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【最強ビジネスモデル】グローバルの意味。

 【最強ビジネスモデル】  2013.05.31 No.0630
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グローバルとは、
勿論、英語が話せる
という事だけではない。

と、発信して来たが
なかなか、いい表現がなく
気持ちを言語化するのを
難しく感じていた。

ふと、本棚に並んだ
「ベニシアの京都里山暮らし」
という一見、グローバルとは
何の関係もない本の中に
その表現を見付けた。

「国や文化にこだわるのではなく
 まず、自分自身であることを
 大切にしたらいいのでは」

というベニシアさん自身の問いかけ。

そして、友人ご夫婦のお話しの中で、

「彼に初めて会った時、日本人と言うよりも
 地球の市民と私は感じました。
 彼は色々な考え方にオープンです」

という話を受けて、ベニシアさんは、

彼女が言う「地球の市民」とは
「自分自身である」ことに繋がるのではないか
という一文を書いている。

私は、そこに深く共鳴した。

英語が堪能でも
プレゼンや交渉がうまくても
そこに「自分自身である」と言う事がなければ
何も生まれない。

逆に、英語が片言でも
交渉が下手でも
自分らしさが伝われば、
人は繋がり合えるのでは?

私は、英語が話せずに
日本語オンリーでロッキー山脈
家々を泊り歩きの一人旅を慣行した事があるが
その時の経験からも、
まさに、そうだなぁと実感する。

グローバルというのは
何処にいても「自分自身である」という事なのだ。
それは、一見繋がりがないように
感じるかも知れないが
実は、一番の根っこだと思う。

英語教育だの
プレゼン力(これは、日本人は本当に弱いので
勿論、やった方が良いとは感じているものの)
だの、そういう表層の部分だけではなく
「自分自身である」ことを追求・探究する
時間が、子どもや若者・・・いや誰にとっても
必要なのだと感じる。

現代は、そういう意味で
非常に忙しく余裕がない・・・ように仕組まれている。
敢えて、自分で気付いて、その時間を作らないと
どんどん流されていってしまう社会のようだ。

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■今日のまとめ

・「地球の市民」(グローバル)とは
 「自分自身である」ことに繋がるのではないか。

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【最強ビジネスモデル】発酵と発光。

 【最強ビジネスモデル】  2013.05.30 No.0629
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子どもの頃、
開きや切り身の魚が、
そのまま泳いでいると思っていたし、
魚も野菜も、お味噌やお醤油なども
お店で買って手に入れる物しか
知らなかった。

切り身はともかく
お味噌やお醤油・マヨネーズなど
お店で買うのが当たり前という感覚は
つい最近まで持っていた。

そういう環境で生まれ育てば
そういう感覚に自然になる。

お味噌やお醤油などを
家で普通に作っていたら、それが当たり前と
自然に思える。

ただ、それだけの差でしかない。

大人になって
お味噌やお醤油は、
それぞれ手作りしている家もあると知り
驚くとともに、非常に興味を持った。

いつもは捨てているお米のとぎ汁に
乳酸菌が含まれていて
その、とぎ汁で乳酸菌発酵液が作れる事も知った。

その、とぎ汁を活かした発酵液で
豆乳ヨーグルトやクリームチーズも出来る。

毎日、捨てていた「とぎ汁」が実は宝物だった。
とぎ汁は、お掃除にも使えるし、
入浴剤や洗顔にも使える。

そんな事、なーんにも知らなかった。
誰もしていなかった。

学校の勉強より
ずっと「伝承」していかなくてはいけない
大切な事じゃない?

