が今、とても幸せだから
  だから、子どもは、どんな環境だって
  全てを糧にして幸せになれる。
  そういう意味で私は子どもを信じている。
  誰でも、自分の役割を決めて生まれて来ているから。

  だから究極、
  親としてこういう環境で育てたいという願望はあるが
  そうでなくても構わない。

  自分の子どもの為に、
  というのではなく
  自分の役割として、次の時代の為に、
  創りたい「場」を創造したいだけ。

  自分や自分の家族云々ではない。
  自分たちも幸せでいるのは大前提だが
  目的は、それではない。
  表層のエゴではない部分。
  全体に繋がる究極のエゴと言う部分。

  また、
  地球も、勿論その中の
  土地や木や魚や・・・
  誰のものでもないのに
  なぜか人間が誰かのもの(所有)にして
  お金というルールで支配している。
  けれど、誰のものでもなく
  人間は使わせて頂いている
  共に、生きているという感覚で
  地球人の暮らしをして行きたい。

などの感性は
東京では、なかなか伝わらず「楯」がいるが
沖縄では、当たり前に淡々と実践している人と
繋がって行った。

楯がいる中で、そのエネルギーを使いながら
進むのではなく
楯がいらない「当たり前」の環境を求めて
エネルギーを役割に投入することが
場所を移動する事で出来る。

紆余曲折の末だが(笑)。

また、東京では
言葉だけ共感し合って
表面でそうだそうだと、納得し
生活に反映していないという場合も多々ある。

勿論、そんな中
深いところで繋がっている貴重な友人たちもいる。

そして、
そんな事は言語化すらせずに
当たり前に、ただ淡々と実践しているのが
私は好きだし、自分も
どの池にいても、そう在るだけだ。

そう在り実践していく中で
出会えた「楯」の要らない力が抜ける感覚が
とても幸せだ。

力が入った分だけ死角も増える。
力を抜いて、ただ、ただ、コツコツと。

自分の役割(それが本来の仕事と言うのだと思う)
を進んで行く。

___________________________
■今日のまとめ

・力が入った分だけ(楯が必要な分だけ)
 死角が増える。

・力を抜いて、ただ、ただ、コツコツと。
 自分の役割(仕事)を創造して行く。

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【最強ビジネスモデル】場所が変われば別の星。

 【最強ビジネスモデル】  2013.04.22 No.0605
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フリースクールとか、学校、などという名前が
ついていない、暮らしが土台、老若男女が対等に
お互いに学び合う(←結果的に)場を作ろうと
今回、また沖縄に行った。

それで、まず感じたのが
「場所が変われば、まるで別の星」
くらいの感覚の違い。
同じ日本なのに(笑)。

たとえば、
東京では、学校に子どもが行かないと
どうにかして学校に行かせようと頑張る親が多いが
沖縄では、最初から学校に行かせたくない親が多い。
(沖縄の中でも地域性があるが)

たとえば
東京では野菜など、買うのが常識だが
沖縄では、それぞれ畑で出来たものをシェアし合って
買わないのに、いろんな野菜が食卓に並ぶ。

たとえば、
東京では私の感覚や感性を発信すると
「楯」が必要。
それは理想論だとか、なんか宗教っぽい・・・
などに代表される反応に。
沖縄では、
それ、当たり前じゃん。という感覚で
当たり前に実践している。
「楯」がいらない感覚が力が抜けていい。

などなど、
例を挙げたらキリがない。

感性の合わない場所で戦うのではなく
合う場所で淡々と創造していけばいいじゃんと
思えた、今回の訪沖。

楯に費やすエネルギーを
本来のやるべき事に使えばいいと感じた。

自分の役割が全う出来る場所に
自ずと繋がって行く。

それは、
役割の為に、わざと過酷な場所かも知れないし
力を抜いて実践できる場所かも知れない。
そして、今までのどんな場所も
役割のためのプロセスである。

明日から、
先ほど例に挙げた「たとえば」の
詳細をご紹介♪

___________________________
■今日のまとめ

・場所が変われば別の星。
 同じ日本内であっても。

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【最強ビジネスモデル】ちぐはぐの一例。

 【最強ビジネスモデル】  2013.04.19 No.0604
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30代くらいの頃に感じていた事。

自分が営業職に就いたり、
営業の電話を受けたりするのは
とっても嫌だと思っている人たちが
なぜか、
「営業日本一」とか
「何億円売り上げたトップセールス」
などの本を好んで読んで
そういう本がベストセラーになる、
という矛盾。

その手のカリスマの講演会で感動までしている。

また、
マルチレベルマーケティングを
毛嫌いしている人が
その世界の成功者を会うと、
途端にハマったりする。

本当に不思議な現象だと
観察を続けた結果。

人に嫌われるのは絶対に嫌だけれど
お金は欲しい。
お金は欲しいけど
人からは、そう思われたくない。

という、
これは矛盾と言うよりは
非常に「ずるい」人たちの特徴では
と感じた。

そもそも、
本当に営業が嫌いな人は
営業で成功した人には興味がない筈。

そもそも、
本当にマルチレベルマーケティングが嫌いなら
そこで成功した人に興味がない筈。

  何度も言うが
  いい・悪いではなく
  ただ現象の検証でしかない。

  営業が大好きで結果を出している人は
  素晴らしいし、尊敬する。
  どんな道でも極めている人は
  本質の話が通じるもの。

  否定でもなく、正・悪でもない。
  念の為!

