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【最幸ビジネスモデル】油谷(あぶらたに)さん。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.16 No.0720
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先日、友人とお茶した時に、
話題になった「依存系」の話。
友人のネーミングセンスがいいのでシェア。

 私はまったくTVを見ないので、
 油谷さんを知らなかったが、
 もしかして知っている人は多いかも。

たまたま
社会に多くいる「依存系」の人たちの話になった。

カリスマや耳障りのいい言葉に群がったり、
自分以外の何かで心を満たそうとして
たくさんお金を払っているような人たちを
私は「依存系」と呼んでいる。

依存系の人たちは、
とーってもいい人が多く、
愛すべき人たち。

そして、引きで見ると
お金をたくさん払って満足してくれる
商売的には、いいお客さま。

思いのほか、すごく多く存在するので
資本主義社会がうまく回っている。

こういう依存系の人を
友人は「油谷さん」と呼んでいる、と言うのだ。

私が
「え、なんで?
 油谷さんって?」

と聞くと、
なんでもお笑い番組の中でやっていた話だそうだ。

全身にサラダオイルを塗りたくっている人の事らしい。

ネーミングの由来は、
お互いにサラダオイルを全身に塗っていれば
ハグしてもくっついても
ツルツルして気持ちがいいけれど
どちらかが、塗ってなければ
塗っていない方はハグされても握手されても
気持ち悪いから、だそうだ。

たとえば、
私と友人が知っている共通の・・・、
カリスマに群がって耳障りのいい言葉に
心酔しているコミュニティの依存系。

(多かれ少なかれ、この形が多いが)

そのコミュニティ(私は池と呼んでいる)の中に
いれば、みんなが
「愛」「本気」「夢」と言った耳障りのいい言葉を
笑顔で言い合い、ハグしたりしているから
非常に居心地がいい。

カリスマの言葉に心酔している同士なので
分かり合っている感も心地がいい。

けれど、その一人一人が
自分の社会に戻ると、
その社会に合わせて生きている。

外の世界では同じように大げさなハグをしたり
していない。

もし、それが本当の自分だったら
どこでも、同じ事をしたらいいのに
その池でしか出来ない。

 それを、
 他の人はこの素晴らしさを分からないのだ、
 とさえ、思って、
 自分たちが特別であるかのようにさえ
 感じていたりする。

中に入ると、
応援だ、愛だ、と謳っている
そのカリスマだけが「一人勝ち」している、
というカラクリに気付けず
お金も時間もカリスマに投入している。

外から見たら
自分に足りない何かを、
外の何かで埋めようとしている集団に見える。

という、たまたま共通で知っている池について
友人は「油谷さん」と表現していた。

こうやって、改めて
言語化すると誤解されそうだが
べつに批判している訳でも
いい、悪いと言っている訳でもない。

誰もがみんな自分の選択で
好きな事をしているだけなのだから。

ただ、
引きで見る事をせず、
巻かれている「とってもいい人」たちを
私は依存系と呼び、
友人は油谷さんと名付けたという
ネーミングに笑った。

・中にどっぷり入りっぱなしでもいい。

・そういうのに近づかないのもいい。

・中に入ったり外に出たり離れたり近づいたりして
 自由に行き来して観察や体験を楽しむのもいい。

・巻く側で楽しむのもいい。
 自らカリスマでもいいし、仕組みを作って
 カリスマを使う側でもいい。

結局は
すべてのことが、
この宇宙の中で起こっていること。

その起こっている事は
視点を変えれば、その視点の数だけ「現実」になる。
だから現実は人の数だけある。

同じ事象に対して
「現実」だと思うことが人の数だけある、
というだけだと、私は感じている。

だから視点の発見が面白い。
いい、悪いという視点はまったくない。
(一番、つまらないから)

依存系を「油谷さん」と呼ぶ
友人のセンスが面白かったのでシェアした。

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■今日のまとめ

同じ事象に対して
「現実」だと思うことが人の数だけある。
それに面白いネーミングをつけるセンスが面白い。

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【最幸ビジネスモデル】誰でも持っている表現力を。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.15 No.0719
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■今日のテーマ
 誰でも持っている表現力を。
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大好きな友人、
かめおかゆみこ(かめさん)の
先週のメルマガ
「人生をかけてやまないもの」

Facebookの
その記事の紹介文に深く共感したのでシェア↓

 多くのひとが、「表現は苦手」と、思いこんで、
 歌うことからも、絵を描くこと、踊ること、
 そして、劇を演じることからも、
 距離を置いてしまいます。

 この地上の生きもののなかで、
 人間にしかあたえられていない、
 ゆたかな想像力と表現力を、
 ほとんど使うことなく、
 一生を終えてしまうのです。

 ★人生をかけてやまないもの★全文はこちら♪
 http://archive.mag2.com/0000119721/20131008095143000.html


子どもの頃、
大好きな絵や歌などの表現を、
大人や友人たちから全否定されたり
比較されて評価などされ、
楽しく思うまま表現できなくなった
という何かキッカケがあって
大人になって
「苦手だ」と思うようになる人が
多いように私は感じている。