本当に驚いた。

全てお金で買っていた物たちが
身近な素材・・・しかも捨ててしまっているような
物たちで、簡単に出来てしまう。

しかも、その方が身体にも環境にも良い。
いい事尽くめなのだ。

野菜を育てる「土」も発酵の世界。
発酵は、知れば知る程、奥が深い。

近くに「発酵」を教えてくれる人がいないので
とりあえず大量の「本」を買って
日夜、実践・研究中である。

本当は、昔ながらの「叡智」を
伝承していきたいのだが、
この大都会では、なかなか難しい。
出来る事(本から知識を学び、実践)
から初めていこうと模索中。

私は小料理屋をやっていた事もあり
ヘルパーもしていたので
人並みに料理は出来るし
創作料理が大好きだが
実は「料理」も、
誰からも習った事がなく
最初は「本」を見て作り始め
量稽古で、だんだん感覚を掴んでいった。

そう言えば、パソコンスキルも
動画編集なども
習った事がなく、本で研究から初めて
ものにしている。

だから、きっと
ある程度は身に付いていくだろうと思う。

発酵の世界は深いが
シンプルな本質だと思うので
毎日の試行錯誤を楽しみたいと思っている。

そして、「発酵」の世界と
人間が自ら輝く「発光」と言う事は
切り離せない関係にあると、私は感じている。

昔ながらの「叡智」を分断して
全てお金で買えるような世の中では
人間が元気がないのも頷ける。

それに加えて、
・手作りの楽しさ
・お互いに、それぞれシェアし合う楽しさ
・命を頂くという感覚
までも麻痺し、私たちは
マネーゲームの中で洗脳され続けている。

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■今日のまとめ

・「発酵」の世界と
 人間が自ら輝く「発光」と言う事は
 切り離せない関係にあると、私は感じている。

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【最強ビジネスモデル】破壊と創造。

 【最強ビジネスモデル】  2013.05.29 No.0628
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昨日に引き続き
何故か電車の中で込み上げて来た思いの第二弾。

壊して創造。壊して創造・・・。
と言う事を、よく言うが。

この壊しての部分は
本当にそれを壊す事だけを指すのではない。

例えば
定期的にプレゼン大会が行われているとする。
それは毎回、似通った形や構成のプレゼンだったとする。

そこに、ある時、
全く違う構成や演出のプレゼンを発表した人がいたら
「今までのプレゼンをぶっ壊して登場した」
などと表現するだろう。

他にも
「今までの常識をぶっ壊して
 期待の新人現わる」など言うだろう。

このように、
ただ、新しい価値を創造しただけで
前の価値をぶっ壊す、という表現がある。

だから、対立や反対運動、
もっと過激に、何かを本当に壊す行為を
することだけが「破壊と創造」なのではなく
ただ、価値を創造する、というだけでも
「破壊と創造」になるのではないか。

そもそも、
対立や反対運動は
「で、どうしたい」という部分の方の
影が薄く、反対することにフォーカスし過ぎて
問題を大きくしているという側面も見える。

だから、
新しい時代や、新しい社会に変化する時に
何も壊さなくても創造は出来るのではないか。

そんな事を、ふと感じた。
感じた事をシェアしているが
実際には、言語化が難しいだけで
もう少し、いろんなことを感じている。
言葉は、いつも分離し
制約があり過ぎるほどあるが、
それでも、
言語化にチャレンジし続けていきたい。

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■今日のまとめ

・破壊と創造は
 実際に、何も破壊しなくても
 ただ、全く新しい何かを創造するだけで
 起こるのでは。

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【最強ビジネスモデル】自然の在り方。

 【最強ビジネスモデル】  2013.05.28 No.0627
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先日、新宿から市川までの
総武線の中で、ふっと思った事を急いでメモした。

内側から、溢れ出て来た思い。
これが、何処から来たのか自分でも分からない。
「私」という自分の内側より、もっと深い所から
響いて溢れ出て来た「感覚」を
難しいが言語化したのでシェア。