いい人を装う裏で、
欲望渦巻いているから
こういう矛盾やずるさが露呈し、
仕組みにハマる。

自分の中の矛盾や欠乏感が
仕掛ける人にとってはターゲットだ。
簡単に仕組みに組み込めるフックだから。

それなら
「めっちゃお金が欲しい!」とか
「どんな方法でも成功したい!」と
本音を言えば良いのに、といつも思う。

しかし、似たような人たちが集まると
バレる事はない。
外から見れば丸見えだけれども(爆)。

環境にいい、だとか
夢が叶うなどの、耳障りのいい言葉に
自分の本音すら、誤摩化して
結局は、うまく行かず、
その組織のせいにしている人は
割と多い。

そして、
このようなお金が欲しいのに、
綺麗事でハマる人は
大抵は、お金の使い道が明確ではなく
本当にお金そのものを欲しがっている。

そもそも、
この貨幣経済のルールでは
お金があれば自由度が増すのは確かだけれど
お金そのものは、ただのツールでしかなく
使い道が明確になって初めて価値があるというのに。

そして「使い道」というエゴは
贅沢や楽ではなく
お金をどんなに払ってでもしたい事というエゴ。

そういうものの為に必要なお金なのか
ただ、自分だけが得をしたいエゴなのかで
お金の価値も、だいぶ違って来るだろう。

この辺もごっちゃになっている人は多い。

そういう人(欠乏感・矛盾)が多ければ多い程
仕掛ける人が得をする。

  私から観たら
  どっちもどっち。

このように、一貫性から観ると
様々な事が見えて来る、という例は
いくらでも挙げられる。

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■今日のまとめ

・言動の一致。総合的な行動の一致。

・「Be」から生きている人は
 それらが、自然と無意識で一致しているが、
 そうでないと、
 それらは、自然と無意識でちぐはぐしている。

・しかし、似たような仲間間ではバレない(爆)。

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【最強ビジネスモデル】一貫性から観ると。

 【最強ビジネスモデル】  2013.04.18 No.0603
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昨日のメルマガで
「ある学校が運動会での順位をやめた、
 と言うのは、本末転倒というか滑稽」

と書いたので、
その部分を掘り下げる。

何故なら,競争で優劣を付けないと言いつつ,
成績表では優劣を付けているから。
それならテストもなくして
受験も皆合格。

これなら一貫性がある。

子どもの頃から感じていた違和感は
大抵は、この一貫性のなさ、
ちぐはぐ感。

しかし、
この、ちぐはぐ感に関して
誰も何も気付かないか、もしくは、
「社会とは、そういうもの」
とあきらめているかだ。

大人になって
一貫性のある人間に出会ったり、
自分自身が一貫性のある生き方をし始めて
出来ない事じゃ、無いじゃーん。
と、気付いた。

そして、ちぐはぐ感には
多くの答えが詰まっている。

多くの人には決して気付かれない
本当の目的や意図が見える。

たとえば、順位付け。
何の為に順位付けをしているのか?

これは,周りを巻き込むのにも有効性がある様に
感じられる。

国対抗や高校野球などの様な
地区対抗みたいなものは,
実際の選手以外でも同じ地域に住んでいるだけで
一体感を持って戦っている気分になれる。

けれども,実際は,選手以外は
特に試合に関しては何もしていない。

 余談だが、順位や表彰などがなくても
 頑張っているものとして
 一例を挙げれば冒険家がいる。

 周りで騒がずとも金メダルがなくても
 それが好きな人はチャレンジしている。
 たぶんこれが本来の姿だろう。

順位を付けなくなったらどうなるか。

まず困るのが,興行収益を当て込んだ人々。
オリンピックや○○大会は,その周辺で
沢山の人が動く。

人が動くところに仕掛けをすると
お金も動く。

それこそ、
短絡的な見方をすれば(笑)
お金儲けの道具になっているということ。

受験が無くならないのも,
その周辺でお金儲けが出来る仕組みが
あるからで,これがなくなったら
受験そのものがなくなるだろう。

学校に入る為の塾というお金儲けの仕組みが
なくなり,学校のブランドで給与に影響がなくなり,
と言う感じでその周辺でお金が動かなくなれば,
そこに群がる人達には何ら魅力がなくなるのだから。

このような仕組みは
あまりにも日常的に周りに多くある。

  またもや、余談だが、
  本来人間には,より早く走りたいという
  原始欲求があるだろうし,身体的にも
  知的にもより上を目指したいという
  向上心もある筈。