私も否定や比較の中で
自由に表現する事ができず
「絵はまったく描けない!」
「歌はへたくそ」
と数年前までは思い込んでいた。

周りにはそういう体験を持つ人も多かった。

 逆に有り難い事に私には、
 絵や音楽などアーティストの友人も多く
 大好きな絵や音楽を表現してくれる彼らを
 とても尊敬している。

そんな私は数年前から変わってきた。
人から否定されようが比較されようが
下手なら下手なりに
うまくなくてもいいから
表現したい、と思い始めた。

思い始めたのではなく
ずっと思っていた、とさえ思えて来た(笑)

10年前に自動書記みたいな感じで
文章など書いた事もないのに
溢れる思いを「がっー」と原稿にして
出版したのが、私の最初の”表現”だった気がする。

  あ、忘れていて今思い出したが、
  20代の頃、NHKのど自慢の予選に出たり
  ローカルTVののど自慢大会に出てたり
  していたから、実は表現したい願望は
  大きかったのかも・・・相当(爆)

それから、
メルマガやブログを書き始めたり
完全オリジナルのセミナーを開催したり。

(それも今思えば、私の表現だ)

先週メルマガにも書いたが
かめさんのイベントでほんの10分くらい、
全員が演劇をやったことがない人たちで
台本のないお芝居
(練習の中で気持ちを引き出しながら
 オムニバスで構成される不思議な劇)
の体験をしたり。

大好きなアーティストを招いて絵の教室を主宰したり。

 この時に教わった事は
 「絵が描けない人は一人もいない。
  絵を描くのはただの身体能力だから。」
 という衝撃的事実(笑)

 たしかに、何も考えず・・・
 でも思うままに手を動かしていると
 一人一人ユニークな宇宙が描かれている
 という事を体験し納得。

などの有り難い数々のキッカケを経て
表現の面白さや楽しさにジワジワと惹かれている。

かめさんが言うように

 「この地上の生きもののなかで、
  人間にしかあたえられていない、
  ゆたかな想像力と表現力。」

それを存分に味わい尽くしたら
人生は豊かに実って行くと私は感じている。

特別に芸術活動をしなくても、

お庭を作る。
野菜を作る。
料理をする。
お部屋を居心地よくする。

これらも、全てが自分の表現。

それに空や自然を見渡せば
身の回りは素晴らしい芸術に満たされている。

なんて豊かで素晴らしい星に
素晴らしい感性をもらって
私たちは生きているのでしょう!

と深く感じている。

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■今日のまとめ

 誰でも持っている表現力を、
 存分に味わい尽くし、遊び尽くして
 毎日を生きれば人生は本当に面白い。

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■オススメ

 かめおかゆみこ完全日刊メルマガ
 「今日のフォーカスチェンジ」
 10周年記念イベント。

 今回、私は劇には参加していませんが
 イベントには参加します。
 まったく演劇はじめてという方々の
 演劇あり、他にもかめさんらしい
 アットホームな素敵な会になるでしょう。
 興味がある方はご一緒にいかがですか?

かめさんから一言↓

「本当に、劇に参加する
 みなさんが、かがやいているんです。
 このかがやきを、
 ぜひ、一緒に楽しんでほしい。

 あなたのなかにも、同じかがやきが
 あるのだということを、実際に
 目で耳で、からだ全体で、感じてほしい。
 あなたのお申し込み、お待ちしています♪」

http://plaza.rakuten.co.jp/kamewasa/diary/201309110001/ 

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【最幸ビジネスモデル】森を感じるために。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.11 No.0718
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先日、宮田美岳さんのライヤーライブに行った。
ライヤーは竪琴。
初めて聴くライヤーの音色は
とても神秘的で優しかった。

聴いているうちに、私の中で
銀河系ではない、どこか遠くの空間で
星と星が衝突した。
その衝突した瞬間の場所から、
たくさんの星たちが無数に生まれ飛び散って行く。

美岳さんがライヤーで音を一つ奏でるたびに
その音が、星になって飛び散って行く。
そんな映像と体感をさまよっていた。
言語化は難しいけれど。

終わった後、
その体験を話すと、

「実は、いろんな人がそれぞれに
 いろんなイメージを抱いてくれるです。
 それが嬉しいし、楽しい。」と。

聴いている人の数だけ
イメージの世界が生まれるなんて
なんて素敵なライブだろうと感動した。

と・・・前置きが長くなったが
ライブの最初のMCで美岳さんが、

「僕は森が好き。
 東京生まれ育ちだから懐かしいとか
 原体験はないけれど、森にいると落ち着く。」

と話されていた事に深く共感した。
私自身も大都会に生まれ育ち田舎もない。
けれど森が大好き!