人間が、地球上で、
どんなに自然破壊をしたり、自然保護をしたり
戦争をしたり、平和を願ったりして
右往左往していても
自然は、いつもいつも
「ただ在る」だけ。

大量殺戮の戦争を起こした人にも
平和を祈る人にも
同じように太陽は降り注ぎ
風が吹き、自然の恵みを与える。

人間があまりに地球にとって愚かな事を
し過ぎていて、怒っているという人も
いるかも知れない。

けれど、もし怒っているなら
もうすでに地球は、自然は、
もっと酷い制裁を人間に与えているだろう。

そうではなく、
どんなに人間が愚かでも愛情深くても
自然は、いつも「ただ在る」
いつも、溢れるばかりの恵みを与え続けている。

人間が愚かな事をしたら
それは、全て人間に返って来る。
他の自然や生き物たちに多大な迷惑をかけながら
結局は全部、人間に戻る。

ただ、それだけで、
地球も自然も、そんな事には振り回されず
いつもいつでも「ただ在る」。

もしも、太陽の光が届かなければ
一瞬にして、生き物は死んでしまうし
もし、風が吹かなかれば胞子が飛ぶ事もない。
雨が降らなければ、植物は枯れてしまう。

恵みをひたすら、分け隔てなく
与え続けている自然。

そして、人間もまた、同じように「ただ在る」。

そして、人間故に、そこに「創造」がある。
ただ在る。そこから創造する。
それが人間だ。

幼い子どもは
まさに、誰もがそう在るなぁと
しみじみ実感。

何故か、電車に乗っていただけなのに
内側からこみ上げて来た「思い」を
言語化してみた。

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■今日のまとめ

・恵みをひたすら、分け隔てなく
 与え続けている自然。

・そして、人間もまた同じように「ただ在る」
 そして、人間故に、そこに「創造」がある。
 ただ在る。そこから創造するのが人間。

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【最強ビジネスモデル】アートマーケッツ。

 【最強ビジネスモデル】  2013.05.27 No.0626
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久し振りに井の頭公園を訪れた。

土日祝に開催されているアートマーケッツ。
手作りの物しか、売れないのだそう。

その日は、
小枝にドリルで穴を空けて作る色鉛筆と、
ヘアピン(女の子の髪の毛を留める物)
で作った「カリンバ」という楽器を
作っている方に出会った。

カリンバは大好きな楽器なのだが
それを身近にある物で手作りし
とてもいい音なのに感動した。

つい衝動買いでそれらを購入し(笑)
ついでに、作り方を詳しく教わって
雑談も楽しんだ。

他にも
「サットリくん」というキャラクターや
フェルト羊毛で作った人形(?)たちとの出会い。

そして大好きな、
大道芸アリ、音楽アリ。

いつ来ても変わらないが
いつ来ても新鮮な喜びと出会いがある。

その後、森の中でシートを広げ
テーブルを出し、
まるで、リビングのように
息子と二人、くつろぐ。

森の中で、
PCで仕事をしたり
本を読んだり
ウクレレやカリンバを練習したり
息子と歌を歌ったり踊ったり!

私にとっては
これが最高に贅沢な時間。
それはもう、至福の土曜日だった。

それぞれが、感性で作った物たちを
マーケットで売って、
それで、みんなが豊かになったり潤ったり出来たら
何て素敵なのだろうと、感じた。

勿論、今の社会のシステムでは
これだけで食べてはいけないだろうけれども。

感性で作ったモノたちを売ったお金で暮らすと
言うよりはお互いに、シェアし合って、
みんなが豊かで幸せな社会に、
何千年後には進化していると私は感じている。

自分のその感覚を信じて、その時代の為に、
今、私に出来る事をいつも模索している。

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■今日のまとめ

・それぞれが、感性で作った物たちを
 お互いにシェアし合い、
 みんなが豊かになったり潤ったり出来たら
 何て素敵なのだろう。

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【最強ビジネスモデル】本物に触れると。

 【最強ビジネスモデル】  2013.05.24 No.0625
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初めて羽根木公園を知った時
どうしても、この公園(森)の側に暮らしたくて
それで引っ越した。

プレーパークという素敵な遊び場と
素敵な森があるからだ。
今でも、息子とよく
この森にご飯を食べたり、本を読みに行く。
歩いてすぐだから(笑)。

そのくらい惚れ込んだ森だったのに
沖縄で原生林の中で暮らしている人たちを
訪ねた後は
森であっても「人工的」と感じてしまう自分がいる。

校庭もコンクリートという
港区で生まれ育ち
森や海に憧れを持ちつつ
ずっと都会暮らしを続けていた。

森や海が大好きで
暇さえあれば出かけていたが。

この都会も、
もともとは、全て原生林だった事を考えると
(江戸時代よりもっと昔に遡る)
人間が森を拓いて作った場所が都会。

何処もかしこも
自然を壊して人工物を作る。

本当は、もっと自然と共存する方法は
いくらでもあるのに
何故、アスファルトで地面を固め
高層ビルを建てるのか?