  それを外的な要因で左右するのは
  違うのではないかと私は思う。

  それがいいか悪いかと言うことではなく,
  本来の姿に戻ったら,よりその潜在力が
  発揮されるのではないかということに
  目を向けてもいいのではないかと言う
  一つの提案でもある。

と、言うように
一貫性から観ると
様々な歪みが見えて来る。

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■今日のまとめ

・「Be」から一貫性を持って行動すれば
 矛盾する方が難しい。

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【最強ビジネスモデル】順位付けについて。

 【最強ビジネスモデル】  2013.04.17 No.0602
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昨日、枠の中から見える視点ではない
別の、1つの視点から見える
世界を表現する事にチャレンジする。

と書いたので、
その事を説明する「例題」の為に、
一つカミングアウトすると、実は。

私はオリンピックに全く興味がない。
サッカーや野球にも。

オリンピックで金だ銀だと
日本中(いや、参加国中?)が
大騒ぎする中で、ただ、観察するしかない状況に。

  この状況は
  幼少の頃から、学校や社会の大人たちを
  観察し続けていた事と同じ。
  やっている事はいつも変わらない(笑)。

  余談だが
  中・高・社会人とバレーボール部だったので
  意外にも(笑)スポーツはして来ている。
  その中で、たった一つしか違わないのに
  先輩・後輩の差別が激しいとか
  勝つ為に頑張る事に違和感だとか
  いろんな事を感じてはいたが。

私は、順位や勝敗などで争わない方が
本来の力を発揮できると思っているが
だからといって、
ある学校が運動会での順位をやめた、
と言うのは、本末転倒というか滑稽だと感じている。

2元論思考だと、
ほぼ間違いなく、私の感覚は伝わらず
誤解されてしまうので
言語化が非常に難しいが、
何とか言語化してみよう。

実は私は、自分からはTVは見ない。
たまたま、ついていたとか、
一緒にいる人が見ている、
などで見る事はたまにある。

その、たまたまの状況で
立て続けに(期間は空いているが)
TVで観たのが。

高校生のチアリーディング部とかマーチング部の
大会を密着取材というもの。

部活内は、ほとんど戦国武士の意識だった。

負けると悔し泣きをする間もなく
「次、勝つ事を考えよう!」とリーダーの一喝。

プレッシャーに負けて力が出せない事も実力の内。
「本当に強いチームは、それをも克服している」
という世界観。

それを観て、
勝つ事にフォーカスすると
勝てる程には実力が出せるが
本来持っている力が出せないのでは
と感じたのだ。

  画面を見ると、つい、もらい泣きしてしまうので
  このように感じていると傍目には映らない事が
  何重にも誤解される要因でもある(笑)。

人間は、
「自分が表現したい世界」に関しては
妥協したくない部分を持ち合わせていると感じている。

それは、
素人から観たら、素晴らしい作品を
「まだ違う」と言って壊す
まるで芸術家や職人の世界に通じる。

これは、順位も人からの評価も関係ない
探究の世界だ。

大勢の素人から認められた金メダルより
本当に価値の分かる人と喜びを共有できる事が
嬉しいのではないか。

  言語化は非常にもどかしいが
  否定ではなく、いい・悪いでもなく
  ただ、感じていることを表現しているに過ぎない。

その一方で
このような「しくみ」は見えているか?
きっと多くの人は、全く無意識で
踊らされているのだ。

オリンピックによって
得られる「利益」。

オリンピックがなくなれば
どれだけの収益損失になるかという事実。
そういう、莫大な利益を得る人間が
仕掛けている仕組みの一部分なのだ。

先日、
車両の全ての広告が
オリンピックの東京招致のポスターだったが
それで、その気になる人もいる。

だけれども、なぜ東京で開催するのか
考えると、理由は・・・。

TVや新聞、社会の雰囲気
全てが、ある意図を持って洗脳している。
感性を鈍らせて、踊らせている。

たまたま、
3.11などの大きな事が起こると
途端に、マスコミは信じられないという人は
増えるが、オリンピックを観ても
何を観ても、その構造は変わらない。

順位付けが、いい・悪いという事が論点なのではなく
何の為に、という本来の「Be」の部分から
考えると、他に方法はあるのではないか。

そして、
ある視点から見ると
この順位付けが最高の方法になるが
本来の「Be」からすれば、
より、その為に楽しく発展性もある方法が
見付かる筈だ、と私は考えている。

枠の渦の中に入ると
この話は、
全く別の意味に誤解されてしまうのだけれど、
枠の外から考えると
あんな事もある、こんな事も出来る
こっちの方がより気持ちがいい
こんな方法があったのかー、など
発展性があるのだ。

だから
否定とか、いい・悪いではなく
様々な視点に立って考えると楽しい。
その話が出来る人と繋がりたい。

枠の一視点からの話や
表層の話は、退屈で辟易しているので。

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■今日のまとめ

・順位付けで仕掛けると
 より多くの人を巻き込む事が出来て
 利益増大には、打って付け。

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