実は、
沖縄で出会った素敵な友人たち・・・
・・・すでに森の暮らしをしている。

その数名が私と同じ港区出身。

懐かしいとか原体験はないけれど
森に魅せられ、森の暮らしをしている。

私自身もいま、
森の理想の暮らしを実現する為に
準備をしている。

  私だけが森で暮らすのは簡単だけど
  私の中には、
  どうしても譲れないビジョンがあり
  そのための準備をしている。
  我成す事は我のみぞ・・・(笑)

こうして続けざまに
都会育ちの森大好きで森暮らしな
素敵な人たちに出会い
敢えて東京を選んで生まれて来たんだなぁ
と感じている。

比較がないと、
人間は何も認識できない。

生まれたときから森で暮らしていたら
本当の森の魅力を知っていて
愛していても
あまりに当たり前すぎて
気づかない事もあるかもしれない。

外から見るから分かる魅力や
アイデアがあるのだと思う。

それから
どんなにコンクリートジャングルで
生まれ育ったとしても
人間は自然を求める本能がある事にも気付ける。

 また、
 都会で自然と共にある生き方は
 当たり前に自然がある環境で実践するよりも
 ずっと大変だし、工夫が生まれる。

都会に生まれた私の役割を感じている。

いくつかあるが
いま言語化できそうな事はふたつ。

一つは、

田舎のある一部の人は
田舎にコンプレックスを持って都会に来て
都会人の生活を謳歌する。

都会のある一部の人は
「都会ものはこれだからダメだ!」
と自然を知らない事を責められて
コンプレックスを持ったりもする。

コンプレックスほど無用のものはない。
よくコンプレックスをバネに何かを成し遂げる
という話もあるが、
最後までコンプレックスをバネにしていたら
成し遂げても、喜びは一瞬だろう。
大抵は、どこかでコンプレックスなんて
どうでもよくなるから、
成し遂げられる。

だから最初の原動力としては
有効な場合もあるけれど、
私は必要ないと感じている。

田舎がどう、とか
都会がどう、ではなく
自分がただしたい、居心地のいい暮らしを
ただ、誰もが追求して実現したらいい。

それが都会だろうが田舎だろうが
どうでもよくて、
コンプレックスからでも、
見栄からでもなく、
本当にしたい暮らしをしたらいい。

私は20代のころ

「鳥さんだって、虫さんだって
 自分が居心地のいい巣を作って暮らしているのに
 どうして人間はそうじゃないんだろう?」

と泣いた事がある。

コンプレックスや見栄なんて全部脱いで
真っ裸の自分自身で
本当にしたい暮らしを追求することを
実践するために、敢えて大都会のド貧乏という
最高のシチュエーションを選んだのだと思う。

もう一つは、
独特なグローバル感。
実は初めて海外に行ったのは二十歳を過ぎてから
なので、グローバルな環境で育った訳ではない。

けれど、
たぶん、当たり前のように多くの人間がいる中で
当たり前のように、
いろんな国の人たちがいる中で
暮らしていたので、外国という感覚がなく
初めて単独一人旅に海外に行ったときも
港区から品川区に移動するのと
違いが分からない、という感覚だった。

そもそも
初めての一人旅は
小学生の時、港区から鎌倉。

まったく知らない鎌倉を
一人散策したのは、すごく楽しかった。

その感覚と海外の違いは私には分からなかった。

と同時に
私には障がい児と健常児の違いも分からなかった。
誰もが、当たり前に分かる事が
私にはとても難しく
私に当たり前に分かる事は
誰にも理解されなかった。

それが人間が多い都会で体験できた。
多くの「楯」が必要だった。
自分とはまったく別の人間にならないと
生きて行けなかった。

そして、
いま、同じ大都会で
まったく「楯」が必要なくなった。
そのプロセスを体験するために
私は都会を選んで、両親を選んで
生まれて来たのだと感じている。

地球という星が
一人一人が
本当に自分自身を表現して
才能を活かし合える星になるために。
国も立場も関係なく一つの星になるために。
そのキッカケを作るために。

↑言語化は本当に本当に難しく
言語にしたとたんにニュアンスが変わる。
この拙い表現が伝わる人にだけ届けば・・・。

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■今日のまとめ

懐かしいとか原体験はないけれど
森に魅せられる。

森を感じる為に都会に生まれて来た。 

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【最幸ビジネスモデル】自分で進める。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.10 No.0717
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昨日に引き続き、演劇ネタを。