原生林に、今暮らしたとしても
結局は、そこにいる生き物を殺して
人工物を作って行く事になるのか。

森が好きだからと言って
森で暮らして、森からみたら迷惑ではないのか。

もしも、森で暮らすならば
その森に住まわせて頂いている。
森に対して人間も出来る何かがないか
模索し続けたい。

使わせて頂いているという気持ちで
共存する事を第一優先に考えるのが
気持ちがいい生き方ではないかと思う。

もうすぐ、私は森で暮らす事を
選択すると思うけれど
この感覚を持ち続けたい。

人間は原生林を拓き
アスファルトで固め、コンクリートのビルを建てた。
そして、同じように
心にもアスファルトのような壁を作り
内側からの感性に気付かないように生きている
ように私は感じる。

そもそも、
誰のものでもない地球の地面を
所有し、勝手に売買し
それが、当たり前になって
港区だから高い、郊外だから安い、
という事を「常識」にして生きている事に
私は幼少の頃から疑問を感じていた。

土に触れ、
森で自然の一部として
自然と共存できる生き方を
模索しつつ、人間で在るが故に
アートを探究していける環境を
作っていこうと思っている。

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■今日のまとめ

・本物に触れると
 作り物に気付ける。

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【最強ビジネスモデル】外からの刺激に自動反応。

 【最強ビジネスモデル】  2013.05.23 No.0624
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禅寺などで観光ガイドさんが
観光客に説明をする。

「この庭の石は、何処から見ても
 全部が見えない配置になっています。
 石の数は15で完全の意味。
 その全部が見えないのは
 おごるなかれという意味・・・」

などの説明を聞いて
「なるほどねー」と納得してしまう。

もっともらしい説明を聞いて
納得して
それを人に説明できるから知ってるつもりに
なってしまう人は多い。

アートなども同じだ。

有名なアートの解説を読んで、
そのつもりになってしまう。

 自分がそれを見て、どう感じているのか、
 という方が、ずっと重要なのだけれども。
 そこから掘り下げて考える事も
 楽しいのだけれども。

これらの人たちは、
いとも簡単に「巻かれている」のだが
全く本人たちは気付いていない。
至って幸せな人たちだ。

また、
お化粧品やエステなどにハマる人も
それと似ている。

本来、自分の感性に従って生きていれば
食べる事も生活も、自分にとって居心地のいい
事をするので、自分にとって適正な体重に
なると私は思う。

その自分にとっての適正な体重は
一般的な平均値では分からないのでは?
自分の身体だけが知っている!

ある年齢になると
自動的に「受験」して自動的に「就活」して
という事も、似ている。

どれもこれも、
外からの刺激や情報などに「自動反応」しているだけで
少しも感性を働かせていない。

そして、
少しでも感性を働かせようものならば
「何言ってるんだ!
 ちゃんとしないと将来困るよ」
などと言われてしまう。

そして反発はしても、結局は少しずつ洗脳されていく。
自分の感性やクリエイティブな部分を
押し殺して行くのだ。

さて、外からの刺激に自動反応して
一番得をするのは誰だろう?

「こんなに綺麗になりますよ」

と言って、その気にさせて
洗剤やら化粧品やらシャンプーなどを
売っている人たちにはいいだろうねぇ。

その品物が人体にも地球にも
あまりよろしくないとしても。

でも、そのメーカーに勤めている人、
一人ひとりは、善良なとてもいい人たちだ。

買う方も売る方も
一生懸命に毎日を生きている。
何も誰も悪くない。

だから、この循環は肥大していくのだ。

一人ひとりが
本当にありのまま、感性に従って生きない限り
歪みは拡大していくと私は思う。

例えば、
綺麗になるよという言葉に弱いのは
「もっと綺麗になりたい」と思う心があるからで
与えられたものに満足して
そこからクリエイティブに生きているなら
そんな言葉には反応しない。

外からの刺激に自動反応していると
得するのは誰か?

マネーゲームを仕掛けている一部の人間だけだ。

その実態は?

もう、何代も昔のことで
本当に本当の大元は、
もう既に何処にもないかも知れない。

仮にいたとしても関係ない。

誰もが一人ひとり
ありのまま、感性のまま生きさえしたら
いいだけなのだから。

内側から、自分に正直に生きている人が
私は、話が合うし、居心地がいい。

社会の8割は
外からの刺激に自動反応して生き、
その事に全く気付いてさえもない。

TVやゲームなどは、それを加速させている。
目や耳から入った刺激を、ただシャワーのように
受け入れているだけなのだから。

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■今日のまとめ

・外からの刺激に自動反応している人がほとんどだ。
 内側からの感性でクリエイティブに生きる人が
 増えたら、面白い居心地の良い社会になるだろう。

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【最強ビジネスモデル】表層に辟易。

 【最強ビジネスモデル】  2013.05.22 No.0623
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もう、かれこれ46年間も
表層に辟易している自分がいる。

物心付いた時には既に
体中が違和感の塊だった。

TVで犯人を悪く言い、被害者を可哀想と言う。
いじめは悪い。いじめられる方にも問題がある。

「こうあるべき」
「普通こうでしょ」
「常識でしょ」

親も大人も友人も。
誰も彼も、それ以上には考えない。

大前提ごと与えられた外からの刺激に、
自動反応している。

精々、反発したり
不良になるくらいが関の山。
 ↑私の事ではないですよ(笑)。

そんな社会の中で
私は体中で悲鳴を上げていた。
その表層の社会は、まるで
コピー用紙1枚の薄さの世界。

その紙1枚の薄さに
自分を合わせなくては
生きてはいけない。

その薄い部分以外は全ては「無」
真っ暗闇なのだ。
私の感性は存在できない。

あまりの絶望に10歳で自殺未遂。
でも生かされた。きっとそれ故の役割があるのだ。

それから、37歳で子どもを産むまで
生きるために自分を殺し、頑張った。

そして、子どもが生まれて
瞳を見ていると宇宙に繋がっていた。

「この子は全てお見通し」

そう、感じた。
だから、それから私は自分を殺すのをやめた。

そして、ありのままの自分を模索し始めた。
ずっと殺し続けていた自分。
眠っていた感性を開こうと。

それから10年が経ち
今まで、一人も出会えなかった
同じような感性に出会っていった。

なんだ「無」じゃなかった。

子どもの頃は世界が決まっている。
自由に他の世界に行く事は出来ない。
でも、大人になれば
自分の感性に合う場所に行き
自分の感性に合う人と会える。

自分を殺していたから
出会えなかっただけなんだー。わはははは。

それでも、
日常は表層で一杯。
有名な人や、それっぽい人は
近付いてみると、
さらに表層だったりして、逆に絶望したり。

「就活」だの「婚活」だの「パワースポット」だの
何のかんのと・・・。
私には意味が分からない(だから社会不適応)。

「夢」「勇気」「愛」という素敵な言葉を
薄っぺらーく使ってみたり。

とても気がいい、愛情たっぷりの
素敵な友達だって、表層が多いのだ。

表層は「いい・悪い」ではない。
表層しか分からなくても、何の問題もない。
その方が、気付いてしまうより幸せかも知れない。

ただ、私にとって、詰まらないというだけの事。
ただの個人的な好み。

表層で生きていたって、
それが世界の全てなら幸せだ。

そうじゃない事を感じ取ってしまうのに
それが「無」だから辛い。
それを社会不適応と呼ぶ。

何故か・・・。

あまりに少数派だから。

それで、
「深い話が出来る友達がいない」

と友人に相談すると、
「結構、深い話、出来る人いるよ」

というが、その相談した友人も
その相手も、どんなに話しても表層。
本人たちは深い話をしていると思っている。

そんなものなのだ。

また、大人気の講演家や、セミナー。
それに群がる依存症たちは、
いい人は非常に多いが、
それこそ、そういう事を知らない人よりも
ずっと薄いが、本人たちは「知っているつもり」
になっている。