数年前、
大好きな友達、かめおかゆみこ(かめさん)
のイベントで短いお芝居に参加したことがある。

参加者全員がお芝居は初めて。
しかも、台本はなく
たった数回の練習の中で
それぞれの記憶や感覚を引き出しながら
オムニバスでストーリーが展開するという
とてもユニークなお芝居だった。

本番は楽しかったというくらいで
私にとっては、この数回の練習中が
ものすごい価値だった。

今でも印象的な事が二つある。

一つは、
練習した通りに動くと
お芝居はとてもつまらなくなる、という事。

まったく同じセリフ、
まったく同じ動きであっても
練習通りになぞってはダメ。
いつでも「その瞬間」を感じて表現すると言う事。

この感覚は、私の宝になっている。

もう一つは、
最初のころ、アイスブレークで
ワンワードというゲームをやった。
これはインプロゲームの一つ。

輪っかになって座り
一人が一言づつセリフを言って
お話を完成させる。

この時、ワンワードなので
「そして」とか「その時に」とか
つなげる言葉を言ったら、
それで自分のターンは終わり。

やってみると
自分のターンで場面を変えないような
セリフが続く事がある。

ついつい、安全圏というか
事なかれな意識が無意識に働いてしまう。

すると、ストーリーは単調でダラダラしてしまう。

もちろん基本はイエスアンドだから
突拍子もなく変えるというのではない。
効果的につなげる言葉を言うときも
もちろんある。
前の人が投げたストーリーに
しばらく乗っかっている事も楽しい。

その事とは別に、

間延びしないように
自分のターンで
場面が変わるキッカケを作る意識を
参加者が持つと、
全体のストーリーがイキイキして
楽しくなる。

事なかれ的な意識が
まったく「無意識だ」ということに
気付ける事がいい体験だった。

私は、
いつも既存にないサービスを
生み出して来たし、
自分から何かを始めるということを
人生の中で、それこそ無意識でやっている。

それでも、
演劇のワークの中で
「なるほどねー」と、
そういう事に気付くのが面白いと感じた。

これは
主体的である、という事に近い。

人のアイデアに乗っかると言う事も
もちろんそれを選択していれば主体的なのだ。

主体的とは
何も、最初のキッカケをつくる人の事を
言うのではなく、
自分の役割や立ち位置を自分で選択して
その役割を主体的にクリエイティブにやる、
と言う事だと思う。

要は
事なかれな意識ではなく
自分が選択して動くということ。
それを無意識レベルでできたら楽しくなる。

人生そのものがストーリー。
だから、
まったくの素人の私でも
少し触れるだけで、演劇の中には
気づきがたくさんあると感じている。

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■今日のまとめ

 事なかれ的な意識が
 まったく「無意識だ」ということに
 気付いて、自分から進める。
 すると、
 面白いストーリー(人生)が展開して行く。

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【最幸ビジネスモデル】まず出てしまう。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.9 No.0716
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以前、何度か、
インプロのワークショップに参加した事がある。

インプロとは、即興劇の事で、
約7年程前にインプロモーティブという
インプロ劇団のお芝居を観てから
大ファンになった。

主宰の大浦さやかさんも
とても素敵な女性で、
去年からはママ友としても
仲良くして頂いている。

インプロ劇は
台本なし、打ち合わせなしで
観客と一緒に、
世界でたった一度きりの
お芝居を繰り広げる。

それが、もう面白くて
いつも涙流して大笑い!

そして、ワークショップでは
たくさんのゲームを楽しみながら
即興力を鍛える。

年に1-2回しか参加できないのだが
いつも息子と楽しんでいる。
見ているのも好きだが
やるのは、もっと楽しい♪

ワークショップで印象的だった事が
仕事の場面でも役に立つことは
思いのほか多い。

その中のひとつ。

一人の人が、なんでもいいからポーズをとる。
そのポーズに対して
自分が入って行き、何かポーズをして
最初のポーズに意味を持たせる。

たとえば
ある人が手を上げるポーズをとっていたら
それに対して
下の方で犬のふりして片足をあげるポーズを取れば
木と犬という構図ができる。

そして次に木が抜けて
犬のポーズに、
また違った意味を持たせるポーズで入って行く。

と言う事を繰り返す。

誰も抜けずに全員で絵になったり
セリフがあったりと、
このゲームのアレンジはいろいろだ。

この時、
自分の番が来ても、
どうしても、
何も思い浮かばない事がある。

脳みそも体も固まってしまう。

固まったままだと、
いつまでも動けない。

そんな時は
分からない、何も浮かばない、
という自分自身のまま
とにかく、そのポーズの中に入ってしまう。

分からないままで
近くに行って
とにかく、何かしら動いてしまう。

すると
大抵は、何かしらになる(爆)