私は違和感で押しつぶされそうだったが
その中で。

大人気の講演家やベストセラーを出している人の
中でも、ほんの少人数の方々が
分かって薄い事をしている。
そうじゃないと、通じないから、と。

それで、私は私を取り戻す。
多くの人に繋がって
とても近くまで近寄って
一緒に仕事などをして、
「あー、そうなんだ。」と安心する。

お陰さまで今は、
同じくらいのレベルで深い話しが出来る友人が
少なくても7人いる。

「無」から「7」

これは、本当に幸せな事だ。

日本中、また、
色々な国を旅して
深く深く繋がって、
10年かけて「7人」

それは多いのか少ないのかは分からないけれど
家族や近所や学校のコミュニティでは
出会えない。
もちろん、高額セミナーなどでは、
もっと出会えない(笑)。
自ら探して動いて、必然で見付けた友人たち。

深い話と言うのは本質的な話。
何処までいっても本質的な話。
しかも、体験から得た話でなければ
ただの頭でっかち。

スピリチャルな事でもなければ
特別な事でもない。
ただただ、本質的な話し。

少しでも話すと
「哲学だね」とか「スピリチャルだね」とか
表層の人には思われ勝ちな話なのだ。

日常で、ただ感じた事を言葉にしただけで
「宗教?」と言われた事もある。

勿論、家族は私の事を「突然変異」と呼ぶ。
家族には理解されなくてもいい、と悟った。
何故か?
理解されなくても充分、
愛されている事が分かったから。

宗教でも哲学でも構わないが
ただ、自分の体験から気付いた
些細な思い、感覚なだけなのだ。

その話が伝わる、
伝わるだけでなく、一緒に考えて触発し合える
友人が出来て、やっと幸せだ。

そして、表層だとか何だとか
全くフォーカスしないで一緒に笑い合い、
感じ合い、心を動かせるのが「アート」。

アートとは「音楽」「絵」「演劇」「大道芸」などの
表現活動全ての事。

 本来は、人との関わりも、
 生きる事そのものも、
 アートなハズなのだと思うけれども。

私が行き着いた先は「アート」だった。

人は誰もがクリエイティブな存在なのだ。
外からの刺激に、ただ自動反応しているだけが
人間の意味ではないのだ。

けれども、あまりにそういう人の数の方が
多過ぎて、もう、その事すら意識できないでいる。

水の中の魚が水を意識できないのと
同じように。

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■今日のまとめ

・表層に辟易。
 けれど、そこにフォーカスすることなく
 感性でつながれるのがアート。

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【最強ビジネスモデル】学ぶ程に詰まらなくなる。

 【最強ビジネスモデル】  2013.05.21 No.0622
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先日、本棚を整理して
大きな段ボール2箱分の本を
友人に送った。

相当、スッキリ・・・
荷物のほとんどが本だった(笑)。

それで、前に読んだ懐かしい本たちを
読み返したりしている。

その中で共感したのがコレ。

ペンギン、カフェをつくる
三谷 宏治(著)
東洋経済新報社(2011/8/11)

の中の一文。

「学ぶほどにつまらなくなる」

発想力の本なのだけれど
この構成が、
要因(ファクター)
機構(メカニズム)
お話(ストーリー)の3つを組み合わせていて、
構造は、かけ算と足し算、
常識離脱×
(非常識な視点+異分野の深い学び+言葉へのこだわり)
という、つくりの面白い本だ。