何かしらになったり

「訳のわからない絵」

とか苦し紛れに言えてしまったり。

その、本当に分からない固まっているという状態から
何か動きが出来た時には
その絶妙な「間」自体がウケたりもする。
それは計算では出せない、間だ。

私自身は人生の中で
とにかく、直感ですぐに動いてしまう質だから
そもそもインプロ体質だなぁ、と感じる。

と同時に、
そんな私でも、
分からなくて、固まってしまうときも
まず、とにかく前に出てしまう、
という事は大切だなぁと学んだ。

分からない、と言う時に
固まってしまうと、
もうどうにも進まない。

けれど
とにかく動いてしまえば
脳みそも動き出す。

そのプロセスを楽しめたら
どんどんいいふうに道が繋がって行く。

そのまんまのまっさらな自分で
まず、前に出てしまう。

それで、笑いが取れたら至福!

しかも、仲間がイエスアンドでつなげてくれる。
ひとりで、全てをどうにかしようと頑張らなくていい。
仲間一人一人の持ち味が生かされて
世界でたった一度きりの、面白い場面になる。

そんな体験をインプロではさせて頂いた。

ワークショップの中では
どんなに恥をかこうが何しようがいい。
そもそも、インプロは間違えたほうが面白い。

だから、
そういう事が苦手な方こそ
練習だと思って参加してみたら
新たな自分に出会えるかもしれない。

失敗や恥を恐れずに
どんどん思ったまま、
表現することができる貴重な機会だ。

私は実生活でも相当、
恥ばかりかいているが(笑)

社会に、そんなインプロ体質な人が増えたら
とても楽しいだろうと感じる。

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■今日のまとめ

 分からなくて、固まってしまうような時、
 そのまんまの自分で、まず前に出てしまおう。

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【最幸ビジネスモデル】心地よさへのプロセス。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.8 No.0715
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昨日の記事を書いている時に
ふと、
あれ?私、今なんでこんなに心地よく
暮らしているんだろう?
そういや、昔はきつかったなぁ。
いつから、こんな感じになったの?

と自分で不思議に感じたので
そのプロセスを書いてみようと思う。

いま、
家庭や人間関係や仕事で
居心地よく暮らせていない人に
何かヒントになるかもしれない。

 ならないかもしれない。
 そもそも、
 このメルマガを読んでいる方々は
 心地のいい方ばかりだから、
 必要ないかもしれない(爆)

心地よい友人たちと出会うまで
いや・・
本当に心地のよい自分自身と
出会うまでのプロセスを書いてみようと思う。

1.本当に真っ暗闇の孤独。
  自分の感性を殺して生きるしか術なし。(子ども時代)

2.自分の感性に対する
  いろんなお試しがやってきて苦しむ。(10代)
  (人間の醜さや、ひどい事件などの渦中)

3.とにかく働き続ける。
  どうやって休んだらいいか分からない程
  無理をし続ける。
  頑張ると無理するの違いが分からなかった。
  表面は明るく振る舞い(子ども時代から)
  がむしゃらに生きていた。(20代・30代)

4.25歳くらいから
  自分の感性を少しづつ言語化する努力を始める。

5.言語化しては叩かれ、全否定される事が
  多くなる。(保育士時代)

6.少しづつ共感してくれる人が現れはじめる。

7.起業したり海外単独冒険旅に行ったり
  直感で動きまくる。

8.結婚し子どもを出産。
  子どもを抱え逃げ出し無一文から再出発。

9.たくさんの人に助けられ
  感謝の気持ちで心が満たされる。

10.言語で共感し合い仲間ができる。(40代)
   その仲間たちは言語で耳障りのいい言葉を話す
   表層だけの人たち。
   自分の抱える課題を人を通じて解決しようと
   している人たち。
   誰もが素晴らしいと思える耳障りのいい言葉の乱用。

11.以前より孤独を感じる。
   その一方で、自分100%で生きようと決意。

12.その孤独の中で
   自分自身と出会い、安心する。
   幸せ感いっぱい!
   生かされている感謝と自分である喜びで
   毎朝目覚める。

13.心地のいい、大好きな友達が増える。(現在)

これからも
あがったりさがったり、いろいろあるだろう。
それは生きている証。

自分自身と出会い、
自分自身が一部だと知り、
安心してから、
いまの楽しい暮らしをしていると
改めて再認識できた。

そういえば、約10年前に
すべてのHAPPYのためにたった一つの大切なこと
という本を出版し、その中で
「自分大好き」という事が
自分を幸せにし、周りも幸せにすると書いた。

同時に、
「なりたい自分の育て方」というブログを始め
「自分大好き!」というメルマガを発行し、
日々の気づきを綴っていた。

現在は、このメルマガで
書きたいように書かせていただいている。

10年前に体験から気付いた事を
本やブログで書き始め
本当にそれが自分自身の人生と
重なるまで10年かかったんだなぁ
と、今、気付いた(笑)

感性は言語化不可能。
けれど言語化によって現実が作られていく、
と言う事にこの記事を書いて気付いた。

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■今日のまとめ

 感性は言語化不可能。
 けれど言語化によって現実が作られていく。

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【最幸ビジネスモデル】友達が一人も。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.7 No.0714
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私は子どもの頃、
友達が一人もいなかった。

あの頃、
友達がいないという事実よりも

 ・性格に問題があるんじゃないか?
 ・何か原因があるんじゃないか?