プロローグで主人公のペンギンのルークは
こう、呟いています。

 そう。ボクの悩みは今の自分自身のつまらなさ、
 なのかもしれません。
 「仮称ペンギンカフェ」の
 アイデアが出て来ないのもそう。
 人間の友達と話していて盛り上がらないのもそう。
 ボクって、もっと面白かったのでは?
 もっと非常識で、もっと知りたがりで、
 相手の話にくちばしを突っ込む、
 けんかっぱやいヤツだったのでは?
 こんな、わけしり顔のどこにでもいるペンギンでは
 なかったはずデス。
 (中略)
 ボクがボクである理由。
 それは「壁を超える」者であること。

それに対してミタニ氏も

 企業に入った2年目に
 「最近のオレって、つまらない」
 同僚や先輩と話してても、ネタが同じ。
 突っ込むポイントが同じ。意見もだいたい同じ。
 共感は得られても、驚きも新鮮さもない。
 (中略)
 採用のとき、学生のときのほうが、
 このヒトたち相手に面白い事を言えていたはず。
 ちょっと、いや、結構、焦りました。

と書いている。

この原点から、発想の本を書いているのだから
とても面白い方だ。

私は、
知識や体験というインプットが多い程
アウトプットが出来るのだから
学ぶ事(知識・体験)は、とても大切だと思う。

しかし、ここで言うように
それによって「詰まらなくなる」という側面も
確かにあるよね、と共感。

特に学校のように、
興味のない教科まで万遍なく学びテストされ
詰め込み知識が増え続けたら
それこそ、詰まらなくなっていくかも知れない。

 その中でも面白さを見付けられる達人は
 いるだろうけれども。

知識や体験と言う学びを積み重ねつつ
いつも感性を開いて、誰かと触発し合い
パラダイムシフトやブレークスルーを起こしていたら
それは、とても面白く刺激的な日々になるだろう。

あ、だから、今
こんなに楽しい毎日なのかー(爆)。

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■今日のまとめ

・ボクがボクである理由。
 それは「壁を超える」者であること。
             By ペンギンのルーク

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【最強ビジネスモデル】パターンに意識的になる。

 【最強ビジネスモデル】  2013.05.20 No.0621
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金曜日、息子と明け方まで語り合った。
次の日に、息子への手紙にこう書いた。

昨日、かなり厳しい事を言ったけれど
それは何故だと思う?
次の中から選んでね。

1.あなたが間違っていたから伝えた。
2.あなたが大切で愛しているから
  お母さんから見て必要だと思った事を伝えた。
3.あなたが、もう10歳だから、
  話を理解できると思ったから伝えた。
4.その他。

それから、長い手紙を書いたのだが。

息子に、これ、何番だと思った?
と聴くと、2番!と、答えた。

正解は、2番・3番・4番だ。

「この中から選んでね、と言ったけれど
 一つだけ、なんて言ってないよ。
 どうしても、指示がない場合は
 一つ選ぶ、と言うパターンが出来ているけれど
 そんな事はないんだよ。
 そして、4番のその他が大事なんだよ。
 あなたは、どう思うの」

それから、また朝から
素敵なディスカッション。

学校に行っていない
普段、こんな会話をしている息子でさえも
選べ、と言われたら自動的に「ひとつ」を選ぶ。
相当、意識的にならないと
どうも、決められたパターンの中で自動的に
考える癖が私たちにはあるようだ。

コンビニで「お菓子買ってー」と言う時も、
これ買ってー、と持って来て、
「あ、やっぱりこっち」と言って
最初のお菓子を棚に戻す。

「誰も、『一個だけだよ』なんて言ってないよ。
 同じくらい欲しければ、買えばいいよ」

と、いうと
「え、本当」と言って買う時もあれば、
こっちが欲しい、と言って一個だけの時もある。

何も言わないのに、
勝手に「一つしか買ってはいけない」と
自分で自分を縛っている。

こんな小さい頃から縛っているのだもの。
大人たちは、相当縛られているハズだー。
本当は、もっと自由なのにね。

ささいな、日常の暮らしの中で
自分のパターンに気付いて
自由に本音で選択していく
パターンを習慣に出来たら
同じ暮らしをしていても
自由度も可能性も広がると
息子とのやり取りで感じた。

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■今日のまとめ

・普段の何気ない選択の時に
 自動的なパターンを持っていないか
 意識してみよう。

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