というような
周りからの無言の評価の重圧が嫌だった。

また、思春期の頃、
ある事件に巻き込まれた時に
私自身は一度も被害者だと感じていないのに
周りの人が私を「被害者」として扱う事が
事件そのものより、ずっと嫌だった。

そして今。

子どもの頃、友達がいなくて
本当に良かったと心から感じている。

理由はいくつかある。

以前、メルマガに書いた
「淡水魚が海で泳いでいた」という感覚。
私の感性と同じ人は、
私が生まれ育った池にはいなかった。
だから、無理して合わせて友達でいる事はない。

そのおかげで
私は「外側」から観察するという術を身につけた。

外側から
社会のしくみや、人間の心理などを
感じていた。

 子どもだったので、
 まったく言語化はできない。
 言語化ができない苦しみはいつもあった。

 言語によって正しいとされる事で
 私の感覚はいつも殺されていたから。

 だから、正しいとか間違いとかではない、
 という感覚も得る事が出来たので
 いろんな意味で、
 自分にとっては、
 本当にいい事しか起こっていない。
 
友達がいない、という外側の現象ではなく、
それによって、私に必要な体験を得る事ができたからだ。

 どんな事にも、それは当てはまる。
 環境や状況は関係がない。
 それによって、
 何を体験するかという部分が大切。

 多くの人が
 あんな事があったから、今の自分はこうだ、
 的な「いいわけ」に使っている事が多いが
 本当は「いいわけ」じゃなくて
 自分にとってプレゼントなのだ。

また、
被害者として扱われる事に苦しみを感じる、
と言う事は
私自身が「被害者意識」がない事を意味する。

 この被害者意識はくせ者で
 ひとたび、持ってしまうと地獄の道(笑)
 自分をコントロールする力を失い、
 すべて他人からコントロールされる奴隷人生が始まる。

 自分の選択を放棄して
 他人や環境のせいにするのが被害者意識
 だから当然だ。

外側の現象は関係なく
いつでも自分で選択できるし
自分で創造して行けるのが自分の道。

この感覚は
10代の頃、世間様にはまったく通用しなかった。

正や悪。幸せな人と可哀想な人。
そういう2元対立の「大前提」の中で
いつも私の感性は「無」とされていた。

そして、社会で生きる為に
懸命に「大前提」に合わせて生きていた。

言語化が難しかったので
2元対立の世界で非常に苦しんだ。

けれど、
いま、その「自分」そのまんまで生きている。

子どもの頃や、
10代の頃に出会えなかった
魂が共鳴する友人たちと出会い
自分の感性で心地よく暮らしている。

この心地よさは
人生前半が苦しかったからこそ感じられる。

(もし、それが当たり前だったら、
 それも空気のように、当たり前だから)

何もかもが素晴らしい体験だ。

そして、今。
ずっと持ち続けた自分の感性は
もはや、自分のモノではなくなっている。

自分が属する大きなものの一部に
溶け合っている。

もし、
社会の中に占める多くの「大前提」に
巻かれてしまっていたら
この感覚には出会えなかった。

そりゃそうだ。

大前提と言う常識は
2元対立や、
言語で説明できてしまう事柄で
成り立っているのだから。

感性が共鳴できる、
多くの友人たちと出会い、
思いのほか、たくさんいる事を知り
満ち足りた感覚に包まれている。

現象(状況や環境など)に捉われず
自分自身(それはもはや自分ではない)
そのもので生きる。

その感覚を得る為に
現象の中にどっぷり入って
体験していたのだと今、感じている。

友達がいないと恥ずかしいとか
大人になったら本当の友達はできないとか
子どもの時にしか体験できない事があるとか

いろいろ言われているが
そういう意識が
大前提の常識というものたち。

人間は何歳になっても子どもそのものだ。
だから、自分を大人だと思う人ほど
子どもから学べばちょうどいい。

 保育士をしていた20代の時から
 私には
 大人と子どもの区別が
 体の大きさや、衰えなど(?)
 という以外に見つけられないでいる。

現在、
子どもの純粋さを持っている大人たちと
面白くプロジェクトを進めて
地球で大暴れしようと企み中。

 明日は、
 子どもの頃、友達が一人もいなかった私が、
 魂が共鳴し合える友人たちに出会うまでの
 プロセスを振り返ってみようと、
 いま、ふと感じたのでチャレンジしてみる。

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■今日のまとめ

人間は何歳になっても子どもそのものだ。
だから、自分を大人だと思う人ほど
子どもから学べばちょうどいい。

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【最幸ビジネスモデル】真実はシンプル。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.4 No.0713
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よく、私は人から
・枠がない
・突き抜けている
・壁がない
などと言われるが、
どうもすごく褒められているようなので
有り難く気持ちは受け取るが
実際はそうではなく・・・。

瞬間感じて、そのまま動く。
ってくらい
びっくりする程、ただシンプルなだけ。

理由や能書きは
後付けでいい。

もう、本当にめんどくさいくらい
よく考えすぎている人が
大半で、
その大半の考えの元が「不安」だから
余計にごちゃごちゃ。

そのごちゃごちゃが
見事に習慣化している現代人(笑)

そんな考えすぎている人からみたら
枠がないとか、突き抜けていると見えるだけで
本人はその意識すら何もない(爆)
ただのノーテンキだと自分では思う。

  ただ、動いたあとには、
  面白いくらいに頭を使っている。
  それは、
  エキサイティングでクリエイティブなプロセス。

たとえば、昨日。
数人で話していた時に、ある人の事を、

「こんな情熱を維持するのはすごいパワーだ。」

と感心していた人に私は、

「ただ、好きな事を本人はしてるだけで
 情熱とか維持とかパワーとか意識してないと思うよ。」

と伝えた。
同じように、ただ、したい事をしている別の友人は

「そうそう。」

と共感してくれた。

先人の偉人たちもみんなそうだ。

したくない事を貫くのは大変だけど
ただ、本人がしたい事を、
ただ、淡々と夢中になってやっているだけ。

 そして、この感覚が分かるのは
 それをしている人だけ。

もう、どこまでいっても、
本当にシンプルなのだ。

また、
考えすぎている直近のいい例を思い出した。

数名でごはんを食べにいった時に
ある男性が
「俺も遊ばなくっちゃなー。」と言うので
私は、
「いま、この瞬間も遊んでるじゃん。
 私は、毎日遊んでばかりいるよ。
 家にいるときもだし、
 そういえば、
 仕事は私にとって最高の遊びだよ。」
と言った。

遊びとは、
何か特別に、
たとえば山や海や公園に行ってするもの。

などと考えて、
何かやらないと、とか、
楽しまないと、などと考えている。

うわー、大変だ。
遊ぶ事すら考えてからするなんてー。
いま、この瞬間も遊んでいる、
この感覚を伝えたいけれど・・・。

そして、私の話に間髪入れず
「私もーーー!」と共感してくれたのが
大好きな友達、かめおかゆみこ(かめさん)。

 実は今日の記事は
 彼女の最近のメルマガに触発されて書いている。

 今日のフォーカスチェンジ第3622号
 いったんリセット!
 http://archive.mag2.com/0000119721/20131001075754000.html

本当に、何をどこを、どうとっても
シンプルイズベスト。
それを、私とは別の表現で書いている。
私がよく言う「団子思考」にも触れている。

余談だが、この
「今日のフォーカスチェンジ」
なんと、毎日欠かさず書き続けて10周年!
すぎょいー。

  きっと、10年間、毎日書き続けたという事も
  「毎日書き続けるんだ」
  という情熱を維持して、というよりは、
  書いていたら10年たっちゃった。
  という感覚に近いのでは?と私は感じている。
  その辺りを本人に直接聞いてみようと思う。

   ちなみに、私のメルマガも平日だけだけど
   毎朝配信して3周年。本人びっくり。あっという間。

その10周年を記念して11月3日に、
他にはない、かめさんらしい
イベントを企画している。
http://plaza.rakuten.co.jp/kamewasa/diary/201309110001/

ビビッときたら、ぜひ一緒に楽しみましょう♪

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■今日のまとめ

瞬間感じて、そのまま動く。
ってくらい
びっくりする程、ただシンプルなだけ。

頭を使って道をつくるのは、
走りながらでちょうどいい。

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【最幸ビジネスモデル】二人で作る物語。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.3 No.0712
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月曜日の記事、
「我がままである事が大切」
に、多くのお返事をくださった。(深謝!)

そのお返事を取り上げたりして
今週は一貫して「我がまま」について書いている。

今日は火曜日の記事、
「分けて考える」に対して
とーっても素敵な女性Mさんから
お返事を頂いたのでシェア。

 私はこのような問題は
 二人で作っている物語だと
 思っています

 原因やきっかけは
 表面でしかありません
 今までの積み重なったちょっとしたことも
 大きく影響していることもあるからです
 感じる理由が必ず誰にもあるものです

 自分の問題だと
 捉えているのは
 素晴らしいと思います

 その問題は何故引き起こされているのか?
 何故
 このように感じるのか?

 その部分がとっても大切
 なぜならば
 そこにはその人の個性ともいう
 大きな愛が隠れているから
 だからこだわって
 感情が揺れるメカニズムになっているのだと
 思いっています^^

本当にその通りだと私も共感。

人それぞれ、歩んできた道、体験が違う。
人それぞれ抱えている課題やトラウマも違う。
そして、Mさんの表現で言えば
「その人の個性ともいう大きな愛」
を、それぞれが与えられている。

そこをお互いに理解し合うことで
お互いの相乗効果が生まれると感じている。

そして、
たった一人では、何も経験できず
何も気付けない。

あーーー、本当に人間って面白い!

相手が、
自分と同じように感じていると思うから、
自分と同じ事を見ていると思うから、
問題が起こる。

抱えている事、感じている事、
反応ポイント、みんな違うと分かっていれば
そもそも問題にならない。

だから、問題が起こったら
お互い、自分に気付くチャンスでもある。

それを理解し合い、
お互いに現実を創造していくのが
人間の面白さ。

その為にも
「我がままである」ことは非常に大切(笑)

表面を取り繕ったり、
必要のないプライドや
自分を守る事に必死になると、
複雑になり難しくなる一方だ。

 今回のように、
 同じ事を違う人が伝えると
 また表現や色具合が変わって素敵!

 「二人で作る物語」

 という表現に心が揺れた。
 Mさん、本当にありがとう!

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■今日のまとめ

 怒りや恨み・・・
 なぜ、このように感じるのか?

 その部分に、人の個性ともいう
 大きな愛が隠れている。
 だからこだわって
 感情が揺れるメカニズムになっている。

 それは一人では気付けない。
 二人で作る物語。

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【最幸ビジネスモデル】土台づくり。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.2 No.0711
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多くの経営者へのコンサルティングを通じて、
「我がまま」であるほど
土台作りも上手だし加速も速いと実感している。

「こうしたい」「あーしたい」
が明確であれば、そこに集中できるので当然だ。

自分の内なる感覚に素直に在る。
ただ、その事のために頭を使う。

それが天然で出来ている人は
人生でも仕事でも幸せだ。

 あ、そもそも
 仕事はうまく行って、家庭がめちゃくちゃ
 という状態はあり得ない。

  仕事がうまく行って、というのが
  金額だけを見ている場合には、
  成り立つかもしれないが。

 在り方はすべての分野に現れる。
 仕事もプライベートも。
 さりげない仕草や話し方にも。

いま、まさに動かしているプロジェクトでは
子どものように純粋に無邪気にまっすぐに
事業をされている年上の方々と組んで
面白く進んでいるので、なおさら実感中。

また某企業の社員チームも
素敵な人財が集まっていて、
これからが楽しみだ、と言う地点にいる。

その逆、

頭で、こうしたいけど、その為にはあれをしないと。
自分はこう思うけど、理解されないから妥協しないと。
などとやっていると、土台はぐちゃぐちゃ。

その例として、
最近、
私は友人の事業を、
仕事抜きでプライベートで手伝っている。

本当にやりたい事を友人自身が
出来ない、難しいと感じているので
本当にやりたい事ではない、既存の事に
すぐに着手してしまう。
この状態なので土台作りそのものも難航している。

そして、半年が過ぎ、ようやく
スタートが切れそうだ。
この半年が友人にとっては
必要な時期だったと感じている。

 在り方(考え方や感じている事)が
 現実を作っている。

 出来ると思って頭を絞り行動したら
 大抵、何でも出来る。

 出来ないと思って
 どんなに頭を絞り行動しても
 難しいばっかり!

 才能や能力やリソースはあまり関係ない。
 人間の能力なんて、そんなに大差ない。

 出来ると思う為にも、
 数字を生む体験を、まずしてもらおう
 と企み中。

また、先日行ったコンサルティングでも
「本当はこうしたい」がおざなりで、
売上の為に魂を売るような事を考えていた。

そこで、
「いや、本当に進みたい方向で
 売上を立てる、こんな方法もあります。
 あんな方法もあります。
 これは、ただのジャストアイデアです。
 もっと方法はあります!」
と提案すると、
表情がぱっと変わり心を入れ替えてくれた(爆)

不安の在り方で頭を使うと
幸せではない道にまっすぐに
進み始めてしまう。

ひとたび、
本当に思う通り、ブレずに進むと
その過程すら夢中になれる。

それは天国と地獄ほどの差がある。

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■今日のまとめ

「我がまま」であるほど
土台作りも上手だし加速も速い。

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